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自分が幸せになったとして
その代わりに誰かが不幸せになるなら
それは本当に幸せと呼べるのか
自分が不幸せになって
その代わりに誰かが幸せになるなら
それは本当に不幸せなのだろうか
「自分の幸せが1番」
「自分を愛して」
「嫌な人間関係は切ってしまえばいい」
「合わない人とは一緒にいなくていい」
「苦しむくらいならいっそ全て忘れて」
「解放されてしまおう」
「楽になっていいんだよ」
「疲れたら休んでいいんだよ」
「辛かったら逃げていいんだよ」
「我慢しなくていいんだよ」
「自分が幸せになるために」
「自分のために」
「じぶんのために」
「ジブンノタメニ」
本当にそうだろうか…?
これは、私が幸せを手放して幸せになるまでのお話
と思うことにした
今は辛くても、きっと
巡り巡って幸せになれるから
そんな物語を紡いでいく人生でありたい
自己犠牲って、よくないことなんだろうか
自分を押さえつけることって、よくないことなんだろうか
私はそうは思わない
たしかによくないことかもしれないが、
その結果が見るべきものだと思っている
つまり、この行為自体がよくないのではなく
結果がよくないから悪く見られてしまうのではないかと
私はそう思うのだ
これらによって自分が幸せになるのなら、いいではないか
自分の幸せを削ることは必ずしも悪ではない
周りの人々の幸せも全て含めて自分の幸せなのだから
自分の幸せを形作る大切な要素なのだから
それが人との繋がりということ
干渉するということ、されるということ
どう?少しは幸せを手放す心の準備ができた?
期待されることにはもう慣れたかい?
優しい自分を演じることにはもう慣れたかい?
頼られることにはもう慣れたかい?
普通の人でいることができているかい?
理解できるようになったかい?
この「世間」の中で生きていることを
自分の希望欲望のままに生きる危うさを
自分が思う幸せの脆さを
理解できているのなら
そっと、閉じ込めておいて
夢のままで
そしてそっと、手放して
あなたの幸せを
いや、手放すわけじゃない
直接幸せになろうとしないだけ
大丈夫、あなたの選んだ道だから
もしも閉じ込めた夢がこみあげそうになったときは
この「世間」で生きているということをどうか思い出して
自分の内面は周りからは見えないけれど
外面は周りの人々にしか見えないということ
どうか忘れないでほしい
演じ続けるのが苦しくても
いつかそれが本当の自分になったらいいね
あなたの苦しみは美しい
幸せを支えるための苦しみだ
どうか愛してあげて
あなたが手放した幸せは
誰かの幸せとなって生き続けるのだから
追記
大変長くなりましたが、もし読んでくれた方がいたら、ここまで読んでくれてありがとうございました🙇♀️
この詩(文章?)は自分を奮い立たせるために書いたものです
自分が幸せになりたいのも、相手を幸せにしたいのも、どちらも本当の自分です
でも私は今回後者を選びました
「今回の」悩みについては、です
自分が幸せになることを否定したわけではないので、ご安心ください
結局言いたかったことは、
自分の幸せに「蓋をした」のではなく
「誰かへ送った」のだと捉えたい、ということです
その相手は自分の周りにいる人だったり、どこかの知らない誰かだったり、はたまた将来の自分だったりするかもしれません
いずれにせよ、今の自分が手放した幸せはきっとどこかの誰かに届きます
このように少し見方を変えれば、気持ちが軽くなるのではないでしょうか