「らん!こっち!」
『わ!まってよ!いるま!なつ!』
「らんおっせー!」
物心ついた頃には既にずっと傍にいた俺らは、いつも近所の公園で遊んだ。
柔らかいボールを全員で必死に追い掛けて、転んで、怪我して、たまに喧嘩したりもしたけれど皆楽しそうに笑い合った。
帰る頃には体も服も砂埃で真っ黒になってて、いつもいるまとなつのママに三人揃って怒られた。
そのまま三人でお風呂に入って、背中を洗いっこして着替えてリビングに行けば、いつもヨーグルトをくれた。
ふかふかのソファーに並んで、甘くて食べやすいヨーグルトを口に含んでいく。
次は何しよう
あのときの○○が面白かった
そんな話で盛り上がりながら食べて、気付いたら皆で体を寄せ合って眠りについた。
それが幼い頃の俺にとっての当たり前だった。
でも、いるまが小学校に上がってから少しずつ三人で遊ぶことは減った。
三人の中で一番上だったいるまは俺にとってもお兄ちゃんみたいで、助けてくれたり譲ってくれたりする事が結構あった。そんな弟みたいな俺達よりも対等な関係で、趣味も合う新しい友達と遊んだほうが楽しかったのだろう。
俺はなつと二人で遊ぶことが増えた。それはそれで楽しかったのは事実。
でもそれでも、寂しいって思ってしまっていたのも事実だった。
俺も小学校に上がれば、勉強やら日直やらで忙しくなった。そして三人どころかなつと二人で遊ぶ事さえも殆ど無くなっていった。
幼い頃の俺の当たり前は簡単に壊れてしまったのだった。
…当たり前は簡単に崩れさってしまう。
三人で遊ぶ毎日も
笑顔で登校することも
友達という存在がいることも
家族三人で食卓を囲むことも
父親が生きていることも
もう全部崩れさってしまった。
『…ごちそうさまでした』
いつの間にか容器の中にヨーグルトは入っていなかった。
俺が残した殆ど手を付けてないパンは、なつの胃の中に入り、冷めきったカフェオレはいるまがこくこくと喉に流していた。
懐かしい味は、楽しい思い出も苦い思い出も全部を思い出してしまう。
これらを経て今がある…だなんて言葉も今が幸せな時にしか有効ではない。
今が幸せじゃない今、俺は何を感じれば良いのだろう。
「いるまヨーグルトまだある?俺も久しぶりに食べたい」
「あるけど、、らんの為に買ったんだけど」
『俺は大丈夫だよ。なつ食べな』
「やった」
「よっしゃ」って大袈裟にガッツポーズしたなつは、冷蔵庫からヨーグルトを取り出して口に含む。
「うっわ、まじ懐かしい」
なんて羨ましいくらい楽しそうななつに笑みを溢した。
「昔よく食べたよな〜。懐かしい。また三人で遊ぶか?w」
「もう高校生と大学生だぞ、流石に」
…この光景、見たことある。
二人の優しい笑顔が、何でもない話が、この光景が昔の俺らとリンクした気がした。
あぁ、そっか
当たり前の日常は簡単に崩されてしまう。
でも、長い年月を掛けて出来上がった絆も、頭の中に残った思い出も崩されることはなかった。
俺がいて、なつがいて、いるまがいて
3人で一緒に笑ってる今が昔から変わらずここにあって、3人で遊んだ記憶も怒られた記憶もある。
父親との思い出だってそうだ。
新しい思い出が作られることはこの先一生無いだろう。もう二度と話すこともできない。
でも、だからといって今までの思い出が全部消えるわけじゃない。
『なつ、ありがと。』
「なんだよ急にw」
『内緒』
「はぁ?お前w」
そう言いながら笑うなつの表情は10年以上前から変わっていなかった。
コメント
2件
ほんとに最高すぎます😭😭 続き待ってます…!!!