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井野匠
るるくらげ
セレスティア魔法学園の寮庭園は、午後の陽光が柔らかく木漏れ日を作っていた。
白いテーブルクロスに銀のティーセット、
小さなサンドイッチとスコーンが並び、
紅茶の湯気がゆらゆらと立ち上る。
ヴェルとミラは向かい合い、静かに座っていた。
ヴェルは左腕の包帯をそっと撫でながら、
カップを右手で包んだ。
「ミラ……誘ってくれてありがとう。
こんなに落ち着いた時間、
久しぶり」
ミラは紫の短い髪を風に揺らし、
いつもの感情の薄い瞳でヴェルを見つめた。
でも今日は、
その瞳の奥に、
わずかな光があった。
「私……ずっと、
自分のことを話したかった。
ヴェルにだけは」
ミラは紅茶を一口飲み、
ゆっくりと語り始めた。
「……なんで私にだけ?」
「本当は話す必要ないと思ってる。でもこういうのは共有しといた方がいいこともあるでしょう?」
「は、はぁ……」
よく分からないけどヴェルは頷いた。
そしてミラは口を開いた。
淡々と語り始める。
「私は、幼い頃に両親を失った。
戦争で……一瞬だった。
その後、パイオニア様に拾われた。
サンダリオス家の軍事部門で育てられ、
スパイとして訓練された。
感情を殺し、
密かに動くことだけを教えられた。
名前も、過去も、
すべて捨てて生きてきた」
ヴェルの手が止まる。
「……ミラ……」
「でも、レクト君に出会って、
すべてが変わった。
彼は、果実魔法で世界を救って、
いつも『みんなで食べよう』って笑っていた。
スパイの私に、
『ミラも一緒に!』って、
当たり前のように手を差し伸べてくれた。
視野が、
一気に広がった。
私は……ただの道具じゃなかったんだって、
初めて思えた」
ミラの声は、
静かだったけれど、
確かに震えていた。
「だから、
あの果実のお茶会で、
私はブランデー漬けを作った。
少しだけ大人になった彼を、
永遠に残したかった。
ヴェル……
あなたが震度2魔法で彼を救おうとした時、
私も、
心が震えた。
ありがとう」
ヴェルは、
涙をこらえきれず、
ミラの手を握った。
「ミラ……
これからも、
一緒にいようね。 」
「!」
「私たちは、レクトという同じ果実を食べた同士だもん。
もう同じ血が通ってる。
この絆は簡単には解けないよ!」
二人は、
紅茶を飲み干し、
庭園の風に包まれながら、
静かに微笑んだ。
──ここから、
それぞれの物語が、
ゆっくりと動き始めた。
グランドランド大陸の辺境、山間の小さな谷に、
いちご狩りの果樹園が広がっていた。
春の終わりから初夏にかけて、赤い実が陽光に輝き、
子どもたちの歓声が毎日響く。
小さな木造の小屋の前に、
白髪の夫婦が立っていた。
エリザとパイオニア。
かつてはサンダリオス家の威厳ある当主とその妻だった二人だが、
今はただの果樹園の園主として、
穏やかに日々を過ごしている。
サンダリオス家としてのプライドもあるが、二人は静かに平和に暮らすことを望んだのだ。
エリザは、
エプロンのポケットから小さなハサミを取り出し、
赤く熟れたいちごを丁寧に摘みながら、
訪れた幼い姉弟に話しかけた。
「ほら、この子は一番甘いわよ。
優しく摘んで、
葉っぱのところを持ってね。
そう、上手」
子どもたちは目を輝かせ、
「わあ、ほんとに甘い匂い!」
と頰を赤らめて笑う。
エリザはそんな顔を見るたび、
胸の奥が温かくなるのを感じた。
10年前、
息子が果実となって消えたあの日から、
彼女は「甘さ」を、
誰かに届けることでしか、
自分の悲しみを癒せなかった。
パイオニアは、少し離れたところで、
籠を運びながら、
黙って妻の背中を見守っている。
髭は白くなり、
かつての厳しい表情は朧げになり、
代わりに、
静かな優しさが刻まれていた。
「彼の香りが、まだ口の中に残ってるからな」
と、
時々呟くだけだ。
夕方、
子どもたちが帰った後、
二人は果樹園のベンチに並んで座った。
陽が沈みかけ、
いちごの葉が赤く染まる。
エリザが、
夫の大きな手に自分の手を重ねた。
「……今日も、
たくさん実ったわね」
パイオニアは、
ゆっくり頷いた。
「ああ。
甘くて、少し酸っぱくて……
優しい。
形が悪いものはショートケーキで使おうか。」
「あら、それはいい提案ね」
そのあとは言葉を交わさず、ただ、
夕陽といちごの赤を眺め続けた。
果樹園の風が、
甘い香りを運んでくる。
それは、
もう悲しみの匂いではなく、
ただ、
懐かしくて、
優しい、
日常の香りになっていた。
小屋の窓際には、とうに腐っているレクトのドライフルーツが保管されていた。
それは紫色に熟れていて、硬い触覚とは裏腹にプルプルしてそうな見た目をしている。
レクトという「人」としての生皮を裂けば、
紫色のフルーツとして残っているのみだった。
お茶会でもみんな、その色を見ていた。
知っていた。
大陸の最前線、
グランドランド防衛軍の司令部。
ルナは、
影魔法の長として、
今も最前線に立っていた。
髪は腰まで伸び、
瞳はより深く鋭くなったが、
その奥には、
弟を失った日から変わらない優しさが宿っている。
作戦室で、
地図を広げ、
部下たちに指示を出す。
「敵の影を完全に封鎖。
誰も傷つけないように。
目的は防衛であって、
殺戮ではない」
部下の一人が、
「長……本当に、
そんな優しい戦い方でいいんですか?」
と尋ねると、
ルナは静かに微笑んだ。
「いいの。
弟が教えてくれたから。
私も……
自分の魔法で、
みんなが笑える世界を守りたい」
その傍らに、
ミラが立っていた。
今や大陸最強のエージェントとして知られ、
ルナの右腕であり、
最も信頼されるパートナー。
紫の髪は短いままで、
瞳は10年前より少し柔らかくなっている。
「ルナ様、後方支援は完了です。
敵の補給路は断ちました」
ルナは振り返り、
ミラに小さく頷いた。
「ありがとう、ミラ。
あなたがいると、
心強いわ」
ミラは、
わずかに頰を染め、
「私も……
みんなと一緒に戦えて、
嬉しい」
夜、
司令部のテラスで、
二人は並んで星を見上げた。
ミラが、
静かに呟いた。
「……10年経ちましたね。」
ルナは、
星空に向かって小さく笑った。
「うん。
弟の味は、
今もみんなの中にいる。
だから、私たちは……
前に進める」
ミラは、
ルナの希望に満ちた瞳をみて、
強い意志を感じ取った。
ヴェルは、
魔法差別反対運動の中心人物として、
毎日多くの生徒たちと向き合っていた。
左腕の義手は、
震度2魔法を増幅する特別製で、
今では、
小さな振動で花を咲かせたり、
落ち込んだ子どもの心を優しく揺らしたりする、
「癒しの振動」として知られるようになった。
今日も、
居場所を失った新入生が、
ヴェルの前に座っていた。
魔法が弱いことを恥じ、
涙をこらえている。
ヴェルは、
義手をそっとその子の肩に置き、
優しく言った。
「あなたはあなたでいいの。
魔法の強さなんて、
ただの道具。
大切なのは、
今できることを精一杯やることだけ」
子どもは、
涙をこぼしながら、
小さく頷いた。
ヴェルは、
その子の頭を優しく撫で、
庭園のベンチで一緒に座った。
風が吹き、
花びらが舞う。
彼女の心の中には、
今も、
あの軽やかな笑顔が残っている。
カイザは、
大陸のエネルギー革命の立役者になっていた。
電気魔法を基にした新発電装置は、
戦災地域に光を届け、
人々の生活を変えた。
ビータは、
魔法理論の権威として、
大陸中の大学で講義をしていた。
「果実少年の記憶保存理論」は、
今や教科書に載り、
多くの魔法使いに影響を与えている。
フロウナ先生は、
アルフォンス校長の死後、
学園の新校長になっていた。
果実アレルギーは、
今も治らない。
でも、
校長室の棚には、
あの飴細工のレプリカが飾られ、
彼女は毎日、
それを眺めながら呟く。
「彼の輝きは、
永遠に残るわね……
生徒たちに、
ちゃんと伝えなきゃ」
10年経った今も、
みんなの心に、
甘い香りが残っている。
一族の実——
果実少年の物語は、
終わった。
でも、
彼の味は、
みんなの中に、
永遠に生き続けている。
あの日一族から追放されてから、
レクトの死は確定していた。
あの日からレクトはゆっくりと果実へと変化していた。
でも、
レクトは自分の出来ることを精一杯やってもがいていた。
今あるものを大切に、
愛して、
抗って、
生きてきた。
自分の結末が どうなるか分からなくても、
知らなくても、
今見えている光をしっかりと吸収すれば、
実る。
それは間違いない綺麗事なんかじゃないって、
作者は強く信じている。
熟れるまで。
熟れたあとも、
ずっと。
おわり
コメント
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