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どうしてこんな所でのんきにコーヒーなんて飲んでいるのだろう。
目の前にはにこにこと笑顔の彼。
弱みを握られたばかりに、振り回されているのは私だ。
しかし、冷静になれば彼にどんな得があるというのだ。
その疑問をぶつけるべく、私はカップを置くと、アイドルのように様になって座っているその人に問いかける。
「ねえ、どうして私に構うの? 別に私が婚活していようが関係ないわよね」
今はドクターと看護師でもない。私が年下に敬語を使う理由などない。
都内のおしゃれなカフェが似合いすぎる目の前の人を、私は睨みつける。
「まあ、関係ないですよね」
さらりと口にすると、彼はふっと笑った。
「望月先生って……」
「瑞稀です」
「え?」
言われている意味がわからなくて問いかければ、綺麗なアーモンド色の瞳が私をとらえる。
「今はプライベートなので、先生はやめてもらえますか?」
呼び名のことだとわかり、確かに外で先生と呼ばれることを嫌う人もいることを思い出す。
好きな人もいるが……。
小さくため息をつくと、私は舐められないようにと彼を見据える。
「じゃあ、望月君」
あえて「君」と呼んだのを故意だと、もちろん気づいたのだろう。しかし彼は表情を変えることなく、さらに言葉を重ねた。
「瑞稀です。言いましたよね?」
「どうしてそんな呼び方しなくちゃいけないのよ。調子に乗らないで」
名前で呼ぶことが恥ずかしいなど到底言えるわけもないし、悟られたくなくて私が怒ったように言えば、彼は「ふーん」とだけ言って息をついた。
「じゃあ、僕、病院内で柚葉さんが必死に婚活してるって言っちゃおう。それにマッチングアプリもいくつか登録してる……」
「どうしてそれを!」
そこで、はめられたことに気づく。そんなこと、バレるわけがないのだ。
でも、私はマッチングアプリにいくつか登録している。
「ねえ、柚葉さん。どうしてそんなに婚活を? 柚葉さんなら、いくらでも相手はいるでしょ?」
呼び方などさほど気にしていないようで、少し心配するような声音に、私は大きく息を吐いた。
「医療関係者は嫌なの。それに今は少し時間に余裕ができたけど、知り合う機会なんて今までなかったし」
言い訳のように言った私に、彼はさらに追い打ちをかけるように言う。
「あ。ハイスペックな彼がいることになってるし、若い女の子たちの合コンには行けないですもんね」
ズケズケと指摘する目の前の男に、本当はただ可愛いだけの人ではないのだと思い知らされる。
頭の回転も速いし、人の感情を察知する能力も高い。
それに気づいて、私はもはや目の前のこの人に遠慮するのはやめた。
「そうよ、何か悪い? 若い子に男を紹介してなんて言えないし、昔の友達はもう子どもがいる子がほとんどよ。知り合うなら、マッチングアプリや婚活しかないじゃない」
冷めたように言って、少しぬるくなったコーヒーを流し込む。
「ふーん」
何を考えているかわからない彼は、目の前でただそれだけを口にした。
「どうして医療関係者は嫌なんですか?」
しばらくの沈黙の後、望月君は静かに私に問いかける。
「別に。ただなんとなく」
「柚葉さん、嘘が下手すぎ」
感情を出さないように言ったつもりだったが、返ってきた言葉にキュッと唇を噛んだ。
黙っていた私に、望月くんも何も言わない。
この無言の空間に耐えきれず、私はもう付き合うこともないと立ち上がろうとした。
「ねえ、柚葉さん。水族館行きましょうよ」
「え?」
帰ろうとしていた私だったが、意外な言葉に望月君を見た。
確かにここから歩いていける距離に水族館がある。どうして私が彼と?
そうは思うものの、すでに手を引かれて私は歩き出していた。
土曜日の水族館は家族連れやカップルも多く、賑わっていた。
目の前に現れた水槽に、私は嬉しくなる。私は水族館が大好きだ。しかし、大人の女が一人で来るようなところでもないし、なかなか行けずにいた。
私はつい望月君がいることを忘れて、次々と水槽を眺める。
大きな水槽の中を優雅に泳ぐ魚の群れに目を奪われていると、不意に後ろから声が聞こえた。
「柚葉さん、ほら」
私の手のひらに、さっきまで見ていたシロイルカのぬいぐるみを望月君が乗せる。
「うわー、可愛い」
つい声を上げてしまった私に、彼がくすくすと笑う。
――君の方が可愛いかも。
美希みなみ
その破壊的なアイドルスマイルにそう思った私だったが、どうやら声に出ていたようだった。
「柚葉さんの方が可愛いですよ」
柔らかに微笑んだ望月君は、そっと私の頬に触れた。
「ッ」
どうして触れられたのかわからないまま、私たちは水槽の前で見つめ合うような形になってしまう。
ドキッとしてしまい、動けない私だったが、「見て見て。すごいイケメン」そんな声が聞こえ、私はハッとする。
こんな目立つ人といることを、すっかり忘れていた。
「ちょっと、望月君! 急に何」
その手を振り払うと、私はくるりと彼に背を向けた。
「別に」
さらりと表情を変えることのない彼に、ムッとしてしまう。その顔で女なんて嫌でも寄ってきて、どうせ年上のバカな女を暇つぶしにでもするのだろう。
そんな嫌な気持ちを抱いてしまい、小さく息を吐いた。
たとえそうであったとしても、別に関係のない話だ。
手のひらに乗せられたぬいぐるみには罪はなく、そのころんとした柔らかい感触を手の中に収めて気分を落ち着かせた。
いいように年下の男の子に振り回されているなんて、誰にも知られたくない。
そう思いながらちらりと隣を見れば、望月くんも穏やかな瞳で水槽を見上げていた。
その表情に、なぜか毒気が抜けるような気がした。
なんだかよくわからないまま一日を終え、なぜか家の最寄り駅まで送ってもらった私。
「柚葉さん、今日はありがとうございました」
急にお礼を言われ、私は慌ててしまう。
なんだかんだ、お金も出させてもらえず、お礼を言わないといけないのは私の方だ。
「こちらこそありがとう?」
疑問形になってしまったのは仕方がない。半ば強引に脅され、連れてこられたのだから。
「やっぱり柚葉さんはお人よしですね」
バカにしたような言葉だったが、望月くんの表情はそんな様子もなく、私はじっと彼を見た。
「どうして?」
「だって、俺に迷惑をかけられたんですよ?」
確かに昨日から酔っ払いを介抱して、家まで泊めたのだ。言われてみればそうかもしれない。でも……。
「それもそうね。忘れてた。じゃあその分は今日の水族館で許してあげる」
少しだけ年上ぶりたくて言えば、望月くんは初めて見る屈託のない表情で笑い声をあげた。
「柚葉さん、やっぱりいいわ」
一人で納得するように言ったあと、彼は「あー、久しぶりに笑った」と意外な言葉を発した。
いつもどんな時も笑っている望月君しか私は知らない。
それなのに久しぶりに笑ったの? そんなことを聞けず、ぼんやりと望月君を見上げていると、「柚葉さん」と落ち着いた声音が聞こえた。
「え?」
駅前はかなりの人が往来している。その場で私は今起きたことがわからなくて呆然とした。
「今日、最後にもらいました。じゃあまた」
そう言うと、彼は改札へと行ってしまった。
高校生でもあるまいし。自分にそう言い聞かせるも、頬が熱い。
一気に顔に熱がたまるのがわかる。
それで、はっきりと頬にキスをされたことを思い知った。
こんな往来の多い場所で、一人取り残された私に、ちらちらと生ぬるい視線がまとわりつく。
望月君のバカ! 心の中でどれだけ罵っても本人はもういない。
慌ててその場から逃げるように、私は歩き出した。