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顔も知らない思いたち

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顔も知らない思いたち

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2022年04月14日

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背筋から熱を奪われるような冷気で目が冷めた。気付かないふりをして再び寝ようかと思ってみたものの、一度意識が浮上すると寒さが気になり目を開ける。

ベッドに寝転んだ体勢のままカーテンをめくると、太陽は西陽に差し掛かっていた。昼前に寝たからもうかなり経っている。

手頃なものを羽織ってフローリングの床に足をつけた。それにしても寒い。乾燥した冷たい空気を吸い込んで、ひどく噎せてしまう。


「ゴホッッ、ゴホっ!……ハァ…、っ…」


なるほど。今日は調子が悪いらしい。携帯用の酸素吸入器が入ったバッグは、すぐ目の前にあった。…が、それを取りに行く気も何となく起きなくて、そのままコップに水だけを注いだ。


ぐるりと部屋を見渡して、叶は吐息をついた。安心したい時の癖だった。


こだわって揃えられたお気に入りの家具たち。その中には、友人から譲り受けたものも多くある。いつもは叶の気分を良くさせるそれらも、今日という日は暗示をかけるための道具に見えて仕方がない。

自分は恵まれているんだ、と義務的に思わせる暗示___そんなようなもの。


薬を飲まねば、と思い至り、いやな思考を断ち切るように立ち上がる。叶は普段から、貧弱な呼吸器と若干不安定な精神を支えるため、複数の錠剤を服用していた。今の自分の状態を考え、薬を選ぶ。これとこれ、あとこれ。


錠剤を取り出す叶の手がピタリ、と止まった。

「…ない。」

咳を抑える薬が見当たらない。今一番、僕に必要な薬物の束。


じわりといやな汗が滲む。忘れやすい性格を補うため、物の管理については気を引き締めていた。


はずなのに。


しかし、見当たらない。その間も自分の喉から聴こえる、ヒューヒューと情けない音がやけにうるさい。


「…ほぅ、」

落ち着け。現段階で原因が不明の症状に関しては、精神的な問題が大きいという。医師だってそう言ってたではないか。


ずり落ちたカーディガンの肩をかけ直しながら、叶はお気に入りのぬいぐるみを拾った。


ロト。僕のお気に入り。アンニュイな表情の黒猫が、こちらを見つめる。

「ロトぉ…僕のお薬いっしょに探そ」

めう?気を紛らわすためにつとめて軽口な独り言をこぼした。ぬいぐるみに頼る自分に笑いながら、やっぱり僕は弱い男だと思う。


手当り次第に引き出しを覗き、バッグを漁る。全くどこにやったんだ、過去の僕は。今の僕とロトが困ってるって。


考えることを辞めた叶は、まず見つかりそうもない棚に手を伸ばした。



カチャ。



「……」

やはりここもはずれ。というか、使っているのだろうか。ため息をついた時、あるものが目に止まった。


「……何これ?」


ほぼ空の棚の隅に、ぽつんと木箱が一つ。少し大きめな叶の手のひらにギリギリ収まるくらいの、シンプルなデザインのものだった。手に取ると、意外とずっしりとしている。


首を傾げながら蓋を開けた。

「…?」


中には桃色、白色……その他様々な見覚えない封筒がぎっしりと納まっている。疑問は深まるばかりだった。気づけば咳もおさまっていた。


一番上にあった封筒の手紙を開いて目にした叶は、思わず目を瞠った。


叶くんへ。


字が汚くてごめんなさい そういえば叶くんとは最近あんまり話せてなくてさびしいよ

最後に会ったのはカラオケだっけ?クラスメイトで行ったときの、楽しかったよね。叶くんも歌上手でびっくりした。 またお歌聴きたいなあ 私が反応に困る歌聴かせてもかっこよくフォロー入れてくれて…なんでこんな手紙書いてるのかわかんないよね。ごめん。つまり何が言いたいかと言うとね、叶くん、私、叶くんのことが好きです。大好きだよ。


初めて会った時もさ、あれ、入学式の時だったんだけど。多分叶くんはこっちには気づいてなくて。でも私びっくりしちゃったなぁ…いるだけでこんなに周りが輝くような人っているんだって、思って

ほんとあれは衝撃だった。

しかもその後も体調不良でふらふらしてた人をいち早く見つけたんだよね、叶くん。それで声をかけて付き添って歩いていくところをたまたま見たとき、ああ、この人だなって。思ったの(笑) 新入生代表のスピーチも美声に驚かされたしなぁ…

それでね、


息をするのを忘れていた。なんなんだ、これは。クラスメイト。入学式。新入生代表のスピーチ。身に覚えがない単語がずらりとならんでいる。


そしてここに綴られている、差出人から自分に対しての感情。妙に実感が湧かなくて、しかし、これは間違いなくラブレターである。


問題は、叶にはこれを受け取った記憶が一切ない、という事だった。


僕が、学校に通っていた。想像しようにも難しい。

というか、記憶が空白の状態で目覚めて早数年。最初の2年ほどは、思い出そうと必死になって、酷い頭痛に襲われることがしばしばあった。もう思い出すことも出来ない過去に固執する生き方は、あまりにも残酷だった。


叶は思い出そうとするのをやめた。前を向くことで、諦観することで、生きているのだ。しかし。


躊躇いつつも、ここまできたら見ずにはいられない。叶は得意の速読を酷使して、一枚ずつ手紙を読んだ。


どれも一枚目と似たり寄ったりの内容で、同じ差出人の名前のものも何枚か見つかった。「大好きだよ、」「愛してる」といった言葉も綴られていて、叶はそれを目にするたびに不思議な感覚に襲われた。怖い、とすら思う。視界がぐらぐらしている。いつかの飲酒雑談配信みたいだな、と思った。言わずもがな、今日はお酒など入っていないのだけれど。


これらは箱に入れて大切にとっておいている。相当嬉しかったのだと見て取れる。しかし、記憶がない。


憶測が膨らんで、ぷつりと切れた。確信した。



これは紛れもなく、過去の僕のものだ。きっと、記憶を失う前のもの。


「スゥッ」


いやに冷静な感情に溺れて、眉間にひやりとしたものを感じた。



恐怖は、罪悪感へと変わった。



僕にはきっと、忘れたまま蔑ろにしてきた人たちがいる。


過去の僕が愛されていた証に触れるたび、どうにも言い表せない虚しさに襲われた。


記憶も人格も塗り変えられた僕には、どれだけ頑張ろうと過去の「叶」に戻ることは叶わない。


愛されていた過去の自分が憎い。

忘れてしまった今の自分が憎い。


今の僕が愛されるほど、過去の僕とは別の何かになっていく。思い出したいとも、心底、忘れたままがいいとも僕には思えないのだ。


ただ、すぐに思い出せないなら、

過去の僕を愛していた人たちが、今の僕をを求めていないと云うのなら。



いっそ、消えてほしいと思った。

過去の僕も、過去と今を繋ぐものも、全部。



僕が極悪人ならよかった。記憶を失う前の僕がどうしようもなく最低で、嫌われていて、もし、そうだったら。


「どんなによかっただろうね」


過去を捨てずとも、区切って生きることも出来ただろうか。ただ前だけを向いて、目の前の幸せだけを享受することも、出来ただろうか。


しかし、違う。

僕は愛されていた。名前も、顔も知らない人たちに。


ロトを手放した。息苦しかった。誰かの声が聞きたい。

できれば、今の僕を愛してくれる者へ。



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