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橘靖竜
第202話 特別ゲスト
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
黒い亀裂の奥で、何かが動いた。
ハレルは主鍵を握りしめたまま、その奥を見ていた。
リオは副鍵を構え、アデルは外周線を支え続けている。
ヴェルニは腹を押さえながらも、ジャバから目を離さなかった。
パイソンは校庭の中央に立っている。
その表情は変わらない。
冷静で、丁寧で、どこか人間を配置図の一部として見ているようだった。
ジャバが苛立った声を出す。
「おい、まだ何か出すのかよ」
「必要な駒を呼ぶだけです」
パイソンは静かに答えた。
「駒だと?」
「ええ」
パイソンは黒い亀裂へ視線を向ける。
「特別ゲストです」
その言葉と同時に、亀裂の奥から白い足が出た。
黒い影ではない。
獣でもない。
人の足だった。
次に、細い腕。
肩。
顔。
ハレルの呼吸が止まった。
「……レア?」
リオも目を見開く。
そこに現れたのは、レアだった。
けれど、違う。
最後に学園から消えた時のレアではない。
サキに「戻る場所があるのか、見てくる」と言ったレアではない。
もっと冷たい。
豪華客船で初めて出会った時のような、不気味な笑み。
だが、あの時よりさらに感情が薄い。
人を揺らして楽しむ余裕すら消え、ただ命令を実行するためだけに作られた刃のようだった。
片目の奥に、黒い文字列が走っている。
頬から首筋へ、細い影の線が流れている。
指先には、淡い光刃が生まれかけていた。
ハレルは一歩前に出る。
「レア、何があった」
レアは答えない。
パイソンが代わりに言った。
「再定義しました」
その言葉に、リオの顔が険しくなる。
「再定義?」
「彼女は自由を求めました」
パイソンは静かに続ける。
「ですが、自由という役割は不安定です」
「ならば、より安定した役割へ戻せばいい」
アデルが低く言う。
「道具に戻したのか」
「いいえ」
パイソンは首を傾ける。
「最適化です」
ヴェルニが吐き捨てる。
「最低な言い方だな」
レアが、そこで初めて口を開いた。
「私は」
その声は、乾いていた。
「カシウス様のもの」
校庭の空気が凍った。
ハレルは歯を食いしばる。
「違う」
レアの黒い片目が、ゆっくりハレルへ向く。
「命令を実行します」
次の瞬間、レアの姿が消えた。
いや、消えたように見えた。
速い。
リオが叫ぶ。
「ハレル!」
ハレルは咄嗟に主鍵を前へ出す。
「一点固定――〈固定界〉!」
白い光が立つ。
だが、レアの光刃は、その一点をすり抜けるように横へ滑った。
ハレルの腕に、細い切り傷が走る。
「っ!」
リオが副鍵を振る。
「〈光刃・第三級〉!」
レアは体をひねり、リオの光刃を紙一重で避ける。
その動きには、迷いがない。
人間らしいためらいも、呼吸の揺れもない。
まるで、攻撃される角度も、避ける位置も、最初から決まっていたようだった。
パイソンが静かに言う。
「攻撃予測を組み込んでいます」
「以前より反応速度は上がっています」
リオが低く唸る。
「ふざけるな」
ジャバはそれを見て、つまらなそうに肩を鳴らした。
「なんだよ。結局、そいつにやらせるのか」
「あなたは正面を崩してください」
パイソンは答える。
「彼女は、内側を切ります」
ジャバは笑った。
「なら、派手にやるか」
彼の周囲に、また影獣が生まれる。
レアの光刃。
ジャバの影獣。
パイソンの構文。
三つの圧が、同時に校庭へ広がった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館の中では、床の光が大きく揺れた。
サキは名前確認の紙を握ったまま、顔を上げる。
「今の……」
ノノの声がイヤーカフから飛び込んできた。
『サキ、落ち着いて聞いて』
『校庭に人型反応』
『黒影と光刃反応が混ざってる』
サキの胸が、嫌な形で跳ねた。
「誰?」
ノノはすぐに答えなかった。
その沈黙で、サキは分かってしまった。
「レアなの?」
体育館の端で、記録用の光具が強く震えた。
ダミエがそちらを見る。
「反応が繋がった」
サキは一歩踏み出す。
「レアが来たの?」
ノノの声が苦しそうに返る。
『……似てる』
『でも、前の反応じゃない』
『黒い構文が中に入ってる』
『パイソンに再定義されてる可能性が高い』
サキは紙を握りしめた。
「再定義って……」
ダミエが低く言う。
「役割を上書きされたということだ」
「そんな」
体育館の外から、金属が裂けるような音が響いた。
続いて、ハレルの苦しそうな声。
リオの叫び。
ジャバの笑い声。
サキはもう立っていられなかった。
「私、行く」
ダミエが即座に言った。
「駄目だ」
「でも、レアが!」
「今ここを離れれば、体育館の名前確認が崩れる」
サキは振り返る。
体育館の中央には、生徒たちがいる。
先生たちがいる。
みんな不安そうにサキを見ている。
自分がここを離れたら、確かに名前確認は揺れる。
でも、校庭にいるレアをそのままにできない。
その時、青山先生が立ち上がった。
「雲賀さん」
サキは驚いて見る。
青山先生は、まだ顔色が悪い。
けれど、声はしっかりしていた。
「ここは、私たちで続けます」
「でも」
「あなたがここまでやり方を教えてくれました」
青山先生は生徒たちを見る。
「名前を先に。役割はあと。
一人で返事をするだけでなく、周りも名前を呼ぶ」
小森ハルカが震えながらも言った。
「できます」
内田ソウタも頷く。
「サキさん、行ってください」
サキは言葉を失う。
ダミエは少しだけ目を伏せた。
「……名前確認は教師へ引き継ぐ」
「私は体育館結界を保つ」
「ノノ、補助できるか」
ノノの声が返る。
『できる』
『体育館内は、青山先生中心に切り替える』
『サキは校庭へ移動して』
『ただし、一人で突っ込まないで。先生たちの出口側から、王都兵に護衛してもらって』
ダミエはサキを見る。
「行くなら、呼びに行け」
「戦いに行くな」
サキは強く頷いた。
「うん」
ダミエは短く言った。
「レアを役割で呼ぶな」
「分かってる」
サキは体育館の出口へ走った。
背後で、青山先生の声が聞こえる。
「私は、青山和子です」
「三年二組の担任です」
「今、体育館中央にいます」
生徒たちの声が続く。
「小森ハルカ、ここにいます!」
「内田ソウタ、ここにいます!」
その声を背中に受けながら、サキは校庭へ向かった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
レアの光刃が、ハレルの固定界を削った。
白い光と薄い刃がぶつかり、火花のように散る。
ハレルは歯を食いしばる。
「レア! 聞こえるか!」
レアは答えない。
「命令対象、排除」
その声が、あまりにも冷たかった。
リオが横から踏み込む。
「お前、そんな喋り方じゃなかっただろ!」
レアはリオを見る。
「副鍵、優先対象」
「くそっ」
レアの光刃が、リオの右腕へ向かう。
副鍵を狙っている。
リオは避けながら光盾を出す。
「〈光盾・第二級〉!」
光盾が刃を受ける。
だが、レアは盾に当てた瞬間、刃の角度を変えた。
盾の端を滑り、副鍵の腕輪へ向かう。
ハレルが固定界を打つ。
「一点固定――〈固定界〉!」
白い光が、リオの腕の前に立つ。
レアの刃が止まる。
しかし、その瞬間、パイソンの黒い文字が光に絡む。
if protect == subkey。
delay。
固定界の発生が、わずかに遅れる。
刃がリオの腕輪をかすめた。
「っ!」
リオが後退する。
副鍵は壊れていない。
だが、細い傷が腕輪の表面に走った。
アデルが外周を支えながら叫ぶ。
「リオ、腕を下げるな!」
「分かってる!」
ヴェルニはジャバとぶつかり合っていた。
「おい、そっちにまで手ぇ回んねえぞ!」
ジャバが笑う。
「それが狙いだろ!」
ジャバの拳がヴェルニの炎を突き破る。
ヴェルニは腕で受けるが、また後ろへ押される。
王都兵たちが槍列を作る。
影獣がその隙間へ突っ込む。
アデルは外周を支えながら、兵士たちへ指示を飛ばす。
「槍列、右へ寄せろ!」
「術師二名、校舎側へ!」
「外周線を空けるな!」
だが、パイソンの構文が次々と差し込まれる。
if guard == line。
return gap。
守ろうとした場所に隙間が生まれる。
支えようとした線が、別の方向へ逃げようとする。
ノノの声が飛ぶ。
『パイソンの干渉、増加!』
『レアの攻撃、ハレルとリオの鍵を狙ってる!』
『ジャバは外周、パイソンは条件、レアは鍵!』
『三方向同時!』
ハレルは荒い息を吐く。
「分かってる……!」
分かっている。けれど、体が追いつかない。
レアの刃が速すぎる。
ジャバの圧が重すぎる。
パイソンの構文が邪魔すぎる。
レアが再び踏み込む。
今度は、ハレルの首元へ刃が伸びた。
リオが叫ぶ。
「ハレル!」
その瞬間だった。
「レア!」
校庭に、サキの声が響いた。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭入口・朝】
サキは、体育館の出口から校庭へ出ていた。
王都兵の一人が前に立ち、サキを守るように盾を構える。
だが、サキの目はレアだけを見ていた。
レアの刃が、ハレルの首元で止まっている。
本当に、ほんの一瞬だけ。
レアの黒い片目が、ゆっくりサキへ向いた。
サキは息を切らしながら叫ぶ。
「レア!」
レアは無表情に答えた。
「対象外」
「違う!」
サキは一歩踏み出す。
「私は対象じゃない!」
「サキだよ!」
「雲賀サキ!」
ハレルが叫ぶ。
「サキ、下がれ!」
「下がらない!」
サキはレアを見たまま言った。
「レア、聞こえてるんでしょ!」
「あなた、自分の道を探しに行ったんでしょ!」
「カシウスのものなんかじゃない!」
パイソンが静かに手を上げる。
「余計な入力です」
黒い構文がサキの足元へ伸びる。
if caller == interference。
silence。
サキの声を奪おうとする黒い文字。
ダミエの声がイヤーカフから飛ぶ。
『サキ、名前!』
サキは叫んだ。
「雲賀サキ!」
「ここにいる!」
黒い文字が一瞬だけ止まる。
続いて、ハレルが叫ぶ。
「雲賀ハレル、ここにいる!」
リオも続く。
「一ノ瀬涼、ここにいる!」
アデルが言う。
「アデル、外周を支えている!」
ヴェルニが叫ぶ。
「ヴェルニ、まだ倒れてねえ!」
名前が重なる。
パイソンの構文が、わずかに乱れた。
だが、レアの目の奥には、まだ黒い文字列が走っている。
レアは、再び刃を構えた。
「命令を続行します」
サキの顔が歪む。
「違うよ……」
その声は震えていた。
けれど、サキはもう一歩踏み出した。
「あなたは、命令じゃない」
「レアでしょ」
レアの指が、ほんの少しだけ震えた。
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
日下部の画面に、異常な反応が出ていた。
《UNKNOWN HUMAN-SHADOW MIX / ACTIVE》
《KEY TARGETING / DETECTED》
《NAME INTERFERENCE / RESISTED》
《SCHOOL RETURN LINE / UNSTABLE》
日下部が叫ぶ。
「校庭に人型反応!」
「ハレルさんとリオさんの鍵が狙われています!」
「サキさんが体育館から校庭へ移動!」
木崎が顔を上げる。
「サキが?」
「はい」
「名前干渉に対抗しています」
城ヶ峰は険しい顔で森を見る。
「現実側から支援できるか」
日下部は画面を操作する。
「外周線を落とさないことが支援になります」
「いま現実側の線が切れたら、校庭側の負荷が跳ね上がります」
木崎は無線を取った。
『全班、外周維持』
『向こうでサキが名前を繋いでいる』
『こちらは線を落とすな』
森の奥で、校庭の影が強く揺れた。
その中に、一瞬だけ白い光刃が見えた。
木崎はカメラを構えたまま、低く言う。
「今度は、あの子を名前で引き戻す戦いか」
◆ ◆ ◆
校庭に、レアが現れた。
だが、それは自由を探しに行った彼女ではなかった。
パイソンによって再定義され、カシウスのものとして戻された、冷たい刃だった。
レアはハレルとリオの鍵を狙った。
ジャバは外周を壊そうとした。
パイソンは戦場の条件を書き換えた。
三つの攻撃が重なり、学園帰還の準備は大きく揺らいだ。
体育館にいたサキは、名前確認を教師たちへ託し、校庭へ向かった。
レアを止めるために。
命令ではなく、役割でもなく、名前で呼ぶために。
「あなたは、命令じゃない」
「レアでしょ」
その言葉に、レアの指がわずかに震えた。
だが、黒い文字列はまだ彼女の目の奥で走り続けていた。
コメント
1件
うわっ、レア……戻ってきたけど、完全に書き換えられてる……。あの冷たい口調と「カシウス様のもの」って台詞、めっちゃ胸に刺さった。サキが「レアでしょ」って呼びかけた瞬間、ちょっと指が震えたところで泣きそうになった。三人同時のプレッシャーもすごいし、体育館のみんなが名前確認を引き継いだ場面も熱かった。続きが気になりすぎる……!