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FILE_006: 接近
「るん、るん、るん、ちゃらららーん」
不気味な鼻歌(笑い声)が、朝の静まり返った部屋に響いていた。Bは洗面所の割れた鏡の前に立ち、化粧をしている。
黒いアイシャドウを指に取り、何かに取り憑かれたように、目の下にざらりと塗りつけていく。
その様子を見て、私はギョッとした。
「……な、何してるの……!」
鏡の前に立つその姿は、確かにバースデイなのにまるで別人。そう、“あの人”──鏡に映る彼の顔が──悪夢に出てくる“あの人”と重なった。目の下の黒。血の気のない肌。殺意を感じる瞳。
──あれは、私を夢の中で殺した時の“あの人”顔だった。
「ひっ!」
鏡にうつる彼を見て、尻もちをついた。
ガタガタと震える足。冷たくなった指先。
頭の奥がずるりと揺れて、暗闇から何かが這い上がってくる。
ま、まさか……まさか……まさか……っ──
何だかとても大事なことを思い出しかけた──その瞬間、バースデイが突然私を抱きしめた。
「きゃあああ!!」
叫び声が反射するように狭い洗面所に響いた。
「変態ーッ!!!」
「……そんなにびっくりしなくても……。怯えていたから慰めようと」
「いやぁ!離して!!離してェ!!」
バタバタと腕の中で暴れるシキ。
心臓の鼓動がうるさい。全身が熱くて、震えて、どうしたらいいか分からない。
抱きしめられているのに、安心なんかできなかった。むしろ、閉じ込められてしまったみたいで──息ができない。
胸の奥がずっとざわついている。
頭の中がうるさくて、何かが引きずり出されそうで、怖い。バースデイの腕の中はあたたかいはずなのに、私はずっと──震えていた。
「なんでそんな不気味な化粧してるのよ!」
叫ぶように言った。怒鳴りたいわけじゃないのに、声は勝手に尖っていた。
「ただの変装だ」
「変装!?」
「そう。これから夜神月の尾行にまわる──“キラの殺しの材料は顔と名前”。““名前がバレても””、顔がバレなければ殺されない」
バースデイは当たり前のように言った。淡々と、まるで天気の話でもするかのように。
私が何に怯えているのかも、何を思い出しかけていたのかも、気づいていながら──そのすべてを、“理由”で上塗りしていく。
「………………」
確かに、その理屈は正しい。
キラが人を殺すのに必要なのは、“顔”と“名前”。どちらかを守れば、命は助かる。
しかし、だ。それにしてもその変装はあまりにも醜く、滑稽で哀れだ。
殺されたあの夜をなぞるようなその顔で、「生き延びるための化粧」だなんて。到底受け入れられなかった。
「ぎ、偽名を使えばいいじゃない!そんなメイクしなくたって」
「見えたらどうする?」
「は……?」
「いや、なんでもない」
すぐにごまかすように笑って、視線を逸らす。
バースデイは鏡の前に戻って変な笑い方を続けながら化粧をした。
「ぞぞぞぞ!いやぁ、この笑い方は違うか。きゃはははは!うん、こっちかな、こっちこっち」
笑い声すら、演技。
顔も作り物。
名前も偽名──偽りだらけ。
バースデイ──“本当”のあなたはどこにいるの?私には本当のあなたが全く見えない──
気づけば、私はそっと後ずさっていた。
何も言わずに、視線を逸らして……。彼から、距離を取っていた。
バースデイの背中は、まだ鏡に向かって笑い続けている。でも私はもう、その笑い声を、まともに聞いていられなかった。
──なぜだろう。
あんなに近くにいたはずなのに。
あの人が恩人だと思っていたのに──
今の彼は──とても信用できる存在では無かった─────
◈◈◈
キラ──お前こそ、本物の死神だとでも言うのか?
名前と顔で人が殺せる──やはりBのこの目も死神と繋がっていたのか。
倫理や理性、そんなものは最初から持っていない。
どうやって人を殺している?
非常に興味深い。Lと並ぶほど──殺しの仕方に興味がある。超能力?──そんな“夢”みたいな話、現実には存在しない。何せ、キラと近い能力を持っているBですら、念じて人を殺すことができないのだから。
つまり、超能力ではないと思われる。
殺しは手動。道具があると推理する。
一体『殺しの道具』とは?
毒?ウイルス?寄生虫?
そんな方法では、あの精密な連続殺人は成立しない。
世界中の犯罪者の名を、瞬時に、確実に、躊躇いなく。これは偶然じゃない、意図された──人間による殺人だ。
殺しの道具は──
恐らくペン、か……書物……だろう。
もし、それが──『ただのペン』だったら?
──ただの『黒いノート』だったら?
……そんなもの、簡単に見つけ出せるはずがない。
「くだらない。しかし、面白い。 」
今確実なのは、実際に殺しの瞬間を見ること。
だからLは尾行という『愚行』を選んだ。──合理的だ、L。
でも、Bはもっと愚か。──この目で見る。
名前も、寿命も、殺しの方法もぜんぶ。
──そしてBは、口角を吊り上げ、喉の奥から異様な音を漏らした。
「ぞぞぞぞぞ……どろろろ〜ん、ケケケケッ……っはっはっはー、ヒャハッって感じでもあるんだけど、きゃははははははははは!!」
時刻は16時。
沈みかけた太陽が、街並みに赤い縁を落としていた。
セダンの車体が光を反射しながら、住宅街の細い道を静かに滑っていく。ブレーキ音ひとつなく、Bの乗る黒いセダンは角を曲がった。
助手席には、鈍器とスティック型の盗聴器──Lかは送られてきた地図を頼りに夜神月の自宅周辺まで車を走らせている。
「ん〜今の気分は、これ、これが合ってる、きゃはははははは!うん、こっちだ。こっち」
車は住宅街の片隅──夜神家から30メートルほど離れた空き地の縁にゆっくりと停車し、車から降りた。Bはフードを被り、ポケットに手を突っ込んだまま、こきりと首を鳴らして無言で歩き出す。
夕陽が落とす赤い光に、影が細く長く伸びていく。その影は、人間というよりも、『フードを被った死神』のように揺らめいていた。
──まるで、
死神が街を散歩しているかのように─────
──そう、死神が街を見渡しているように。
「…………………」
Bは足を止めた。
風が止み、世界から音がひとつずつ抜け落ちていくような沈黙の中で──
赤く染まる空を背景に、電柱の上──
そこに、いた。
器用に膝を抱えて座る、黒い異形の存在。
翼はしぼんでいるが、体格は人間よりも大きく、腕も脚も異様に長い。
まるで骸骨に皮を貼ったような、いや、それ以上に“生きていない”何か。
そして、その異形は──Bを見下ろし、笑っていた。
「くくくくくくっ」
Bは瞬きも忘れて立ち尽くした。
──これは、夢じゃない。
──これは、幻覚でもない。
「……………在る、のか」
自分の論理が追いつかない存在を“またもや”前にしてしまった。
殺しの手段。超常。死神。──ありえないはずのものが、今、現実として、そこにいる。
Bの口元が、わずかに歪む。
「くくくくくっ」
いつも偽りだらけの笑みが、今日は自然と笑みが零れた。
──その時、風が、さっと通り抜ける。
Bがゆっくりと顔を戻すと──そこに、歩いてくる“本体”がいた。
制服に身を包み、カバンを手に持って、前を見据えて歩く男。
姿勢も顔も完璧、光すら味方にしているような“理想の青年”。
──夜神月。
何も知らないような顔で、誰にも気づかれぬまま、自分の作った世界を歩いてくる“神”の器。
Bは、フードの奥で目を細めた。
「…………見いつけた」
夕陽に照らされた二人の影が──少しずつ、近づいていく。