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マリーは亜紀が書いた脚本『ムーア国のロイヤルウェディング』のヒロイン。もしわたしがジョージ王太子と結ばれたら、マリーはどうなってしまうんだろう。わたしの代わりに投獄されることになるの?
ううん、そんなことはない。だって、マリーは何も悪いことはしていないんだから。
亜紀の脚本では、マリーは貴族の長女。父親を亡くし、病気がちの母親と年の離れた幼い弟が三人いる。頼りになる親族もいない上、近年、王宮で有力な地位に就けた先祖がなく、没落する一方。住んでいる邸宅は王城から遠くないけど、老朽化が激しく修復するのに苦労している。
だから、一生に一度の『ムーア国ル・バル』の日だというのに、ドレスもややくすんで古そうに見えた。所々にあしらわれた大きなリボンは、シミかなにかを隠しているのかも。
ただ、高級なシルクなのは、触れなくても分かった。仕立てた当初は、かなりの高級品だったのかもね。もう少ししたら、逆に骨董的価値がつきそうだけれど……。
大変な状況なのに、いつも笑顔でポジティブなマリー。力になってあげなきゃいけないのは分かってる。この場合、力になるっていうのは、マリーをいじめて、王太子妃の座を明け渡すってこと。
け、けど、それは……。
わたしは思わず本物の宝石のネックレスと重ねづけしていた、大切な猫型のロケットペンダントをぎゅっと握りしめた。
このペンダントは亜紀とおそろい。ふたを開ければ、そこには亜紀の笑顔の写真が入っている。亜紀が亡くなってからは、形見だと思って肌身離さず、いつも一緒。お守りのように思ってきた。
ところが、ペンダントはわたしの手を滑り、床に転げ落ちたのだ。
「あっ……」
わたしが小さく声をあげると、そばにいたマリーが、すかさずペンダントを拾ってくれた。
「ステキなペンダントですね」
「あ、ありがとう……」
掌に戻ったペンダントを見たわたしは戸惑った。
ペンダントが落ちたということは……。亜紀がわたしに、何かを伝えようとしているの?
ペンダントを見つめていたわたしは亜紀と初めて演劇論のようなものを交わし合った日のことを思い出した。
中学で演劇部に入った当初、わたしに悪役が回ってきたことがあった。ヒロインの命を奪おうとする魔法使いの役だ。
「こんな役やりたくないよ」
そう不満を漏らしたわたしに、亜紀は厳しい口調で叱ってくれた。
「ねぇ、物語の展開に重要なのは誰だと思う? 主人公にピンチを与える悪役なの。舞台がおもしろくなるかどうかは、悪役の空美の演技にかかっているんだよ」
わたしは亜紀の言葉に、ハッと目が覚めた思いがした。
「そっか! そうだよね」
「なんて、わたしだってまだまだだけどね」って、亜紀ははにかんだように笑っていたけど、わたしは「亜紀ってすごいな」って思ったんだ。
それからわたしは演劇の世界にのめり込んでいったといってもいい。亜紀と二人、明けても暮れても演劇一筋!
そして、わたしは自らが先輩になったときにも、役柄に不満をもらす後輩がいると、亜紀にいわれたように教えてきたんだ。
「悪役はすごくやりがいがあるよ。だって、舞台の成功を左右するほど大切なポジションだもん。それに舞台はみんなで作るものでしょ。一人欠けたって幕は開かないんだよ」
思い出に浸っていたわたしに、マリーがそっと言った。
「とても大切なペンダントなんですね」
わたしが顔を上げると、マリーの優し気な微笑みがあった。
そのとき、わたしは気づいた。亜紀は、主役であるこのマリーを助けるために、悪役に徹してほしいと言っているんだって。
この世界は現実の世界じゃない。元いた世界のようにお腹も空くし、眠くもなるけど、亜紀の脚本の世界。わたしはここではちゃんと悪役を演じるべきなんだ。マリーをいじめて、わたしは王太子妃にふさわしくないってジョージ王太子に思ってもらうんだ。
思い返してみれば、ここ数カ月の間、わたしは罪悪感のようなものを感じていた。だって、亜紀が苦労して書き上げた遺作を、勝手に作り替えているようなものだし。
脚本通り、見事、バッドエンドを迎えたら、舞台は幕が下りて、きっと元の世界に戻れるんだよね、亜紀?
だから、ジョージ王太子、しっかり見ていて。わたしのいじわるな演技を!
わたしは隣にいたジョージ王太子をちらりと見た。すると、ジョージ王太子は、わたしに向かって優しくほほ笑んだ。
あ、こ、この笑顔。と、とろけそう。
やっぱりジョージ王太子を失うことになるなんて、イヤだよ。せっかく初恋の城田先生にそっくりのジョージ王太子と結ばれるチャンスなのに……。
目の前にいるマリーは、わたしの葛藤も知らずに
「シャーロット様、どうかわたしをご指導くださいますように」
と少しかがみながら、キラキラした瞳を私に向けたんだ。
あぁ、こんなに素直なマリーの運命を変えなきゃなんないの、わたし。ど、どうしょう。亜紀、わたし、どうすればいい?
そういえば、困ったときはいつも亜紀に相談していたっけ。
そんなとき、亜紀は決まって「舞台は一人で作るんじゃない。一人ひとりが力を合わせて、作り上げるものだよ」って言ってた。
そう、いつだって、自分のことよりも周りのために動いてきた亜紀。
だから、亜紀は病気なのにもかかわらず、最後の力を振り絞って脚本を書き上げたんだ。
わたしは、亜紀がどんなに苦労して書いたかを知ってる。そして、この脚本の世界は亜紀の遺作。
親友の苦労をきちんと形にするためにも、悪役令嬢シャーロットを演じなきゃ!
で、でも、投獄されるというのが気になるよね。
シャーロットは身分が高いんだし、一般人と違って、牢屋っていっても、ちゃんとしているような気がする。昔読んだ何かの本に、そんなことが書いてあったような。あー、ちゃんと読んでおくんだった。
うーん、けど、牢屋暮らしなんてラストのワンシーンだよね、きっと。バットエンドで終演したら、「お疲れさま―!」って、元の世界に戻りたい。戻れるといいな……。
そう考えて、わたしはマリーにきつい言葉を投げつけた。
「どんなときでも冷静にマナーを守れなくては、一人前の貴族とはいえないわね。それに、そのお辞儀。もっと優雅にこなせるようになってからご挨拶をお受けするわ。今のあなたを受け入れていると思われたくないのよ」
わたしの胸が痛んだ。マリーはきっと傷ついているだろう。
そんなわたしの言葉に周りの貴族たちはこぞってマリーを批判し始めた。
「さすがシャーロット様!」
「田舎貴族が自分から話しかけるなんて、そもそも礼儀知らずなのよ」
「叱られて当然よね」
さきほどのフィンガーボールの一件があったからか、マリーのせいで恥をかいたなどと逆恨みしているんだろう。わたしはそんな貴族たちをにらみつけた。すると、貴族たちはおしゃべりをピタッとやめた。
そして、肝心のジョージ王太子の反応は……。
さっきとは表情が変わっていた。きっと、わたしの言葉を不快に思っているんだろうな。ジョージ王太子に嫌われるのはキツイよ。
けど、次の瞬間、マリーの口から飛び出たのは意外な言葉で、わたしはびっくりしてしまった。