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10 - 最終話

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2025年04月16日

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退院してから数日が経った。けれど、まだ少しだけ、時間が止まっているような気がしていた。


朝の光が窓から差し込んでいる。

天井の模様、時計の音、布団の重み――全部、見慣れた自分の部屋のはずなのに、

なんだか少しだけ距離があるように感じる。


「……まだ、戻りきれてないのかな」


布団にくるまりながら、ぽつりと呟く。

体調は安定している。薬も、もう飲まなくていい。

でも心のどこかに、かすかに残る“あの日”の感触が、僕の動きを鈍くしていた。


誰にも頼らず、誰にも言わずに、倒れた日のこと。

あれは、単なる不注意なんかじゃなくて、僕の弱さだった。

無理してでも頑張らなくちゃ、迷惑をかけたくないって――

そんな気持ちが、いつの間にか僕を追い込んでいたんだと思う。


ピンポーンと、チャイムが鳴った。

時計を見ると、約束の時間ぴったりだった。


「……来たか」


ドアを開けると、涼ちゃんと若井が立っていた。

二人とも、変わらない笑顔だったけど、その奥に少しだけ優しさがにじんでいた。


「元貴、大丈夫?無理してない?」


「顔色、昨日よりマシだな。……でも、まだちょっと眠そうだな」


若井がにやりと笑う。

涼ちゃんは、手に紙袋を下げていた。


「ほら、朝ごはん代わり。昨日焼いたスコーンと、温かいハーブティーも持ってきたよ」


「……ありがとう。なんか、すごく嬉しい」


家に入ってもらって、3人でテーブルを囲む。

久しぶりにこうして笑っている時間が、少し不思議だった。

つい最近まで、ベッドに寝たきりだったなんて信じられないくらい、

空気が穏やかで、優しかった。


「元貴、まだ本調子じゃないんだから、今日も作業は少しだけな」


若井が言うと、涼ちゃんも頷いた。


「うん、今日はちょっとした打ち合わせだけ。無理はさせないよ」


「ありがとう、二人とも……なんか、ほんとに」


言葉が詰まった。

なんて言えばいいのか分からなくて、手にしていたカップをぎゅっと握る。


「ひとりで倒れたあの日、すごく怖かったんだ」


ぽつりと零したその言葉に、二人は黙って耳を傾けてくれた。


「動けなくて、声も出せなくて……でも、誰にも頼りたくなくて。

そうやってひとりで全部抱えてたの、すごく愚かだったなって、今になって思う」


カップの中で、ハーブティーの香りがゆらゆらと立ち上っていた。

その香りが、今の自分に優しく寄り添ってくれる気がした。


「でも、二人が来てくれて、僕のこと見つけてくれて、本当に救われた。

ありがとう。……ほんとに、ありがとう」


涼ちゃんが、そっと笑った。


「元貴が無事で、ほんとによかったよ。

あのとき、変だって思ってよかったって、心から思ってる」


若井も、腕を組みながらうなずく。


「元貴が倒れてもなお、連絡してこなかったことに関しては一生ネタにするけどな」


「……それ、感謝の気持ち消えるやつじゃん」


「いいんだよ、それで笑ってくれるなら」


そう言って、若井は少しだけまぶしそうに笑った。

僕も、なんだか胸の奥があたたかくなって、小さく笑い返す。


それから数時間、ゆっくりと作業をした。

音楽を流しながら、少しだけ歌詞を確認したり、新しいアイデアを出し合ったり。

特別なことはしなかった。

ただ、“いつもの僕たち”を少しずつ取り戻していく時間だった。


夕方になって、二人が帰る時間が近づく。

玄関先で涼ちゃんが振り返った。


「無理しないでね。またすぐ来るから」


「明日も顔色チェックしに来るからな」


「はいはい……ありがとう。ほんとに」


二人の背中が見えなくなるまで見送って、

僕は静かに部屋に戻った。


窓の外は、夕焼けが街を赤く染めていた。

少しずつ、世界が夜に向かっている。

でも、怖くない。


僕は、もうひとりじゃない。

もしまた何かがあったとしても、ちゃんと声を上げられる気がする。

頼ってもいいんだって、そう思えるようになった。


部屋の真ん中で立ち止まり、そっと息を吐いた。


「……ただいま」


誰にでもなく、静かにそう呟いた。

この言葉は、僕自身へ向けたもの。

ひとりで抱え込んだ心に、やっと帰ってきたような気がした。


どこかで、携帯の通知が鳴った。

涼ちゃんからのメッセージだった。


『今日の紅茶、合ってた?明日また違うの持ってくね』


その後すぐに、若井からの追撃。


『スコーン、俺の分は!?って思った。次は俺んち集合な』


画面を見ながら、また小さく笑った。

明日もきっと、この笑顔が続いていく。

少しずつ、日常が戻ってくる。


大丈夫。

僕は、ちゃんとここにいる。


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