テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
1,925
562
コメント
1件

「秘密って、ちょっとあるくらいが楽しいんですよ」
夕陽の中で笑うまさこを見て、勇斗はしばらく何も言えなかった。
なんというか。
ずるい。
柔らかく笑うくせに、肝心なところは全然掴ませてくれない。
「……気になる」
「何がですか?」
「まさこさん全部」
「重いなぁ」
「今さら?」
まさこはくすっと笑った。
「じゃあ、そろそろお店戻りましょうか」
「えー」
「その顔やめてください」
「犬みたいってよく言われる」
「自覚あるんですね」
「まさこさんの前だと特に」
「なんでですか」
「構ってほしいから」
さらっと言う。
まさこは思わず吹き出した。
「勇斗さんって、ほんと恥ずかしい人」
「でも笑ってる」
「まぁ、ちょっと面白いので」
「ちょっと?」
「だいぶ」
「やった」
嬉しそう。
本当に感情が分かりやすい。
花屋へ戻る道。
商店街には夕飯前の穏やかな空気が流れていた。
八百屋のおじさんの声。
自転車で通り過ぎる学生。
パン屋から漂う甘い匂い。
その中を、二人で並んで歩く。
勇斗はふと聞いた。
「まさこさんって、駅こっち側住み?」
「秘密です」
「えー」
「勇斗さん、すぐ聞く」
「知りたいんだもん」
「全部は教えません」
「ガード固い」
まさこは少しだけ笑ってから、前を向いたまま言う。
「……でも」
「ん?」
「勇斗さんには、割と喋ってる方ですよ」
その瞬間。
勇斗の顔がぱっと明るくなる。
「マジ?」
「分かりやす」
「嬉しい時はちゃんと嬉しい」
「素直すぎるんですよねぇ」
「嫌?」
「……嫌じゃないです」
まただ。
そうやって、期待するようなことを言う。
勇斗が何か返そうとした時だった。
「――あれ?」
向かいから歩いてきた女性が、まさこを見て目を丸くした。
「あれ、仁――」
ぴたり。
まさこがすごい速さで口元に指を立てる。
「しーっ」
女性も「あっ」と察した顔をした。
「ご、ごめんまさこちゃん!」
「ふふ、大丈夫です」
勇斗は目を瞬く。
女性は気まずそうに笑った。
「お友達?」
「花屋の常連さんです」
「へぇ〜! イケメン!」
「どうも」
「まさこちゃんモテるもんねぇ」
「やめてください」
「この前も男の人来てたし!」
「余計なこと言わないでくださいって」
まさこが困ったように笑う。
女性は「あはは、ごめんごめん」と去っていった。
少しだけ沈黙。
そして。
勇斗がじーっと横を見る。
「……なに」
「今、仁って言いかけたよね」
まさこの足が止まりそうになる。
「気のせいです」
「いや絶対」
「気のせいです」
「食い気味」
勇斗は吹き出した。
「そんな隠す?」
「隠してません」
「じゃあ教えてよ」
まさこは少し困ったように視線を逸らす 。
風が髪を揺らした。
「……本名」
勇斗が瞬く。
「え」
「まさこ、本名じゃないので」
「……そうなの?」
「はい」
「え、待って」
勇斗は混乱した顔になる。
「じゃあ何、源氏名?」
「源氏名って言わないでください」
「ごめん」
「普通に、昔から使ってる呼び名です」
「じゃあ本名は?」
まさこは少しだけ黙った。
それから。
「……まだ秘密」
柔らかく笑う。
勇斗は「うわ〜」と頭を抱えた。
「気になるって!」
「ふふ」
「絶対仁入ってるじゃん」
「どうでしょう」
「ヒントだけ!」
「嫌です」
「ケチ!」
まさこは楽しそうに笑う。
そんな顔を見てると、無理に聞き出す気も失せる。
でも。
勇斗は確信していた。
きっと、まさこは全部じゃない。
この人にはまだ、自分の知らない顔がたくさんある。
そしてたぶん。
それを知りたいと思ってしまってる時点で、もう好きだった。
店の前へ戻ると、まさこが振り返る。
「じゃあ、今日はここまで」
「えー、もう?」
「仕事中なので」
「今度ほんとにご飯ね」
「……考えときます」
「絶対考えてない言い方」
「ふふ」
店へ入ろうとして。
まさこはふと思い出したように振り返った。
「勇斗さん」
「ん?」
「カスミソウ、妹さん喜んでました?」
勇斗は少し目を丸くする。
「覚えてたの?」
「当たり前です」
「……めちゃくちゃ喜んでたよ」
「よかった」
「でもさ」
勇斗は笑った。
「ほんとは、渡したかった相手別なんだよね」
まさこが瞬く。
「え?」
勇斗は白い歯を見せて笑う。
「じゃ、またね。まさこさん」
そう言って去っていく。
残されたまさこは、しばらくその背中を見ていた。
それから小さく呟く。
「……ずるいの、そっちじゃん」
𝓉ℴ 𝒷ℯ 𝒸ℴ𝓃𝓉𝒾𝓃𝓊ℯ𝒹