ドンッと樹幹の先端からまるで砲弾の様にその身を丸め、厄災がその姿を現した。両手を広げその慣性を和らげると風の息吹で身を包み、漆黒の外套を翼の様に広げ、まるで天から舞い降りた堕天使の如くふわりと地表へ降り立った。
辺りに緊張と衝撃が走る―――――
天使なのか悪魔なのか、ヴェインにはソレが何なのか理解が出来なかった。ただ、深く被ったフードの奥には、恐ろしい程の怒りの表情を模した白い狐の仮面を付けている事だけは分かった。
「人…… なのか? 」
ヴェインは息を呑み怖気立《おじけだ》ち、咄嗟に感情を口に出した。手には先程、天から突如現れ、その絶大な威力をその場の者達に知らしめた神の一撃の武器であろう光輪を、牽制の為に認《したた》めている。
先程まで脅威であった大熊の屍は、まだビクビクとその醜態を晒し、辺り一面をゆっくりと赤に染めている…… しかし一難去ってまた一難、何と因果なものか、新たな脅威が空からやって来てしまった。
カシューは震える声静かにヴェインに諭す。
「ヴェイン、ゆっりと退くんだ、背を向けずにね、こっちに来て」
「カシュー、 ありゃぁ一体…… 何だ⁉ 」
「分からないよ、向こう側に居る奴もそうだよ…… 危険過ぎる。ただ大熊を戯れに処理したとしか思えない」
「ありえねぇ、一撃だぞ!! 理を越えてやがる……」
また一方、間近で遭遇した出来事に、頭が追い付かないグランドはソレに感謝するよりも只管に、声も出せず恐怖を覚えていた。
「ぐはっ」
左腕に激痛が巡りグランドは思わず声を漏らした……
その声に反応し振り返ったソレは、神話に出て来る魔物と呼ばれる様なモノの仮面を付けていた。数多の血を吸って来たであろう赤黒くボロボロの外套は、幼い頃に読んだ絵本の中の死神まさにそのものであった。余りの狂気染みたその姿にグランドが慄《おのの》くと、予期せぬ事態が更に彼を驚かせた。
「大丈夫か⁉ 」
―――――⁉
グランドは耳を疑った。確かに今、男の声ではっきりと、理解出来る言語が耳を通り過ぎた。余りにも唐突過ぎて自分を疑ってしまった程だ。
「こ、言葉が解るのか? 」
グランドは縋るように言葉を投げかけた。どうかこの男が我々の敵ではない事を切に願い祈るように。
「すまなかった、これは俺達の失態だ謝罪する。これから此処は戦場になる、出来れば退避して欲しい…… それと…… 」
「そ、それと⁉ 」
グランドは多くを語ろうとしない男の真意を察した。今正に向こう側に舞い降りて来たアレと交戦するのだと…… 間違いない、あんな力を持つ者同士がぶつかれば、辺り一面はきっと焦土と化す。
仮面の男はゆっくりと続ける。
「今見てきた事すべてを忘れて欲しい。勿論口外する事も駄目だ。でなければあんた達を、俺は全員殺さなければならない…… 」
―――――!!
背筋が凍り言葉を失った。この男は今、俺達の返答次第で敵にでも味方にでもなると公言したのだ。グランドにとって初めてだった。初めて言葉のみで本当の命の危機を感じた。まるで今この男が自分の心臓を掌に載せ、ナイフを突き刺そうとしているかのように……
余りの恐ろしさに声を漏らす。
「き、貴殿達は一体…… 」
言葉を遮《さえぎ》り仮面の男が呟いた。
「知る必要は無い」
「…… 」
エマはゆっくりと優雅に着地をすると周りには目もくれず、森の立木の間を凝視する。すると猛烈な勢いでゴロゴロと黒い塊がエマを追って現れた。怪しい新手の登場にヴェイン達は更に驚き周章狼狽した。
―――――⁉
「おい、また何か飛び出して来たぞ、もしかしてまた大熊か⁉ 」
ヴェインは剣を支えに身体を起こし、飛び出した何かに少し違和感を感じていた。
「いや、ヴェインあれちょっと小さくない?ただの熊かもよ…… 」
カシューも同時に違和感を共有する。
「でもよ、熊にしちゃぁ尻尾が…… 長くねーか? 」
二人はその不思議な存在から目が離せなくなっていた。
『まて~ニゲるな~せいせいどうどうれす! 』
当然、一人の男を除いてはこの叫びは届かない。そこにはふぅふぅと息を荒げた黒豹《ギアラ》が現れた。エマはこのギアラによって足止めされていたのだ。
―――――!!
「黒豹じゃね~か、こりゃまた珍しいな、生きてる姿は初めて見たぞ」
ヴェインは目を見開き歓喜に踊る。
「ヴェインって現金な奴だよね? さっきまであんなにうるうるしてた癖に」
少しばかり元気を取り戻したヴェインをからかう。
「ばっ!! ざけんなよ、痛てて、そりゃあ…… お前ぇが泣くからだろーがよ」
「でもさ、あれって…… 」
カシューには結果は一目瞭然であった。
「あぁ、勝てっこねーよ、猫ちゃんは大分《だいぶ》ご立腹みてーだが、相手が悪すぎだ。災害級を一撃だぜ、土台無理な話だ」
『ぐぬぬぬ』
ギアラは両手両足を突っ張り背中の毛を逆立て威嚇する!! 鬼気迫る気迫は十分である、流石黒豹。エマは円月大輪《チャクラム》を背中に納刀し、懐から草臥《くたび》れた猫の縫いぐるみを出した。慢侮《まんぶ》する事なくギアラをじっと見ては観察し、縫いぐるみを見るを永遠繰り返す……
『つよくナルれす! やくそくシタれす! 』
短い爪を目一杯伸ばし先陣を切る!! 渾身のねこぱんちがエマを強襲する……
『くらえ~』
素手でパンっと弾かれる。
『あっ! ぐぬぬマジンめぇ』
―――――⁉
仮面の男がピクリと何かに反応する。
憤怒したギアラはその類稀なる機動力を生かし、鋭い牙を武器に両手を広げ襲い掛かる……
『がお~』
ぺちっと脚を掛けられ、いとも簡単にゴロゴロと転げる。エマにとっては、その類稀なる機動力も最早、孩《あかご》同然、何て事は無い。エマは縫いぐるみをぽいと捨て、仮面を脱ぎ去り、両手両足を広げて黒猫捕獲作戦に移行する。はぁはぁとエマの荒い息遣いが焦々とギアラに襲い掛かる……
『なっ⁉ はぁはぁしても、そっ、そんなコトしてもこわくないれす!! 』
そんな光景を見ていたグランドは、仮面の男にもう一度確認する。
「おっ、お尋ねしたい、貴殿の他言無用とはあれの事で間違いないか? 」
頭でも痛いのか、何故だか仮面の男は頭を抱えていた……
『タツマキにむかってオシッコしてやったれす。そしたらタツマキがやんでナカからおしっこまみれのマジンがでてきたれす。やってやったれす、ザマアみろれす』
俺はフンフンと鼻息を荒げるギアラの武勲を称えると、エマを背負いギアラの頭を撫でた。
「偉いな、凄かったぞギアラ、良く勇敢に立ち向かったな恰好良かったぞ」
『とうぜんなのれす。オレはじっちゃんのチをうけついでるれす』
高々と鼻を上げもっと褒めろと言わんばかりである。
興奮状態であったエマには少し眠ってもらった。ギアラに心奪われた厄災は、いとも簡単に俺の手刀で静まった。
エマは幼い頃から秘密の園《ガーデン》で育てられ、ほぼ外界とは無縁の生活を送っていた。生きた猫科の動物を見たのはこれが初めてだったのかもしれない。果たして猫だか豹だか理解していたのだろうか、傍惚《おかぼれ》れした乙女程この世に怖い物は無い。
「ギアラ、あそこに人間が居るが、俺とお前が話が出来ると分かれば少し厄介な事になる。彼奴らはどうやら敵にはならずに済みそうなんだ、少し黙ってて貰えるか?」
『はいれす』
「それとな、今俺が背負ってる此奴も実は敵では無いんだ」
ギアラは目を丸くして驚いた。
『えっ、だってマジンれすよ? おそってきたマジンれすよ? 』
「その事なんだがなギアラ、まさか此奴からもそのなんだ……」
『マモンれす』
「…… 」
(この子…… 頭…… いいのかな…… )
「そうそれだ、魔紋《まもん》が見えたのか? 」
『はい、見えましたよ』
―――――!!
(見えたって事は…… )
―――そう云う事なんだよな?……
「どっ、どんな感じなんだそれは?」
『お山みたいれす』
「…… 」
(二回目だよなそれ…… )
突如ライ麦畑を震撼させた厄災は、心願成就により己《おの》が震撼する。勿怪の幸いと悦び勇み、思慕の情に思いを馳せて慕い寄る。漸うと舂《うすず》く空はやがて幾千の星達と契り合う。
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