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#ご本人様とは一切関係ありません
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あんにんどう腐(ゆ腐)
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さくら(皇千ト君最推し)
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2件

私はこちらの小説を最初自分の中で勝手にAfterthought という曲のイメージで読ませていただいて聴いていました。 ですが今の2人はその曲のような重苦しさが少なくなり、作中2曲の相手を恋焦がれるようなラブソングが似合う2人になっていっていることがとても嬉しいです😭
うわ、このエピソード……すごく良かったです。 お互いに“おすすめの曲”を選び合うって、もうそれだけで心が近づいてる証拠ですよね。タイキの「Lay Me Down」もルイの「Love Me Like You Do」も、選んだ曲にその人の今の想いが全部詰まってて、言葉より雄弁だなと。 特に別れ際、触れそうで触れなかったあの距離感。触れなかったからこそ残る“あと少し”の余韻が、すごくリアルで苦しくて、でも甘くて。二人ともちゃんと変わろうとしてるのが伝わってきて、次のオフが待ち遠しくなりました。
ある日のスタジオは、朝から少しだけ慌ただしかった。
大型ライブ前の詰めリハ。
振りの細かい修正に、立ち位置の確認。
スタッフの声と音源の頭出しが何度も繰り返される。
鏡の前に並んだ五人の空気は、ちゃんと仕事の顔をしている。
でも、その裏側にあるものまで全部消えているわけじゃない。
ルイはそれを、自分の胸の奥でいちばんよく知っていた。
昨日の帰り道。
公園のベンチ。
袖を引かれたこと。
「嫌じゃない」と言われたこと。
その全部が、まだ静かに残っている。
タイキは今日もいつも通りに見える。
ラフな格好で、スタッフの話を聞いて、音が入ればちゃんと切り替える。
でもルイには、もう“いつも通り”の中の違いが見える。
見えるから、余計に落ち着かない。
一本目の通しが終わって、短い休憩に入る。
「五分で戻ります!」
スタッフの声が飛ぶ。
カノンが「死ぬー」と言いながら床に座り込み、ゴイチがその横でタオルを投げる。
アダムはペットボトルの蓋を開けながら、静かにモニターの方を見ていた。
ルイは鏡の前で首元の汗を拭いて、それから水を取りに行こうとした。
その時。
「ルイ」
名前を呼ばれて、足が止まる。
振り返ると、タイキが少しだけ離れた位置に立っていた。
タオルを首にかけたまま。
でも顔は、昨日の夜の余韻を少しだけ残してるみたいに静かだった。
「何」
ルイが返す。
タイキは一度だけ視線を逸らして、それからまた戻す。
「レコード店さ…」
そこまで言って、少しだけ間。
「また行きたい」
ルイの呼吸が、そこでほんの一瞬だけ止まる。
また。
あまりにも自然な言い方だった。
何でもない提案みたいに。
「今度、飯どうする」とか、「休憩中に水取ってきて」みたいな温度で。
でも、その“また”がルイにはちゃんと刺さる。
「……は?」
思わず、少し間の抜けた声が出る。
タイキはそこで少しだけ眉を寄せた。
「何その反応」
「いや」
ルイは小さく息を吐く。
「急だったから」
タイキは「ふーん」とだけ言って、タオルの端を指でいじる。
それから、できるだけ何でもないふうに続けた。
「この前の店」
「また、見たいのあったし」
少し間。
「おすすめの曲」
そこで、タイキはほんの少しだけ目を逸らす。
「考えていい?」
ルイは完全に言葉を失った。
おすすめの曲。
その響きが、やけに静かに胸へ落ちる。
ただ“また行かね?”だけでも十分だったのに、その先にそんな言葉まで置かれるなんて思っていなかった。
高校の頃みたいだ、と一瞬思う。
いや、違う。
高校の頃よりずっとずるい。
あの頃は何も考えずに、「これ聴いて」で済んだ。
でも今は違う。
“おすすめの曲、考えていい?”には、ちゃんと“お前のために選ぶ”が含まれている。
それがわかるから、ルイの胸の奥がうるさい。
タイキはそんなルイを見て、少しだけ首を傾げる。
「……ダメ?」
その聞き方がまた、反則みたいに自然だった。
ルイはそこでようやく我に返る。
「ダメなわけないだろ」
少し早口になる。
自分でも、今の返しはちょっと余裕がなかったと思う。
でも整える暇もなく、タイキが少しだけ笑った。
「ならよかった」
その顔が、前より少しだけ柔らかい。
ルイは思わず視線を逸らしたくなる。
でも逸らしたら負けな気がして、なんとか持ちこたえる。
「……考えるの、お前の方なのに」
「何でこっちがそんな確認されんだよ」
タイキはペットボトルを口元に運びながら、少しだけ目を細めた。
「一応」
「勝手に押しつけんのも違うかなと思って」
その言い方に、ルイの胸がまた静かに鳴る。
そういうところまで変わったのか、と。
いや、変わったというより、ちゃんと選ぶようになったんだろうと思う。
前ならもっと雑だった。
気に入った曲があれば、勝手に聞かせていたかもしれない。
でも今のタイキは、“考えていい?”と聞く。
それがどれだけ大きいか、ルイにはよくわかった。
「……考えてくれんの」
小さく溢れる。
タイキが少しだけ不思議そうに見る。
「行きたいって言ったの俺だから」
何でもない顔でそう返す。
でも、その何でもない顔の奥に、ちゃんとまだ続きがあるのをルイは見逃さない。
ルイは小さく息を吐いた。
「じゃあ」
少し間。
「俺も考える」
タイキが「ん」と返す。
「お前に聞かせたいの」
その一言に、今度はタイキの方が少しだけ黙る。
耳の奥まで熱くなるのを、たぶん隠しきれていない。
「……別に」
「それは、好きにすれば」
ぶっきらぼうな返事。
でも、その温度は嫌じゃない。
むしろ今のタイキには、それくらいがちょうどよかった。
少し離れたところで、カノンがその空気を感じ取ったみたいにゴイチの腕を肘でつつく。
「なぁ、今の聞いた?」
小声。
ゴイチは前を見たまま、口元だけで少し笑う。
「あぁ」
アダムはそんな二人の横で、静かにペットボトルを傾けていた。
何も言わない。
でも、その視線はちゃんとルイとタイキを見ている。
「戻りまーす!」
スタッフの声が響く。
タイキが「じゃ」と短く言って、先に立ち位置へ戻る。
ルイはその背中を数秒だけ見てから、自分も歩き出した。
おすすめの曲、考えていい?
その言葉が、まだ胸の奥で静かに響いている。
ルイは位置につきながら、小さく目を伏せる。
(……やばいな)
たったそれだけの言葉で、今日一日の機嫌が少し決まりそうなくらいには、やばかった。
どうしようもなく嬉しい。
鏡の中でタイキが前を向く。
ルイも前を見る。
仕事の顔に戻る。
それでも、さっき交わした短いやり取りが、二人の間にちゃんと残ったまま。
次のレコード店。
次のおすすめ。
次の“また”。
その続きがあると思えるだけで、スタジオの空気はほんの少しだけ軽かった。
タイキ宅。
夜の部屋で、タイキはベッドの上に胡座をかいていた。
スマホを片手に、もう片方の手で髪をかき上げる。
画面には、プレイリストが何個も並んでいた。
次のオフ。
レコード店。
“おすすめの曲、考えていい?”って自分で言ったくせに。自分が選んでルイに聞かせるって言うことが意味を持ってしまうようで、今更になって胸の内が落ち着かない。
「……何にしよう…」
小さく呟く。
明るい曲は違う。
軽すぎるのも違う。
洒落ただけの曲も違う。
ルイに聞かせるなら、ちゃんと今の自分が入ってる曲がいい。
でも。
“ちゃんと今の自分”なんて、考え始めたら一番面倒だった。
ルイが好きだとか。
それはもう、認めてる。
でも今のタイキの中にあるのは、好き、だけじゃない。
苦しかった時間もある。
触れられてしんどかった記憶もある。
そのくせ、今は少し触れたいと思ってる自分もいる。
全部が混ざっていて、どの曲も少しずつ違う。
タイキは画面をスクロールする。
一曲再生して、少し聞いて止める。
また別の曲に飛ぶ。
でも、どれも違う。
もっと真っ直ぐなラブソングもある。
もっと甘い曲もある。
でも今の自分がルイに渡したいのは、そういう“完成した恋”じゃない。
好きで。
寂しくて。
会いたくて。
でも簡単に触れられる位置にはまだ立ってない。
その感じをどう言えばいいのか、タイキはまだ自分でもわかっていなかった。
ふと、指が止まる。
ある洋楽のR&Bだった。
画面の上に並ぶタイトルを見て、タイキは少しだけ目を細めた。
「……あ」
そのままタップする。
イントロが流れ始めた瞬間、タイキの呼吸が少しだけ止まる。
部屋の空気が変わる。
派手じゃない。
でも、静かに胸の奥へ入ってくる。
寂しさと、どうしようもなさと、隣にいたいっていう気持ちが、無理に飾らずにそこにある。
タイキはスマホを少しだけ見つめたまま、動かない。
「……これ」
小さく言う。
歌詞をちゃんと追わなくても、もうわかる。
この曲の中にある感情は、今の自分に近い。
会えない時間が暗く感じること。
隣にいたいこと。
触れたいこと。
離れてると、変に胸の中が空くこと。
その曲は、愛する人を失ったあとも、まだ心だけがその人の隣に残っているような歌だった。
もう戻れないと分かっていても、最後にもう一度だけ隣で眠りたい。
そんな、諦めきれない愛の祈りみたいな歌。
それは今のタイキが、まだうまく言葉にできない気持ちそのものだった。
ルイにこれを聞かせるって、かなり熱い。
自分でもそう思う。
重いかもしれない。
わかりやすすぎるかもしれない。
これを“おすすめ”として渡すのは、ほとんど半分告白みたいなものだ。
「……いや、でも」
タイキはベッドに背中を預ける。
天井を見ながら、流れる声を聞く。
でも、これくらいでいいのかもしれないとも思う。
今のルイには、たぶんこれくらいじゃないと届かない。
いや、違う。
届く届かないじゃなくて、これくらいじゃないと今の自分を渡せない。
もっと軽い曲なら、逃げられる。
“ただ好きな曲なんだよね”って顔もできる。
でもこの曲は無理だ。
選んだ時点で、自分がどこにいるか少しバレる。
それが、逆によかった。
今のルイはちゃんと見ている。
タイキの言葉も、間も、触れ方も。
だったら、自分も少しはちゃんとしたものを返したい。
タイキはスマホを胸の上に置く。
ルイの顔が浮かぶ。
レコード店で、ヘッドホンを分けて聞いてた横顔。
「本気」と即答した声。
「それ、聞けただけで充分」と言った時の目。
そして、“罰だから”と静かに言った帰り道。
あの顔を思い出すと、この曲は余計に合ってしまう。
ルイはたぶん、タイキが何を選ぶかちゃんと聞く。
流し聞きなんかしない。
だから余計に、変な曲は渡せない。
「……これ、ルイに聞かせたら」
タイキはそこで少しだけ口元を押さえる。
たぶん、あいつ黙る。
で、変に静かになって。
でもちゃんと受け取る。
それが想像できてしまうのが、また少しだけくすぐったい。
「ずる……」
誰に向けた言葉か、自分でもわからない。
曲か。
ルイか。
それとも、この曲を選んでしまう自分か。
タイキはもう一度最初から再生する。
今度は目を閉じて聞く。
音が流れて、胸の奥にあるものを少しずつなぞっていく。
呼び出されて。
振り回されて。
好き勝手されて。
それでも離れなかったこと。
あれだけ傷ついてたのに、今はルイが嫉妬したと認めただけで嬉しかったこと。
欲より自分を選んだことに、少し救われたこと。
そして今、また会う時間のために、こんな曲を選んでること。
全部、綺麗じゃない。
でも嘘じゃない。
タイキは目を開けた。
「……これにするか」
その声は、思っていたより静かだった。
決めた瞬間、少しだけ怖くなる。
本当にこれを渡すのか、って。
でも、もう別の曲に逃げる気もしなかった。
これが今の自分だ。
まっすぐ“好き”だけじゃない。
寂しさも、執着も、触れたい気持ちも、ちゃんと混ざってる。
それごとルイに渡せる曲がこれだった。
タイキはスマホを握りしめたまま、小さく息を吐く。
「…どういう顔すんだろ」
少しだけ笑う。
それを想像する時間すら、今は嫌じゃなかった。
ルイ宅。
部屋は静かだった。
ベッドの上にスマホを置いたまま、ルイはソファに浅く腰をかけている。
画面には、いくつかのプレイリストが並んでいた。
次のオフ。
レコード店。
タイキが「おすすめの曲、考えていい?」と聞いてきた夜から、ルイの中でも同じ問いがずっと残っている。
タイキに聞かせたい曲…
ただ好きな曲じゃ足りない。
でも、あまりに露骨すぎても違う。
タイキはきっと、ちゃんと聞く。
何を選んだのか。
どういう気持ちで持ってきたのか。
そこまで全部、たぶん見ようとする。
だからこそ、ごまかしの選曲はしたくなかった。
ルイは何曲か流して、止める。
また別の曲へ飛ぶ。
違う。
それも違う。
もっと静かな曲もある。
もっと大人っぽく整った曲もある。
でも今の自分は、そんな綺麗な場所にいない。
好きだと気づいて。
触れたいのに止まって。
止まってるくせに、タイキが少しでも触れてくると心臓が鳴る。
救いみたいに思う瞬間もあるのに。
同時に痛みもちゃんとある。
その、どうしようもない混ざり方を持った曲が欲しい。
ルイは指を止める。
画面に出たタイトルを見た瞬間、小さく息が漏れた。
ある洋楽の主題歌だった。
「……あぁ」
そのまま再生する。
音が流れ始めた瞬間、ルイは視線を落とした。
これだ、と思った。
甘いだけじゃない。
欲しいだけでもない。
触れたいのに、怖い。
怖いのに、欲しい。
救いでもあって、痛みでもある。
その曲は、ただ甘い恋の歌ではなかった。
相手に触れられるたび、自分の世界の色が変わっていくような歌だった。
怖いのに離れられない。
もう自分では止められないくらい、誰かを求めてしまう恋の歌。
今の自分の中にあるものを、ずいぶん正確に言い当てられてる気がした。
ルイはソファの背にもたれる。
タイキにこれを渡すのは、かなり熱い。
わかりやすすぎるぐらい。
たぶん、聞いたら伝わる。
俺がまだどれだけお前に触れたいと思ってるか。
でも、その“触れたい”を勝手に使わないようにしてることも。
その矛盾ごと、今のルイだった。
「……重いか」
小さく呟く。
でも、画面を閉じる気にはならない。
どうせもう、好きだって言ってしまった。
嫉妬も認めた。
欲よりタイキを選ぶって、自分でも知ってる。
もうとっくに自分に隠せてることなんてもうなくて。
だったら、その欲がまだちゃんとあることまで、今さら隠す必要もないのかもしれない。
ルイは画面のタイトルをもう一度見た。
「……これだな」
その声は、思っていたより静かだった。
決めた瞬間、少しだけ怖さもあった。
でもそれ以上に、妙にしっくりくる。
タイキがこれを聞いて、どういう顔をするのか。
少し困るのか。
黙るのか。
それとも、ちゃんと刺さるのか。
そこまで想像して、ルイは小さく目を閉じた。
待ち合わせの駅前は、前回より少しだけ空が高く見えた。
昼前のやわらかい光。
駅から流れてくる人の波。
レコード店の看板が見えるいつもの場所。
ルイは今回も少し早く着いていた。
落ち着いた色味のジャケット。
シンプルだけど前回より少しだけ輪郭のある服。
細いリングと、首元に控えめなチェーン。
前より少し大人っぽい。
でも、気負ってはいない。
ルイはスマホを見たあと、ふと顔を上げる。
人の流れの中に、見慣れた姿が混ざる。
タイキだった。
白のオーバーニットじゃない。
今日は少し落ち着いた色のトップスに、緩めのパンツ。
でも、ルイの視線が最初に止まったのはそこじゃなかった。
また、メガネをかけていた。
前回、似合ってると言った、その黒縁。
ルイの喉が、小さく動く。
(……マジかよ)
心の中でそう思う。
でも、顔には出さないようにする。
出さないようにしている時点で、もう少し負けてる気もした。
タイキもルイを見つける。
今日のルイは前回より少しだけ落ち着いていて、少しだけ“ちゃんと選んできた”感じがある。
その上で、やっぱり余計なものは足していない。
目が合う。
ほんの一瞬。
それだけなのに、ちゃんと今日が始まった感じがする。
「……早」
タイキが少しだけ眉を上げる。
ルイは小さく口元を緩める。
「お前もな」
前回と似たやり取り。
でも空気は少し違う。
タイキはそこで、少しだけ視線を逸らしてから戻す。
「メガネ」
ルイが先に言う。
タイキの肩がわずかに動く。
「何」
「また、かけてんだな」
タイキはすぐに答えない。
その沈黙自体がもう答えみたいなものだった。
「……別に」
少しだけぶっきらぼうに返す。
「何となく」
ルイはそこで笑いそうになるのを少し耐える。
「そうかよ」
短く返す。
でも声は少しだけやわらいでいた。
二人はそのまま並んで歩き出す。
同じレコード店。
でも今日は、前回より少しだけ互いを見てしまう。
店に入ると、相変わらずの静かな匂いがした。
新しい紙ジャケット。
少し乾いた空調の空気。
スピーカーから流れる薄い音。
二人とも自然に奥へ向かう。
でも今日は、ただ懐かしい棚を眺めるだけじゃなかった。
“おすすめ”を渡す日だ。
自分が聞いて刺さった曲だとわかってしまう日。
それがわかっているから、どこか少しだけ緊張している。
「お前、決めたの」
ルイが棚を見ながら聞く。
タイキは少しだけ間を置いた。
「決めた」
「そう」
「ルイは」
「決めた」
短い会話。
でもその一言ずつの間に、それぞれの夜が入っている気がした。
視聴スペースの前で止まる。
タイキが先に棚から一枚手に取った。
ジャケットを表に向けて、ルイに見せる。
「これ」
ルイの目が、そのタイトルを追う。
“Lay Me Down”
一瞬、何も言えなかった。
(……うわ)
そう思う。
タイキがこれを選ぶ。
それだけで、かなり効く。
静かな寂しさ。
隣にいたい気持ち。
会えない時間の暗さ。
触れたい、じゃなくて、“そばにいたい”が先にある曲。
今のタイキ、そのものだと思った。
ルイはジャケットを見たまま、小さく息を吐く。
「お前、これ聴いてんだ…」
タイキは視線を少しだけ逸らした。
「悪い?」
「悪くはない」
ルイはそこで初めてタイキを見る。
「……すげぇ、らしいなと思って」
タイキの耳が少しだけ熱を持つのが、遠目にもわかる。
「何だよ、それ」
「そのままの意味」
ルイはそう言いながら、胸の奥が静かに鳴っているのを感じていた。
タイキはこういう選び方をする。
真正面から欲しいとは言わない。
でも、いちばん深いところを持ってくる。
“会えないと空っぽになる”みたいな寂しさを、照れずに差し出してくる。
それが、今のルイにはたまらなかった。
「聞く?」
タイキが小さく言う。
ルイは頷く。
「聞く」
ヘッドホンを分ける。
もう二回目なのに、慣れることはない。
でも前回より少しだけ自然に、二人は同じ距離に並んだ。
音が流れる。
最初の音から、ルイは何も言えなくなる。
わかっていた。
この曲が、今のタイキに似合うことは。
でも、実際にタイキの隣で、タイキが選んだ曲として聞くと、思っていたよりずっと深く入ってきた。
寂しさがある。
会いたい気持ちがある。
そばにいたいという、静かで切実な本音がある。
タイキが自分に渡したのは、たぶん“熱”より先にあるものだった。
ただ一緒にいたい。
いなくなると苦しい。
その当たり前みたいで、いちばんごまかせないところ。
ルイは前を見たまま、ほんの少しだけ呼吸を乱す。
タイキは横で何も言わない。
でも、少しだけ落ち着かない呼吸をしているのがわかる。
この曲を差し出すのは、タイキにとってもたぶん簡単じゃなかった。
曲が終わる。
二人とも、少しだけ余韻の中で黙る。
先に口を開いたのはルイだった。
「……刺さるな」
小さく、でも本音で言う。
タイキは少しだけ視線を落としたまま、「だろ」とも「そうだな」とも言わない。
ただ、静かに聞いていた。
ルイはそこで、自分の持ってきた曲を出す番だと思った。
棚の横に置いていた一枚を、ゆっくりと持ち上げる。
少し間。
タイキが目を向ける。
ルイが差し出したジャケットのタイトルを見て、タイキの指先がわずかに止まった。
“Love Me Like You Do”
タイキが、ほんの少しだけ息を詰める。
(……マジか)
そう思う。
ルイがこの曲を選ぶ。
それがどういう意味か、わからないほど鈍くはない。
甘いだけじゃない。
怖さも、痛みも、触れたい気持ちも、全部そのまま熱になってる曲だ。
それを、ルイは自分に渡す。
ルイはタイキの顔を見たまま、小さく言う。
「たぶん、今の俺は」
「こっち」
それ以上の説明はしない。
でも、その一言で十分だった。
今の俺は、こっち。
触れたい。
怖い。
でも欲しい。
理性で止まってるくせに、内側では熱が消えてない。
それを、曲にして渡してくる。
タイキは数秒、何も言えなかった。
ルイが前よりずっと正直になっているのを、最近何度も感じてきた。
好きだと言ったことも。
嫉妬を認めたことも。
触れないことを“罰”だと言ったことも。
でも、これはまた別の形で刺さる。
ルイが、まだちゃんと触れたいと思ってること。
でも勝手には触れないと決めてること。
その矛盾ごと、自分に見せてくる。
「……重くない?」
ようやくタイキが絞り出すみたいに言う。
ルイは少しだけ口元を緩めた。
「お前がそれ言う?」
その返しに、タイキは思わず少しだけ笑った。
「たしかに」
「だろ」
その会話だけで、二人の間に少しだけ空気が戻る。
でも戻ったのは軽さだけで、熱までは消えなかった。
「聞く?」
今度はルイが聞く。
タイキは一度だけ目を伏せて、それから頷いた。
「……聞く」
またヘッドホンを分ける。
さっきまでと同じ場所。
でも、今度は距離の意味が少し違う。
音が流れ始める。
タイキは最初の音から、胸の奥がざわつくのを止められなかった。
ルイがこれを選ぶんだ、と思う。
自分に聞かせたいと思った曲。
ルイが効いてる曲。
熱い。
露骨なくらいに。
でも、その露骨さが嫌じゃなかった。
むしろ、今のルイにはそれくらいがちょうどいい気がしてしまう。
視界の端にルイの横顔がある。
少しだけ目を伏せて、でも曲の中では逃げていない顔。
タイキはその横顔を見ながら、静かに思う。
この人、本当に自分の本音を曲にしたんだな、と。
触れたいのに止まってる。
怖いのに欲しい。
好きだと気づいてから、たぶんずっとそうなんだろうと思う。
それが今、歌になってこっちへ流れてくる。
タイキの喉が、小さく鳴る。
「……ずる」
音の中で、心の中だけでそう呟く。
ルイは何も言わない。
でもその沈黙がもう、十分すぎるくらいの告白だった。
曲が終わる。
また、二人ともすぐにはヘッドホンを外さない。
余韻が長い。
今の二人の本音は、言葉より先にもう曲で渡されてしまったから。
ようやくタイキがゆっくり外す。
ルイもそれに続く。
近い距離のまま、しばらくどちらも動かない。
先に口を開いたのはタイキだった。
「ルイ」
「ん」
「これ選ぶの」
少し間。
「かなり、熱いな」
ルイはそこでほんの少しだけ目を細めた。
「お前に言われたくない」
その返しに、タイキは少しだけ笑う。
でも、その笑いの奥でちゃんと刺さっている。
タイキはジャケットを見たまま、小さく言った。
「……でも」
「まぁ…嫌いじゃない」
ルイの胸が、その一言で静かに鳴る。
重いとも、ずるいとも、やめろとも言わなかった。
嫌いじゃない。
今のタイキが返せる、かなり精一杯の肯定だった。
ルイは少しだけ息を吐いた。
「そっか」
それだけ返す。
でも、その一言の中にある安堵は、たぶん隠しきれていなかった。
視聴ブースの中には、曲が終わったあとの静けさだけが残っていた。
ほんの少し前まで流れていた音の余韻が、まだ耳の奥に薄く残っている。
ヘッドホンはもう外しているのに、二人ともすぐには動けなかった。
近い。
前と同じ距離のはずなのに、さっきよりずっと近く感じる。
タイキが選んだ曲。
ルイが選んだ曲。
その中に置いた本音。
もう、何もなかった顔ではいられない空気だった。
タイキはヘッドホンを片手に持ったまま、少しだけ横目に視線をずらす。
それから、もう一度ルイを見た。
その視線が、思っていたよりまっすぐで。
ルイの胸の奥が、静かに強く鳴る。
会話が、ふっと途切れる。
優しい目をしていたルイの目は、そのままだった。
でも、タイキのその視線を受けた瞬間、瞳だけが小さく揺れた。
「……」
何か言うのかと思う。
でもタイキはまだ黙っている。
(そろそろ行くかって、声かけるだけだろ)
ルイは内心でそう思う。
それで十分だ。
今の二人には、それくらいでちょうどいい。
そう思っているのに。
タイキのその視線に捕まったまま、動けなくなる。
ルイは少し浅くなった呼吸を、一度だけ息を吸って整えた。
視線は外さない。
外したら、たぶん今ここで言わないまま終わる気がした。
「……これから先は」
ルイの声は低くて、静かだった。
タイキの目が、わずかに動く。
ルイはもう一度、やわらかい目でタイキを見る。
「俺、タイキを大事にしたい」
「今更…って、思うかもしれないけど」
その言葉は、押しつけるみたいに落ちなかった。
誓いみたいでもなく。
許しを乞うみたいでもなく。
「こういう時間。大事にしたい」
ただ、本当に今の自分がいちばんしたいことを、そのまま言葉にした声だった。
タイキは何も言えない。
胸の奥が、どくんと鳴る。
ルイはそこでようやく、ほんの少しだけ手を上げた。
でも頬にも、肩にも触れない。
触れたいところはいくらでもあるのに。
そこへは行かない。
ただ、タイキの前髪だけを整えるみたいに、指先で毛先にそっと触れた。
本当に一瞬。
撫でるというほどでもない、整えるためだけの軽い接触。
それでも。
その触れ方は、今まで知っていたルイの触れ方とあまりにも違った。
奪うためじゃない。
止めるためでもない。
自分の欲しいように動かすためでもない。
ただ、そこにある髪をそっと直すみたいな、やさしすぎる触れ方。
ルイはそのまま、タイキを見つめていた。
何も足さない。
「いい?」とも聞かない。
でも、勝手にもっと触れたりもしない。
それが今のルイの全部だった。
タイキの喉が小さく鳴る。
前髪に触れた指先は、もう離れているのに。
その一瞬だけの感触が、妙に長く残る。
「……ルイ」
ようやく名前を呼ぶ。
でも、そのあとが続かない。
ルイは少しだけ口元をやわらげた。
「うん」
その返事があまりにも静かで、タイキはまた言葉を失う。
⸻
何なんだ、と思う。
胸の奥がうるさい。
さっきまで、曲の余韻でいっぱいだったはずなのに。
今はもう、ルイの言葉と、前髪に触れた指先の感触しか残っていない。
これから先は、俺、タイキを大事にしたい。
こういう時間、大事にしたい。
その言葉が、まっすぐ胸に入ってきた。
“好き”よりも、ずっと深い気がした。
好きだと言われた時も、もちろん揺れた。
今さらだ、遅い、って思いながらも、あの言葉はちゃんと刺さった。
でも今のこれは、少し違う。
もっと静かで。
もっと覚悟みたいで。
もっと、先を見てる言葉だった。
これから先。
その響きに、タイキは息が詰まる。
今までのことを無かったことにするんじゃなくて。
好きだから欲しい、でもなくて。
この先、自分をどう扱うかを、ルイはちゃんと考えてる。
それがわかるから、余計に効く。
しかも。
触れ方まで違った。
今までなら、もっと近かった。
勝手に距離を縮めて、タイキの反応を見る前に自分の欲しいように触れていた。
でも今は、前髪だけ。
ほんの少し整えるみたいに、そっと。
あんなの、ずるいに決まってる。
強く触れられる方が、まだ怒れた。
雑に触れられる方が、まだ責められた。
でもあんなふうに、
大事にしたい
って言ったあとで、
本当に大事に扱うみたいに触れられたら。
何を返していいのかわからなくなる。
タイキは視線を少しだけ落とす。
嬉しい。
その感情を認めるのが、まだ少し悔しい。
でも、たぶんもう嘘はつけない。
嬉しかった。
怖いくらい。
自分はあれだけ傷ついてたはずなのに。
あれだけルイの一方的な触れ方にしんどくなってたのに。
今、たった一瞬前髪に触れられただけで、こんなに胸が鳴る。
それはたぶん、“触れられた”からじゃない。
ルイがどういう気持ちで触れたかが、わかったからだ。
欲しいからじゃなく。
大事にしたいから。
それが伝わってしまったから、逃げられない。
タイキは小さく息を吐いた。
見極める、って決めた。
ちゃんと見るって決めた。
だったら今のこれも、ちゃんと見ないといけない。
ルイは、ほんとに変わってる。
言葉も。
選び方も。
触れ方も。
その全部で。
それが、こんなに静かに刺さるなんて思わなかった。
(……ほんと、何なんだよ)
心の中でそう呟く。
でも、その言葉の奥には、前よりずっとやわらかい熱があった。
たぶん今の自分は、もう“ルイが好きだ”だけじゃなくて、
“こういうふうに大事にされたい”と思ってしまっている。
そこに気づいた瞬間、タイキは少しだけ目を閉じたくなった。
恋って、ほんとに面倒だ。
でも今は、その面倒さの中に少しだけ甘さが混じっていた。
視聴ブースの中は、まだ静かだった。
さっきまで流れていた音楽の余韻。
前髪に残る、ルイの指先の一瞬の感触。
それから、耳の奥で繰り返される言葉。
タイキはしばらく何も言えなかった。
ルイはそれ以上何も足さない。
ただ、やわらかい目のままこちらを見ている。
その目が逃げていないのが、余計に苦しい。
タイキは一度だけ視線を落として、浅く息を吐いた。
それから、ゆっくりルイを見る。
「……だったら」
声は小さかった。
でも、ちゃんと届く声。
ルイの目が、少しだけ揺れる。
タイキは続ける。
「途中で、やめんなよ」
ルイの呼吸が、そこでほんの少し止まる。
タイキは前みたいに逸らさない。
視線はまっすぐのまま。
「今さら、そういうこと言うなら」
少し間。
「ちゃんと最後まで、そうしろよ」
その言葉は、責めているようでいて。
でも、ほんとは違う。
“信じたい”を、まだそのまま言えないタイキなりの返事だった。
ルイは数秒、何も言えなかった。
それから、喉を小さく鳴らして言う。
「……うん」
たったそれだけ。
でもその一音が、思っていた以上に重い。
タイキはそこで少しだけ肩の力を抜いた。
全部許したわけじゃない。
好きだと返したわけでもない。
それでも今の自分が返せる、一番深いところの言葉だった。
ルイもたぶん、それをちゃんと受け取っている。
「……行くか」
タイキが少しぶっきらぼうに言う。
ルイは小さく頷いた。
「うん」
二人はようやく視聴ブースを出た。
でも、出る直前まで残っていたあの静かな熱は、たぶんどちらの胸の中にもまだ消えていなかった。
店を出ると、外はもう夕方の色に寄っていた。
昼の明るさはまだ残っている。
でも、光は少しやわらかくて、通りの影を長くしている。
二人は並んで歩き出した。
前回より自然に。
でも、さっきまでの視聴ブースの空気をそのまま抱えたまま。
しばらくは、どちらも何も言わなかった。
沈黙が苦しいわけじゃない。
むしろ、何か言うとさっきの言葉まで崩れてしまいそうで、少しだけ大事に持って歩いている感じだった。
先に口を開いたのはルイだった。
「……びっくりした」
タイキが少しだけ目を向ける。
「何が」
「お前が、ああいう返し方するの」
ルイは前を見たまま、小さく笑うみたいに息を吐く。
「もっと」
少し間。
「誤魔化されるかと思ってた」
タイキはそれを聞いて、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「誤魔化しても、どうせ分かるだろ」
「まあ、そうだけど」
「だったら意味ねぇし」
ぶっきらぼうな言い方。
でも、その中にちゃんと本音がある。
ルイはそれを聞いて、胸の奥が静かにやわらぐのを感じる。
「……そっか」
小さく返す。
少し歩いたところで、タイキがまた言う。
「ルイ」
「ん」
「今日の曲」
ルイの目が少しだけ動く。
タイキは前を見たまま続ける。
「かなり、お前っぽかった」
その言い方に、ルイは少しだけ笑いそうになる。
「それ、褒めてんの」
「半分」
「残り半分は?」
タイキは少しだけ間を置いた。
「……熱すぎる」
ルイはそこで、とうとう小さく笑った。
「お前に言われたくねぇよ」
「俺のは、まだ静かだろ」
「寂しさ全開だったくせに」
「うるさい」
二人とも少しだけ笑う。
その笑いは、今日の中でいちばん自然だった。
しばらくして、また沈黙になる。
でも今度は、気まずさじゃなく、ただ隣にいるのが自然な沈黙。
駅の手前の道に入る。
人通りはそこそこある。
でも、混みすぎてはいない。
ちょうど夕方と夜の間みたいな時間。
ルイはそこで、ふとタイキの横顔を見る。
メガネの奥の目。
少しだけ伏せられた睫毛。
歩くたびに揺れる前髪。
さっき自分が整えた、そのあたり。
見ていたら、また触れたくなる。
ルイは小さく息を詰めた。
(危な……)
内心でそう思う。
そのまま、頭の後ろを手で摩った。
ほんの一瞬、自分を誤魔化すみたいに。
欲をごまかすみたいに。
タイキはその動きに気づいて、少しだけ目を向けた。
「何」
「いや」
ルイはすぐに視線を戻す。
「何でもない」
でも、その声は少しだけ掠れていた。
タイキはそこで何も追及しなかった。
たぶん、何となくわかったからだ。
ルイが今、少し危なかったこと。
触れそうになって、自分で止めたこと。
それがわかると、胸の奥がまた静かに鳴る。
タイキはそこで、自分の手をポケットの中で少し握った。
言葉にはしない。
でも、見てる。
ルイが止まるところも。
自分を選ぶところも。
前みたいに簡単に触れないところも。
その全部が、今日の帰り道にはちゃんと見えていた。
「……ルイ」
「ん」
「お前さ」
ルイが少しだけ構える気配がする。
タイキはそれに気づきながら、でも少しだけ口元を緩めた。
「今日、ちょっとだけ」
「嬉しそうだった」
ルイの目がわずかに見開く。
「は?」
「視聴ブース出たあと」
「見てたのかよ」
「近かったからな」
ルイはそこで少しだけ言葉に詰まる。
見られていた。
そんなふうに。
それがやけに照れくさくて、でも嫌じゃない。
「……悪いかよ」
少し遅れてそう返すと、タイキは前を見たまま、小さく言う。
「悪くない」
その一言が、また胸の奥に残る。
二人はそのまま、ゆっくりとタイキの家の近くまで歩いた。
タイキのマンションが見えるところで、自然と足が止まる。
前回と同じ場所。
でも今日の空気は、前よりもう少し近い。
街灯が灯り始めていた。
通りを行く人はまばらで、二人の周りだけが少しだけ静かに感じる。
「……ここでいい」
タイキが言う。
ルイは頷いた。
「うん」
そのまま、少しだけ沈黙が落ちる。
今日の曲。
視聴ブース。
“これから先は、俺、タイキを大事にしたい”。
“途中でやめんなよ”。
全部がまだそこにある。
タイキが少しだけ視線を逸らして、それからまたルイを見る。
「今日」
小さく言う。
「ありがと」
ルイの喉が、小さく動く。
「こっちこそ」
それしか言えなかった。
本当はもっとある。
でも、今の二人にはそれくらいがちょうどいい気がする。
タイキは一歩だけ近づく。
それだけで、ルイの呼吸が変わる。
近い。
前みたいな、一方的な近さじゃない。
タイキが自分で選んで詰めた距離。
ルイはそこで動けなくなる。
タイキもたぶん、動けない。
でも、視線だけは逸らさない。
夕方から夜に変わりきる手前の光の中で、二人の間の空気がゆっくり濃くなる。
ルイは心の中で一度だけ自分に言う。
(落ち着け)
でも、無理だった。
タイキの目が近い。
少しだけ上を向いた顔。
唇が、言葉のあとにかすかに開いている。
ルイの喉が、はっきりと鳴る。
タイキも、そこで小さく息を止めた。
どちらからともなく、ほんの少しだけ顔が近づく。
本当に少しだけ。
あと少し。
その“あと少し”がわかる距離。
ルイはそこで、ほとんど反射みたいに目を伏せた。
触れたい。
すぐそこにある。
でも、ここで自分から行ったら、たぶん違う。
そう思った瞬間、タイキの呼吸がほんの少し乱れる。
それで、二人とも同時に止まった。
数秒。
長い。
でも実際はたぶん、ほんの一瞬だった。
タイキが先に、少しだけ視線を外す。
「……」
何も言わない。
ルイも言えない。
触れていない。
でも、触れる直前まで行ったことだけは、互いにわかっている。
タイキは少しだけ後ろへ下がった。
ルイの胸が、そこで静かに痛む。
でもそれは拒絶の痛みじゃない。
止まったことの痛み。
そして、今はまだそこまで行かない方がいいと、自分もどこかでわかってしまっている痛み。
タイキは小さく息を吐いて、それから少しだけ困ったみたいに笑った。
「……やば」
ルイの口元も、わずかに動く。
「うん」
それしか返せない。
でも、その“うん”だけでたぶん十分だった。
キスしなかった。
でも、したいと思った。
その事実だけで、今の二人には大きすぎるくらい大きかった。
タイキはようやく、ほんの少しだけ視線を逸らす。
「じゃあ」
少し掠れた声。
「また」
ルイは頷く。
「うん。また」
タイキは背を向ける。
数歩歩いてからも、少しだけ呼吸が浅いままだった。
ルイはその後ろ姿を見ながら、もう一度だけ頭の後ろを手で摩る。
(危な……)
今度は、さっきよりもっとはっきりそう思う。
危なかった。
あと少しで、自分はたぶん行っていた。
でも、止まった。
タイキも、止まった。
それが今はたぶん正しい。
正しいのに、胸の奥は全然静かじゃない。
タイキの後ろ姿が、マンションの灯りの方へ消えていく。
ルイはその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
キスはしていない。
でも今夜のあの一瞬は、たぶん触れた時よりずっと長く残る。
ルイはしばらくその場に立ったまま、さっきまでの距離を胸の中で何度もなぞっていた。
部屋に戻ってからも、ルイの身体にはまだ熱が残っていた。
シャワーを浴びた。
髪も乾かした。
服も着替えた。
いつもならそこでようやく一日が切り替わるのに、今日は何一つ切り替わらない。
ベッドの端に腰を下ろして、ルイはしばらく動かなかった。
静かだ。
冷蔵庫の低い音。
遠くを走る車の気配。
窓の向こうの、夜に変わった街の明かり。
それしかないはずなのに、頭の中だけがずっとうるさい。
あの最後の距離。
タイキの目。
少し上がった顔。
止まった呼吸。
あと少しで届くところまで行って、どちらも止まったあの一瞬。
「……っ」
ルイは片手で顔を覆った。
思い出しただけで、胸の奥がまた強く鳴る。
キスはしていない。
でも、していないからこそ余計に残ってる。
触れた感触はない。
ないのに、唇の手前まで行ったあの空気だけが、今もずっと身体のどこかに残っていた。
ルイは小さく息を吐く。
危なかった。
本当に。
もう少しタイキが近づいていたら。
もう少し自分の理性が遅れていたら。
たぶん、行っていた。
そのことを思い出して、さっき帰り道で頭の後ろを摩った自分の仕草まで思い出す。
(危な……)
あの時、内心でそう思ったのは本当だ。
でも、その“危なかった”の中には、止まれてよかったという安堵と、止まってしまったことへの渇きが両方あった。
ルイはベッドに倒れ込んだ。
天井を見る。
でも、見えているのはさっきのタイキの顔だった。
近かった。
あんなに近くで、タイキが自分を見ていた。
視線を逸らさずに。
しかも、嫌がっている顔ではなかった。
怖がってるわけでも、拒んでるわけでもない。
ただ、同じように止まれなくなりかけてる顔。
それが、どうしようもなくルイに効いていた。
「……何なんだよ」
小さく漏らす。
自分に向けてなのか、タイキに向けてなのか、もうよくわからない。
今日一日だけでも、何度胸を鳴らされたかわからない。
メガネ姿で来たこと。
あの曲を選んだこと。
「途中でやめんなよ」って言ったこと。
“嫌じゃない”と口にしたこと。
それから、視聴ブースでのあの顔。
全部が、少しずつルイの理性を削っていった。
でも、それでも自分は触れなかった。
触れたくてたまらなかったのに。
そこを、少しだけ誇らしく思ってしまう自分もいる。
前なら無理だった。
今の距離を、自分から壊さないなんて無理だった。
好きだと知って。
欲しいからじゃなく、大事にしたいから止まる。
そんなふうに自分が変わるなんて、少し前なら思っていなかった。
それでも、止まったからこそ苦しい。
ルイは片腕で目元を覆った。
眠れるわけがない、と思う。
キスをしていたら、こんなふうに残らなかったかもしれない。
いや、もっと残ったのかもしれない。
でも少なくとも、今みたいに“あと少しだった”という形では残らなかった。
あと少しだった。
その言葉だけで、胸の奥がずっとざわつく。
タイキも、たぶん同じなんだろうか、とルイは思う。
あの時、少しだけ困ったみたいに笑って
「……やば」って言ったタイキ。
あの声は、拒絶じゃなかった。
むしろ、同じ場所まで来てしまった人間の声だった。
そこまで考えて、ルイは目を閉じた。
同じならいい。
そう思う自分がいる。
苦しいのが、自分だけじゃないなら。
止まれなくなりかけたのが、自分だけじゃないなら。
そのことが、今夜のルイには妙に救いだった。
「……したかったな」
ぽつりと、誰にも聞こえない声で呟く。
言ってから、小さく笑う。
笑うしかない。
したかった。
本当に。
でも今は、それをそのまましない方がいいとも、ちゃんとわかっている。
それが今の自分たちの距離で。
今の自分の“罰”でもあり、選び方でもある。
ルイは深く息を吐く。
眠れない。
でも、この眠れなさは前みたいな苦しさだけじゃない。
少しだけ、甘い。
それが余計に面倒だった。
⸻
同じ夜
タイキもまた、まったく眠れていなかった。
ベッドに入ってから、もう何度目かわからない寝返りを打つ。
枕の位置を変えてみても、布団を少し蹴ってみても、何も変わらない。
変わらないのは、頭の中に残ってるものの方だ。
最後のあの距離。
ルイの顔。
近づいた視線。
止まった息。
そして、自分からも少しだけ寄っていたこと。
「……無理」
布団に顔を少し埋めたまま、タイキは小さく呟く。
やばかった。
ほんとに。
あそこでルイがあと少しだけ来ていたら。
自分が少しだけ視線を外さなかったら。
たぶん、止まれなかった。
そのことを考えるたびに、胸の奥がまた熱くなる。
タイキは目を閉じる。
前なら、あんな距離は嫌だったはずなのにと思う。
いや、正確には違う。
“前のルイの近づき方”が嫌だったんだ。
こっちの気持ちを見ないで。
自分の欲しいタイミングだけで来て。
抵抗する暇も選ぶ余地もなく近づいてくる、そのやり方が苦しかった。
でも今日のあれは違った。
ルイは止まっていた。
踏み込まずに、でも逸らさずに、自分の前にいた。
だから、自分もその距離に立ってしまった。
そこに選ぶ余地があると、こんなにも違うのかと、タイキは今さら思い知る。
「……ほんと、何なんだよ」
小さく漏れる。
今日のルイはずるかった。
“これから先は、俺、タイキを大事にしたい”なんて言われて。
前髪をあんなふうに触られて。
そのうえ別れ際には、あんな距離で止まるなんて。
全部、タイキに効くことばかりしてくる。
しかも今のルイは、それを“効かせよう”としてやってるわけじゃない。
本気でそう思って、本気で止まって、本気で近づいてる。
だから余計に刺さる。
タイキは片手で目元を押さえた。
キス、したかったのかもしれない。
そう思った瞬間、自分で少しだけ息を止める。
したかった。
たぶん、少しだけじゃない。
ルイが近づいた時、止まれなくなったのは自分も同じだった。
嫌だったら、もっと早く離れていた。
視線も逸らしていた。
でも、しなかった。
そこまで行った。
その事実が、今夜いちばんごまかせない。
「あー……」
小さく声が漏れる。
何なんだろう、これ、と思う。
あれだけ傷ついて。
あれだけしんどかったのに。
今は、ルイとキスしそうになったことが、こんなふうに残る。
しかも嫌じゃない。
むしろ、止まったのが惜しいと思ってる自分までいる。
そこに気づくと、胸の奥がまたざわつく。
でも、ルイが止まった理由もわかる。
自分も、止まった方がよかったと思ってる。
だから余計に苦しい。
今ここでキスしたら、全部が甘くなりすぎる気がした。
まだそこまでいっていいのか、自分でもわからない。
ルイを見極めるって決めたことも、傷ついた時間も、たぶん一瞬でぼやけてしまう。
だから止まった。
でも。
止まったから、こうして眠れない。
タイキはスマホに手を伸ばして、時間を見る。
まだ全然夜は長い。
ルイも起きてるんだろうか、とふと思う。
たぶん起きてる。
あの人も、今夜はきっと簡単には寝れない。
そう思うと、少しだけ呼吸が楽になる。
同じならいい。
またそう思う。
止まれなくなりかけたことも。
止まったあとに余計に残ってることも。
自分だけじゃないなら、少しだけ救われる。
タイキは天井を見る。
触れてないのに、こんなに残るなんてずるい。
でもたぶん、今の二人にはそれでよかった。
触れてないからこそ。
次がある。
次に何をどう選ぶかを、また自分たちで考えられる。
それが、今はちゃんと大事だと思える。
「……ルイ」
小さく名前を呼んでみる。
もちろん返事はない。
でも、名前を口にしただけで、胸のどこかがやわらかくなる。
タイキはゆっくり息を吐いた。
眠れない夜だった。
でもそれは、前みたいな苦しさだけの夜じゃない。
あと少しだった。
その先を知りたくなってしまっている夜。
それが、何より厄介で。
何より恋っぽかった。