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「美幸、朝ごはんよ」


「はぁい、いま食べる」


2LDKマンション、上下の移動がある一軒家と違った平面の近い距離は、ふたり暮らしに丁度いい。

ダイニングテーブルに向かい合わせに座り、「いただきます」と声を掛け合い、定番のスクランブルエッグにサラダ、ウインナーそれにトーストのワンプレートメニューを食べ始める。


「そう言えば、お父さんから美幸に会いたいってメールがあったけど、どうする?」


「えー、お父さんに会ってもなぁ……。忙しいからって断っておいて」


と、美幸は乗り気じゃない。

離婚から2か月、蝉が鳴いていた暑い夏から、季節が移り変わり晩秋になろうとしてた。

中学受験用の模試も月1回あり、どこぞの会場まで足を運ぶと日曜日がまんまる潰れる。塾の講習も絡むと何かと忙しく予定が立て難い。

それに、まだ父親の不倫で離婚をしたという不信感は、美幸の心の中で燻り続けている。

気持ちが落ち着くまで面会は無理だなと、沙羅は細く息を吐く。


「じゃあ、お父さんには、塾で忙しいって伝えておくわね」


「うん、そうして……」


美幸は不貞腐れたように言って、ウインナーにグサリとフォークを突き立てた。


「ねえ、お母さんは、今日もお仕事に行くんでしょう?」


「ええ、この後、支度して行くわよ」


「社長さんに会ったりするの?」


「猫ちゃんたちのお家でお仕事だもの。会社には行かないから、会わないわね。どうしてそんなこと聞くの?」


「社長さん、カッコ良かったじゃん。それに親切で優しいし……。ああいう人がお父さんだったら良かったのに……」


美幸が田辺社長をそんな風に思っていたなんて……と沙羅は驚いたが、美幸の身近の男性と言えば、学校や塾の先生ぐらいしか居ないのだ。

たまたま田辺がカッコ良く見えたから、少女漫画の恋愛のような思考で考えてしまったのだろうか、それとも、政志を否定しながらも父親の存在が欲しいのか。

沙羅は、なんとも言えない複雑な気持ちになってしまう。


「カッコ良い社長さんには、きっと素敵な彼女が居るわよ。お母さんは仕事先で、モフモフの可愛い猫ちゃんたちに会えて嬉しいのよねぇ」


「お母さんばっかりずるい!わたしもモフモフしたい!」


「じゃあ、いってきまーす」


「気をつけてねー!」


元気良く手を振る美幸を見送って、沙羅は部屋に戻った。

キッチンカウンターの上で充電中だったスマホが点滅している。

慶太からのメッセージだ。


『おはよう。金沢の天気は晴れ。週末の土曜日仕事で東京へ行く。午後2頃から夕方までの短い時間だけど会えるかな?』


直ぐに土曜日の予定をチェックした。ハウスクリーニングの仕事はお休み、美幸は午後から塾の講習が入ってる。これなら、誰にも迷惑をかけずに時間が作れる。

久しぶりに慶太に会える。そう思っただけで、口元がだらしなく緩んだ。

『おはよう。東京も秋晴れの空。土曜日ですが、その時間なら空いています。会えるの楽しみです』


『俺も楽しみだよ。どこか行きたい所ある?』


慶太とふたりで居られるのなら、どこでもいいと言いたかった。でも”どこでもいい”は、一番困る返事だ。


『調べてから連絡するね』


『わかった。俺も候補上げておく』


『楽しみにしています』


慶太からの返信は、足の短い猫(マンチカンかな?)が首を傾げている可愛いスタンプ。

最近、藤井家の猫たちに夢中だという話しをチラッとしただけなのに覚えていてくれたみたいだ。


「ふふっ、慶太に会えるの楽しみ」


秋晴れの空の下、ウキウキとした気分で、駅に向かう。

10時出勤は、朝のピークを過ぎて電車通勤もきつくない、つくづく良い職場だなと思いながら改札をくぐる。 階段を登り切り、ホームに出るとタイミング良く電車が滑り込んで来た。

プシュッとドアが開き、乗り込む。車内は、席は埋まっているものの、立っている人はまばらだ。

つり革につかまっている背広姿の男性と視線が合い、沙羅は驚きのあまり立ち止まる。


「政志……」


もっと早い時間に出勤していたはず、同じ路線とはいえ会う事を想定していなかった。


「久しぶり、元気そうで安心した」


政志から出会った頃のように優しい笑顔を向けられて、知らんぷりもできずに隣に立った。


「うん、おかげさまで元気にやっているわ。これから仕事なの」


「そうか、順調なら良かった……美幸は元気にしているか?」


「勉強がんばっているわよ。土日も塾に行っているし、模試もあって何かと忙しいの。……面会の時間が取れそうになくて、ごめんなさい」


「まあ、仕方ないさ。落ち着くまで待つよ」


そう言って政志は視線を落とした。

きっと、美幸が会いたくないと言っているのに気付いたのだろう。

沙羅は、寂しそうな政志の横顔を見つめる。

少し痩せたみたいだが、背広もYシャツもヨレていない。ちゃんとクリーニングに出しているようだ。


「政志さんも元気そうで安心したわ」


「ああ、みっともない父親にならないように、どうにかやっている」


政志の不倫相手だった片桐は結局、田舎に連れ戻されたと聞いた。

今、政志はあの家にひとりで暮らしている。


「今日、政志さんに会って元気そうにしていたって、美幸にも伝えておくわ」


車内にアナウンスがかかり、下りる駅の名前が告げられる。電車が速度を落とした。


「じゃあ、政志さんもお仕事頑張ってね」


「沙羅もな。体に気をつけてな」



ホームに降りた沙羅は、振り返り政志へ小さく会釈をした。政志は手を肩まで上げ合図を送るを電車が走り出す。

ホームの上を晩秋の冷たい風が吹き抜けていく。


沙羅は、ふわふわとした気分から、一転、気持ちが落ち込み始めた。

子は|鎹《かすがい》ということわざがある。

その言葉通り、夫婦の縁を子供は繋ぎとめる存在。たとえ夫婦でなくなったとしても、子供の父親と母親であるのは揺るがない。

離婚しても、養育費や面会権の関係で政志と連絡は取り続けていくのだ。


慶太と恋人同士になったのに、別れた夫と美幸の事で連絡を取り会うのは、仕方がないとはいえ、後ろめたさを感じる。


付き合い始めの甘酸っぱい時期。

だけど、30代になった今はお互いに抱えているものがある。

自分たちの情熱だけで突っ走るような事は出来ない。


「慶太はこの先どうしたいんだろう……」


TAKARAグループを背負う慶太と自分では、どうしてもつり合いが取れないような気がする。

働き盛りの35歳ともなれば、結婚を急かされているはずだ。

恋人なら良いが、家と家の繋がりが出来る結婚となると、バツイチ子持ちの自分では難しいだろう。

結婚がゴールではないと知っているだけに、その先の事を考えると、ため息しか出てこない。


好きという気持ちだけで、どうにもならない現実が重くのしかかってくる。


沙羅は、ハァーと大きく息を吸い込んだ。

冷たい空気で、頭が冷えた気がする。


「考えてもしょうがないのに、すぐに落ち込むのは悪い癖だわ。慶太を信じて行くって決めたんだから」



藤井の家の広い玄関には、三毛の「のりたま」が待ち構えていた。

「おはよう」と声を掛け抱き上げると「ひろし」と「ゆかり」も後を追いかけて来た。足元でスリスリと身を寄せられて、可愛い猫たちの甘える仕草に癒される。


「おはようございます。今日は良いお天気ですね」


「おはよう。秋晴れの気持ちいい日よね」


今日の藤井は、黒のスラックスにからし色のニットで、いつもよりラフな服装、見た目は40代半ば。でも、以前話した内容だと、アラフィフの人を年下だと言っていた。年齢不詳の美魔女だ。


「せっかく天気がいいので、良ければ書斎の本棚の掃除をしようかと思っていますが、触ってもいいですか?」


沙羅の提案に藤井はパァっと笑顔をみせる。


「沙羅さんってば、本当に働き者ね。そうね、埃が溜まるとカビの原因になるからお願い出来るかしら? でも、一日で終わらせる必要がない場所だから無理しないでね」


「はい、ありがとうございます。では、猫ちゃんのお部屋のお掃除を終えてから取り掛かりますね」


さっそく猫たちのおトイレ砂の入れ替えやキャットタワーの埃取りなどに取り掛かる。すると、猫たちが「遊んで遊んで」とハイテンションで周りを跳ねまわる。


「こら、邪魔しないの」


「ねえ、沙羅さん。ちょっと、こっちに来て~」


今度は、藤井からの呼び出しだ。


「はーい、いま行きます」


何かな?と思いつつ、声がした書斎へと足を進める。


「御用ですか?」


「ごめんね。たいした用じゃないんだけど、前にね、沙羅さんに似ている親戚の子のお話したじゃない。それで、本棚にアルバムがあるの思い出したから見せたくなって」


「私に似ているなんて、気になりますね」


「でしょう?」


と、藤井はアルバムをめくり始めた。


古い写真の中で、セーラー服姿の藤井がニッコリ微笑んで居る。

年齢不詳の藤井、いったい何年前の写真なのか、沙羅はチョット疑問に思う。


「わー、可愛い」


「いまどきはブレザーの学校が多いんでしょう。セーラー服とか時代よね」


「セーラー服は、可愛いくて憧れました」


写真の中のセーラー服姿の藤井は、学校の文化祭なのか、友人とはしゃいでいた。


「この頃はまだ、携帯電話も大きくて、一部の大人しか持てなかったのよ。だから、学生は使い捨てカメラで撮って現像して、友人には焼き増して配ったの。今は、スマホで撮影して、色んなアプリで共有が出来て便利になったわよね。でも、不便でも写真として形に残るのは、こうして見返せるも良いものだわ」


「そうですね。私も引っ越しの荷物まとめて居た時に、アルバムが出て来て、つい見いっちゃいました」


「わかるわ、つい見てしまうのよね」


藤井は、楽しそうに目を細め、アルバムをめくった。

次のページには、親族の結婚式の写真なのか、ウエディングドレスの花嫁とタキシードを着た花婿の写真が仲良く金屛風の前に座っていた。

その他に、結婚式会場の様子やキャンドルサービスの写真、親族の集合写真が見開きいっぱいに貼られている。


「そうそう、この写真よ」


そう言って、藤井が指さした写真には、沙羅の母親の幼き日の姿が写っていた。


「どうして……」


沙羅は小さくつぶやいて、その写真を食い入るように見つめた。

写真を凝視する沙羅を、藤井は不思議そうに覗き込む。


「何かあったの?」


「あの、この集合写真と同じ物がウチにもあります。ここに写っている子が、私の母なんです」


沙羅が指さしたのは、結婚式の集合写真に写る幼き日の母。

先日の引っ越しの際に美幸と見たばかりだから、間違えようもない。


「うそ……」


藤井は、信じられないと口元に手を当て、沙羅と写真を交互に見比べた。


「この前、娘の美幸とアルバムを見ていて、ちょうど美幸が写真の母と同じ年頃でよく似ているねって、話しをしたんです」


「沙羅さんの苗字が佐藤だから、まさか、親戚だなんて考えもしなかったわ」


「佐藤は離婚した夫の苗字で、旧姓は岩崎でした。それで、母の旧姓は確か……浅田です。浅田瑞穂です」


思いがけぬところで身内に出会えた喜びに、沙羅の鼓動は、ドキドキと早く動き出していた。


「わたしの旧姓も浅田だから間違いないわ……みっちゃんのお嬢さんだったのね。こんな偶然が、あるなんて……ずいぶん前に亡くなったって聞いて」


「はい、残念ながら両親揃って16年前に事故で……。その時は、私も混乱してしまって、父方の親族に連絡や手続きをお願いしたので」


「その頃、海外に居て……訃報も数年経ってから知ったの。お嬢さんが居たことも知らなかったわ。ごめんなさい」


藤井は頭を下げたが、おそらく両親の葬儀の際に、葬儀を取り仕切った父方の伯父が、母方への連絡を怠ったのだろう。


「いえ、結婚に反対されて、駆け落ちみたいに家を出たって聞いていました。母から不義理をしたのだから無理もないです」


「でも、こんなところで会えるなんて嬉しいわ。沙羅さんを始めて見た時から、なぜか他人のような気がしなかったのよね」


「私も初めて藤井様にお会いした時に懐かしい気持ちになりました」


こんな偶然があるなんて……と、沙羅は戸惑いながら顔を上げた。

「あの、母と藤井様の関係って……」


「ああ、そうよね。わたしとみっちゃんの父親が兄弟なの。つまり、従妹同士の関係ね」


「従妹……」


「つまり、わたしから見て沙羅さんは|従姪《いとこめい》で、沙羅さんからだと、|従伯叔母《いとこおば》にあたるわ」


「私、両親が亡くなった時に父方といろいろあって……金沢を出て以来、父方の親戚とは疎遠になっていたんです。母方の親戚にも連絡の取りようがなくて、天涯孤独なんだと思っていました」


「そうなのね。ずっと、ひとりで心細かったわね」


沙羅は、静かにうなずいた。

離婚する時も、ひとりで美幸を育てて行けるのか、自分の選択に間違いはないのか、できれば両親に聞いて欲しかった。でも、それは叶わない。

暗闇の中、一筋の光を求めるように、ひとりで悩み手探りで進んで来たのだ。


「藤井様が、母と従妹で親戚だったなんて、驚きすぎて……。でも、凄く嬉しいです」


「わたしも嬉しいわ」


そう言って、藤井はそっと手を伸ばし、沙羅を包み込む。親愛のハグだ。

沙羅も瞼を閉じて、藤井から伝わる温もりを感じた。

それは、亡き母を思い起こさせる温かさだ。

静かに離れて、向かい合う。すると、藤井は名案を思い付いたように顔をほころばせた。


「そうだわ。今度、沙羅さんのお嬢さんの美幸ちゃんにも会わせて欲しいわ」


「はい、ぜひ会ってください。美幸も喜ぶと思います」

蝉時雨 ~不倫のち不貞~

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