ネストは後方から状況を分析、判断する。
大戦斧を相手にしているフィリップとシャーリーのコンビは、持ち前の素早さと連携で圧倒。
バイスはウェポンイーター相手に防戦一方だが、危なげなく攻撃を捌いている。
そのどちらにも魔法による援護射撃をと隙を窺ってはいるものの、厄介なのは後方に控える魔術タイプのシャドウだ。
その位置は、バイスのスキル、グラウンドベイトの範囲外。
(もう少し戦線を前に出せれば……。私への攻撃は避ければいい。けど、シャロンとニーナは守らないと……)
思うように動けない。ネストの焦りは胸を焼き、喉の奥で苦い息が漏れる。
苛立ちが募るたび、心の中で舌打ちする音が響いた。
歯噛みするほどの無力感――それでも、前へ進むことだけは諦めない。
「【|火炎柱《フレイムピラー》】」
突如シャドウから発せられた抑揚のない声と同時に、ネストの足元に浮かび上がる魔法陣。
|火炎柱《フレイムピラー》は、その名の如く任意の場所に火柱を出現させる魔法。同系統の魔法の中でも、特に殺傷能力が高いとされている。
その中に囚われようものなら体は焼かれ、例え炎に耐えたとしても酸欠で窒息は免れないからだ。
だが、ネストはそれを待っていた。
足元から勢いよく沸き上がる炎の柱をバックステップで避け、瞬時に体勢を立て直す。
(今なら炎の柱で、こちらの動きが見えないはず! 半端な攻撃であれば、炎の柱が盾代わりにもなるッ)
一瞬ではあるが、周囲を気にせず攻撃が出来るまたとない機会。
「【|電光撃《ライトニングボルト》】!」
それはネストが扱える術の中で、最も初速に優れた攻撃魔法。
振り抜いた杖からバチバチと大きな音を立て発生した電撃は、辺りを明るく照らしながら稲妻を奔らせ、シャドウの身体を貫いた。
膝を折りボロボロと崩れ去るシャドウ。木製の杖が地面へと落ち、それは甲高い音を響かせる。
目の前の敵に意識を集中させながらも、仲間たちが心の中でネストの奮闘を称えているその時、ニーナだけは唇を固く噛みしめていた。
――自分だけが、何もできていない。
その焦りが胸の奥を焼き、指先まで震えが伝わる。どうにか抑えようとするが、体は思うように動かない。
頭の中は真っ白で、訓練で叩き込まれた連携さえ思い出せなかった。
(何か……何かしないと……!)
必死に活路を探すニーナの視線が捉えたのは、目の前のシャドウたちではなく、玉座にふんぞり返るグレゴールの姿だった。
その不遜な態度が、恐怖よりも怒りを呼び覚ます。
(シャーリーを信じるなら、あいつは強くない……。なら、私でも――隙を突けば、一撃くらいは入れられるかもしれない!)
一応はニーナも神聖術の使い手。それが魔族に有効なのは周知の事実。
「【|氷結輪舞《アイシクルロンド》】」
「【|魔力障壁《マナシールド》】!」
またも聞こえる抑揚のない声。遥か上空に出来たいくつもの氷の矢がパーティ全体に降り注ぐも、ネストが形成したシールドで全てを弾き飛ばし、辺りに舞い散る氷の欠片。
視界が僅かに遮られ障壁が消えかかった瞬間、ニーナはその隙を付き小さな杖を振りかざした。
「【|神聖矢《ホーリーアロー》】!!」
神聖術の基本ともいえる攻撃魔法。ニーナの前に現れた二本の白い矢は、杖の先へと一直線。
光跡を残すほどの速度で飛翔し、それは見事グレゴールに突き刺さる。
「や……やった!」
グレゴールがそのままズルリと王座から崩れ落ちると力なく地面に横たわり、それを見たシャドウたちは、塵となって消えてしまった。
「おい、嘘だろ……。やったのか?」
少し前まで金属音がうるさいと思うほど響き渡っていた空間は、今や息の上がった冒険者たちの呼吸音しか聞こえない。
誰もがその結果に疑いの目を向けていたが、シャドウは全て消滅し、本命のグレゴールも動かない。
しかし、シャーリーの索敵からグレゴールの反応は消えてはおらず、瀕死なのか倒したのか死んだフリなのかは、判断がつかなかった。
「私がグレゴールの遺体を調べる。皆はそのまま警戒を維持して」
ゆっくり玉座へと近づいていくネストを、固唾を飲んで見守る面々。
その手が遺体に触れようとした瞬間、突如グレゴールの声が部屋中に響き渡る。
「私に手を出すなと忠告しておいたはずだ……。もう容赦はせん。余興は終わりだ! 冥土の土産に我が直々に叩き潰してやるッ!!」
大地が低く唸りを上げ、石畳の隙間から黒い煙のような瘴気が滲み出す。
灯り代わりのランタンは不気味に明滅を繰り返し、やがて玉座を中心に紫黒の魔法陣が浮かび上がる。その輪郭は脈動するように脈打ち、地面を這う光が次々と崩れ落ちては結ばれる。
グレゴールの遺体がその中心に飲み込まれると、空気が一変した。
耳をつんざく放電音が響き、魔法陣の内側が陥没する。ダム穴のような闇の渦から現れたのは――骨ばった右手。次いで、錫杖を握り締めた左手がゆっくりと浮上する。
その手が魔法陣の縁を掴み、軋む音を立てながら這い出してきたのは、赤褐色に染まった巨大な骸骨。
上半身だけで魔法陣を押し破り、空間に身をねじ込むその様は、まるでこの世に存在してはならぬものが無理やり引きずり出されたかのよう。
近寄るだけで命を蝕む毒の霧。瘴気が爆ぜるように広がり、空気そのものが腐り落ちていく。
三メートルを超える頭蓋には無数の傷と凹みが刻まれ、そこにくすんだ金の王冠が不釣り合いに輝いていた。
薄汚れた白の法衣、紅い天鵞絨の外套はもはや布切れと化し、吹き荒れる瘴気の風にぼろぼろと崩れ落ちていく。
――スケルトンロード。
――不死の王。
――ノーライフキング。
その呼び名は数多あれど、いずれもが“死”の頂点を示す。
そして、今まさにそれがこの世に顕現したのだ。
「—————ッ!!」
それは天を仰ぎ、無音の咆哮を放った。
本来ならば声など出せぬはずの骸。だが、空気そのものが震えるほどの魔力を伴い、その叫びは魂そのものに直接響いていた。
ゆっくりと視線を落とす巨大なスケルトン。バイスたちを見下ろすその眼窩には、光の代わりに深淵が宿っていた。
見る者すべてを混沌へと引きずり込む、不死の支配者。恐怖の象徴。――絶対なる死。
そう、グレゴールを倒したからといって、シャドウが消えたわけではない。あれはただの前座。ほんの余興にすぎなかったのだ。
その意味をようやく悟った瞬間、バイスたちは理解した。
今この場に立つことさえ、もはや許されぬと――。
圧倒的な存在を前に、ただ成す術もなく、呼吸さえ忘れて立ち尽くすしかなかった。
「あ……あっ……」
ガチガチと歯が噛み合う音が聞こえるほど震えるニーナは、恐怖のあまり腰が抜けその場に座り込むと、カーペットはみるみるうちに湿り気を帯びた。
なぜ、無謀にも戦いを挑んでしまったのかという後悔の念と、ここで死ぬのだという畏怖を誰もが感じ取っていたのだ。
絶望と恐怖が場を支配し、誰もが生を諦めた。しかし、シャーリーだけがそれにしがみついたのである。
武器を捨てシャロンの下へ走ると、持っていた荷物を奪い取り、中身を全てひっくり返す。
「……嫌だ! 死にたくない! ……水晶……ぎかんずいじょお……どこにしまった!? ……ドコダヨォォォ!!」
無くしたおもちゃを必死に探す子供のように無様な姿を晒すシャーリー。
その声は恐怖で震え、戦うなどという愚かな選択肢はもはやどこにも存在しない。
索敵スキル持ちのシャーリーがこの状態だ。聞かずとも皆が理解していた。相手は人知を超えた存在なのだろうと……。








