テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「お世話になりました。
朝食までご用意していただき、ありがとうございました」
朝、月花は玄関ホールまで見送りに出てくれたマリコに、そう礼を言い、頭を下げた。
「こちらこそ、悪かったわね。
今日も仕事があるんでしょう?
……まあ、またいらっしゃい」
「ありがとうございます。
いろいろと美味しかったです」
と言うと、マリコはちょっとだけ笑ったようだった。
「そういえば、唐人が女性を追いかけて出ていったというのは初耳だったんだが」
「特に言いたい話じゃないから。
その女性に貢ぐとかで、お金持って出て行ったわ」
「大丈夫か、それ。
殺されてないか……?」
「紗南も飛び出してしまうし。
みんな我が一族に生まれて、なんの不満があるのかしら。
月花さん?
あなたがどんなお嬢さんなのか、まだよくわからないけど。
ああ、お酒の好みはわかったけど。
ともかく、ちゃんと錆人とお付き合いして、ちゃんと結婚してちょうだい」
帰りの車で錆人が言う。
「……普段はうるさい母親なんだが。
唐人と紗南のおかげで、嫁に対するハードル下がっててよかったな」
月花は、……はは、と笑い、外を見た。
呑みすぎたので、昼は雑炊にした。
「二日酔いに効く雑炊ってありましたっけ?」
月花がそう吉村に訊くと、ちょうど側を通っていた三田村がバックしてきた。
月花を振り向き、言う。
「特別に作ってあげてもいいけど。
その代わり、僕と結婚してよ」
いや、雑炊一個で……?
「今日は偽装彼氏は一緒じゃないの?」
「偽装彼氏じゃなくて、偽装花婿ですよ」
そう言ったあとで、月花は気づいた。
離れた位置に座っている小柄で恰幅のいい男に。
そんな月花の視線に気づいたように、三田村がさりげなく訊いてくる。
「なに?
誰かいたの?」
「……後ろに常務が」
そういえば、もともとはあの人が私の上司になるはずだったんだよな、と気づく。
「へー、悪そうな顔した人だね」
チラとそちらを覗ったあとで、三田村は言う。
「いや、そんな顔で決めつけては……」
「あの人が持ってくるお菓子の下には小判がつまってそうだよ」
悪代官じゃなくて、越後屋の方なのか……。
顔は悪代官顔なのだが、とつられて月花も失礼なことを思ってしまった。
「なんか悪巧みの現場だったりして」
誰と話しているのか、衝立があって見えない。
「……やめてくださいよ。
常務、悪巧みしてたで、刷り込まれちゃうじゃないですか。
常務もこのお店の雑炊が好きで来てるだけなんじゃないですか?」
「月花もうちの雑炊、好き?」
もちろんですっ、と月花は笑う。
「じゃあ、明太チーズ雑炊好き?」
「はい」
二日酔いの今日食べるにはちょっと重いけど、と思いながらも、月花は頷いた。
「豚と舞茸の雑炊は?」
「好きですよ」
「冬野菜と卵の雑炊も好き?」
「好きですよ」
「じゃあ、僕は?」
「好……
尊敬してます」
罠にはまるところだった、と慌てて月花は言い換える。
「えっ?
僕に尊敬するところなんてある?」
三田村は意外そうに、そう訊き返してきた。
そのとき、常務がこちらをじっと見ているのに気づく。
レジに行こうとして、月花に気づいたようだった。
月花は立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。
常務は一応、頭を下げ返してくれたが。
遅れて立ち上がった連れの年配の男を急かし、外に出す。
そそくさと会計を済ませ、出て行ってしまった。
「あの人、今、なんか月花を睨んでなかった?」
「はあ……ちょっとそんな感じでしたね」
「ほんとうに、なにかまずいとこ見ちゃったんじゃないの?
どうする?
命、狙われるかもよ、月花」
「なに面白がってるんですか」
「いや、僕がいいところ見せるチャンスかなって。
ボディガードしてあげるよ。
うち泊まる?
ここに住み込む?」
なんか住み込みで働かされそうだ、と思い、
「お気持ちだけありがとうございます~」
と笑ってごまかし、冬野菜と卵の雑炊を頼んだ。
次の日、職場に行くと、常務が仁王立ちになって、あの重厚な廊下に立っていた。
「お、お疲れ様です~」
と月花はその横を通り過ぎようとする。
――なにかお怒りのようだな。
誰かと揉めたんだろうかな。
揉めた相手の人、可哀想に、と思いながら、行こうとしたが、
「待て」
と言われる。
もしや、揉めた人、私かっ。
昨日、睨まれたのは気のせいかと思っていたのだが……。
月花の前に立ちはだかっている常務が挨拶もなしに訊いてくる。
「昨日、あんた、雑炊屋でなにをしていた」
「……雑炊食べてました」
そのとき、
「常務。
私の秘書がどうかしましたか」
錆人が騒ぎを聞きつけてか、やってきた。
常務は錆人になにか言おうとしたが、やめる。
チラとこちらを見た。
……なんですか? と月花は目で問いかけてみる。
すると、
『えーいっ。
察しの悪い奴めっ』
という目線が常務から返ってきた。
『いや、ちょっと思い当たらないんですが』
と目で訴えると、なんか長々と常務は目で語ってきた。
「いや、すみません。
口に出しておっしゃってください」
とついに月花は口に出して言ってしまった。
「お前のために、口に出さなかったんだろうがっ。
なんだ、お前、雑炊屋の男前の主人とイチャイチャしてっ。
あのとき、私と一緒にいたのは、専務のご親族と付き合いのある方だっ」
あの人とは仲がいいんだ、と常務は言う。
「パーティで専務の嫁になる月花という女性を見たという話をちょうどされてたのに。
ふと見たら、あんたが楽しげに他の男と話してるじゃないかっ。
だから、見せないようにしたんだっ」
「そ、そうだったんですか。
ありがとうございます」
と月花は頭を下げた。
「でもあの、雑炊屋さんは、ただのご親切な方でして」
米一年分やるから嫁に来いと言われた話は、ややこしくなるので黙っていた。
「そうか。
ならいい。
もう浮気かと思って見てただけだ」
すみません。
そんな常務を密談中の悪代官を見るみたいに見てしまっていました。
こっちが悪人だったんですね……。
「お気を使わせてすみませんでした」
と錆人は常務に礼を言ったあとで、月花を振り向いて言う。
「しかし、常務が勘違いすると言うことは、雑炊屋と相当仲良さそうだったんじゃないのか」
いや、なぜ、常務が私の味方で、あなたが敵になるのですか……。
「いや、いつも通りでしたよ。
そうだ、常務。
そもそも、なんで浮気だと思ったんです?」
「ずいぶん親しげだったし。
あの店主、あんたの好みそうだったから」
何故、あなたに私の好みがわかるんですか。
私にもよくわからないのに……、と月花は思う。
「まあ、ともかく、すみませんでした。
いろいろお気遣いいただいたみたいで。
てっきり常務は私のことがお嫌いかと」
「あんたも専務も好きじゃないがね」
と二人を前に常務はハッキリと言う。
「対立したいわけではない。
あんたたちも私の立場になってみろ。
地方の支社から本社に取り立てられて、三十年。
家族一丸となって、上司をもてなしたりして、ここまで登り詰めたのに。
なんだ、こいつは!」
……こいつはとか言っちゃってますけど、専務に。
今、対立したくないと言いませんでしたっけ? と思ったが、どうにも抑えられなかったようだ。
「あんたのせいじゃない。
あんたのせいじゃないが、のうのうと生まれついた血筋のおかげで、簡単に上りつめ、挙句に派遣秘書まで手籠にするとかどうなんだっ」
「あの、手籠にはされてません」
「されてないのかっ。
まだなのか!
なにをしてるんだ!」
と何故かその勢いのまま、錆人を叱る。
「ちなみに、私は秘書に手を出したりはしない。
ここまで支え合ってきた、妻を愛しているからだっ!」
いつの間にか周りにいた人たちから拍手が起こっていた。
「常務、立派な方ですね。
途中で、お茶とかかけなくてよかったです」
「……かける気だったのか?」
と錆人に言われる。
いや、物の例えですよ……。
だって、専務も簡単に上りつめたわけじゃないと思うんですよね~、
と一癖も二癖もありそうな親族の方々を思い出しながら、月花は思っていた。