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仕事が早めに終わった日。
月花はコンビニで買った蕎麦を食べたあと、ついでに買ってきていた雑誌を読みながら、ゴロゴロしていた。
うーむ。
ゆったりリラックスな日曜。
一日中、家でゴロゴロのときのおすすめ服が、こんなに高いワンピースとかっ、とゾッとしたとき、スマホが鳴った。
雑誌を見たまま、手探りで取り、はい、と出ると、錆人だった。
「今、暇か?」
……これ以上ないくらい暇かもしれないですね。
雑誌の特集に毒づいてるくらい。
「ちょっと来てくれないか?
じいさんから話を聞いたらしい、うちの母親がお前に会いたいと言ってきたんだ」
「今、猛烈に忙しくなりました……」
と慌てて言ってみたが、もう遅かった。
「自宅にいるんだそうだ。
ちょっと呑みに行くくらいのつもりで来てくれ。
たぶん。
そうめんどくさいことは……
まあ、運が良ければ言わないかもしれないから」
絶対に行きたくないです、と月花は青ざめる。
「なんか買ってやるから」
断れそうにない、と思った月花は青ざめたまま言った。
「じゃあ……さっき迷って買わなかったコンビニの新作アイスを」
すると、何故か錆人が電話の向こうで吹き出した。
高いバッグとかアクセサリーとかじゃないのか、と思って、錆人はまだ笑っていた。
二、三軒回って、買い占めてやろう、その新作アイス、と思いながら、月花のマンションまで行く。
下で待っていると、とたとた月花が走ってきた。
車に乗ったあとで、
「すみませんっ。
生意気言ってっ」
と月花は言う。
……いつ言った生意気、と思っていると、
「もうくつろいでいたのに、また着替えて出るの、面倒くさくって。
新作アイスが食べたいとか生意気言って、すみませんでしたっ」
と頭を下げてくるので、また笑ってしまった。
母親の屋敷に行くと、車が近づいただけで、門が自動で開いた。
……ほんとうに待っていたようだ、と錆人は思う。
あの母親のことだから、呼んでおいていなくなっているのでは? と思っていたのだが――。
実際に結婚するわけではないから、ちょっとは気楽だ、と思っていたのだが……。
錆人について屋敷に入った月花は、その大きさに緊張していた。
錆人の祖父の家ほどではないが、庭も邸宅もやはり広い。
もう遅い時間だからか、しんとした玄関ホールには、人の気配もなく、寒々しい。
いかにも、ほほほほほと奥様が下りてきそうな正面のすごい階段からは誰も下りては来ず。
代わりに、階段下の扉から出てきた年配で細身の家政婦さんが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。
右手のリビングで奥様がお待ちです」
なんだろう。
なにかが、サリバン先生って感じの家政婦さんだ、と思ったとき、錆人が彼女に言った。
「わかった。
勝手に行くから大丈夫だよ。
ありがとう」
家政婦は頭を下げて去っていった。
しかし、左手のリビング、ということは、右手にもリビングがあるのだろうか。
……あるんだろうな。
っていうか、こういうお屋敷って、幾つも部屋があるけど。
何用の部屋なんだろうな。
お客様用の部屋なのかな?
それか、朝日を見る部屋とか、夕陽を見る部屋とか。
昼間くつろぐ部屋とか、夜空を楽しむ部屋とかあるのだろうか。
妄想の中の月花は、朝日を見ながら、夕陽を見ながら、夜空を見ながら、ごろごろしていた。
ずっと、ごろごろしてるな……。
そんなことを考えている間に、錆人が重そうな木製の扉をノックしていた。
「はい」
と女性の声が聞こえてきて、緊張する。
そんな月花を見下ろし、錆人が言った。
「なにお前、とって食われるかもっ、って顔してるんだ」
とって食われるかもっ、と思っているからですよっ。
中に入ると――
広いリビングのバイオエタノール暖炉の前。
ノルディックな雰囲気の椅子に、高そうなラベンダー色のワンピースを着て、くつろいでいる女性がいた。
……専務が女装したみたいな綺麗な人だ。
っていうか、さっきの雑誌の、そんな高い服でくつろげませんっ、と思ったワンピース以上に高そうな服なんだが。
アクセサリーをつけたら、そのままパーティに出られそうな感じだが。
柔らかそうな素材なので、確かに楽そうではある。
「城沢月花だ。
月花、母だ」
とこれ以上ないくらい、あっさりした紹介をされた。
錆人の母の横のテーブルには飲みかけのグラスと黒いボトルがある。
ワインでも呑んでいたようだ。
月花が頭を下げると、彼女は、ふーん、とこちらを見たあとで、
「初めまして、錆人の母のマリコです」
と名乗ってくれた。
「よろしくお願いします」
と月花は、また頭を下げる。
「どうぞ。
座りなさいよ」
と手で示された場所には、クリスタルのような素材のスツールがあった。
暖色系の照明が当たってキラキラと綺麗だが、冷たそうだな、と思ったとき、マリコが近くにあったクッションを投げてくれた。
ピンクのウサギのようなモフモフのクッションだ。
「あ、ありがとうございますっ」
月花は頭を下げて座る。
錆人は少し離れたソファに座った。
いやっ、なんで距離とるんですかっ。
面接官二人に前後から、見張られてるみたいで嫌なんですけどっ。
月花は錆人を振り返ったり、マリコを振り返ったりしていた。
ご挨拶という名の尋問が終わったころ、はかったように、サリバン先生が現れた。
「なにかお呑みになりますか?」
と月花と錆人に訊いてくる。
「そうだな。
俺は車なんで。
月花、なにか酒を出してもらえ」
「あ、いえ……」
「遠慮は面倒くさいので、どうぞ、お好きなものを、と奥様はおっしゃっておられます」
いや、奥様、なにも言ってませんよっ、とマリコを見たが。
マリコはワインを呑みながら、サリバン先生の言葉にただ頷いているので、それで正解なのだろう。
超能力か、と思いながら、
「じゃあ」
と遠慮がちにワインを頼んだ。
「ちょっとあなた、野菜も食べなきゃ駄目じゃないのっ。
公子さん、この間のあれ、出してあげて。
鶏とキャベツのなんとか。
キャベツいっぱい入れて、ニンニクたっぷり効かせてね」
はい、奥様、とサリバン公子は頷き、下がっていく。
「おかーさま、私、もう食べられません~っ」
「なに言ってるのよ、若いのに。
ほら、次はなにを呑むの?
公子さん、私はこの間、いただいた例のワインにするわ。
あなたも、呑む?
それか、あなたに合いそうなカクテルを見繕ってもらう?」
公子さ~ん、とマリコは今、去ったばかりの公子をまた呼びはじめる。
それにしても、この家、頼めば、なんでも出てくるんだが。
レストランやバーや割烹とつながっているのだろうか。
ムール貝の白ワイン蒸しがグラスに立てて並べてあるのを食べながら、月花は言った。
「このおうちは素敵ですね」
「そう?」
「いろんな果物がなってる木みたいなおうちです」
なに言ってんの、と笑われるかと思ったが、
「いいわね。
いろんな果物がなってる木。
私も憧れたわ、子どもの頃」
とマリコは言う。
「子どもなら、誰でも好きじゃない?」
私は大人でも好きですけどね、と思っていると、
「いろんな果物がなってる木って、なんでも願いが叶う象徴みたいなものよね。
でも、ここは、なんでも叶う場所じゃないんでしょうね」
みんな、出て行ってしまうから、とマリコは言う。
「莫迦莫迦しいわ。
夢を追いかけて出てくとか。
金と権力があってこそ叶えられるものもあるでしょう?」
「みんな出て行ったって、専務とかですか?」
「その子は単に、会社の近くに引っ越しただけよ。
出て行ったのは、唐人」
「専務の弟さんですよね?
弟さんも夢を追いかけて出て行かれたんですか?」
となんとなく訊いてみたが、マリコは、
「あれは女を追いかけて出て行ったのよ」
と眉をひそめる。
「親の心子知らずって言うけど。
ほんとうに紗南といい――」
ああ、専務の偽装結婚の相手の従姉さん……。
「まあ、いいわ。
紗南よりあなたの方がやりやすそうだから」
一目でやりやすそうな嫁認定されましたよ。
まあ、すでに完全に、蛇に……いや、虎に睨まれたカエル状態なんですけど。
「紗南もね。
子どものころから、映画に連れてってやったり。
旅行に連れてってやったり。
親が買ってやらないものを買ってやったりしたのに。
うちの息子を捨てて出て行くとか。
……ちょっと、なにグビグビ呑んでるのよ、聞きなさいよ」
「あ、はい、すみません」
公子が持ってきてくれた、口当たりのいいオリジナルカクテルを勢いよく呑んでしまっていた。
いや、ほんとうに美味しかったので……。
「まあ、いいわ。
紗南よりあなたの方がやりやすそうだから」
二回も繰り返されてしまいましたよ。
「呑みなさい。
そして、私の話を聞きなさい」
とマリコにグラスに入ったワインを渡される。
二人で仲良く呑んで、仲良く寝ている……。
それぞれがふかふかのソファに転がっているので、まあ、このままでいいかと、錆人は公子と一緒に二人に毛布をかけてやった。
……なんだろう。
偽装結婚のはずなのに、この嫁姑はどこか似ている。
母親の愚痴が長引いても、はあはあ、と適当な返事をしながら、月花はつまみを食べ、酒を呑んでいた。
結構楽しそうにはしていたが。
ああ見えて、気を使っていただろうし。
長々付き合わせてしまったので、たっぷり礼はしなければな、と錆人は思う。
「今日は、もうお帰りにはなられないんでしょう?
奥様もこのまま静かにお休みになられると思いますから。
お酒、召し上がられてはいかがですか?」
と公子が訊いてくる。
見ていたこちらも疲れただろうと気遣ってくれているようだった。
「そうだな。
いただこうか」
錆人は爆睡している二人を眺めながら、もふもふうさぎの椅子に座り、酒を呑んでいた。
「ちょっと聞いてるっ? 月花さんっ」
と唐突に母が寝言で言い出し、ビクリとしたが。
すぐに月花が、
「……はいはい」
とまったく心のこもらない相槌を打ったので、笑ってしまった。