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教室の隅にいる、風変わりな少年は、誰とも話さなかった。
彼が 、人に対して「冷たい」というよりは、何かが「欠けている」ように見えた。
少年の名がシャルル、であることは知っていた。
だけど、名前が付いているから、人間だと錯覚できるだけで、彼は人間の形をした何かに見えた。
鉛筆が紙を削る音だけは、この教室では確かなものだった。
その音に、僕は無意識のうちに惹かれていた。
最初に見た彼の絵は、ただの風景だった。
しかし、徐々に紙に描かれている絵は気味の悪いものへとなっていく。
風景の中にあるはずのない影が、まるで生き物であるかのように蠢いていた。
「見ているなら、最後まで見ろ」
シャルルは、僕の目を見て言った。
それは拒絶の言葉ではなく、どちらかというと命令に近かった。
それに対し、僕は小さく頷いた。
その瞬間、僕の胸の奥にある何かが壊れた。
そして、放課後の美術室。
そこでシャルルは誰にも見せない絵を描き続けていたが、僕はそこで座り続けた。
見れば見るほど、彼の絵は残酷になっていった。
血の匂いがするような、鮮やかな色。
人間の形をしていない、謎の生命体。
それでも、そこには彼が描く「確かな世界」があった。
僕は絵を見た後、彼の世界に入り込むのが怖かった。
それでも、怖いものほど見たくなるのが人間だ。
シャルルが、僕の手首に触れたのは、決して偶然ではなかった。
震える手を見て、彼は無言で確認をしていた。
「触るな」
そう言われると、僕は思った。
でも、彼はそう言わなかった。
言わなかった代わりに、シャルルは僕の手をぎゅっと握った。
その瞬間、僕の体の中に何かが落ちた。
温度がないはずなのに、心が熱くなる。
こんな感情を持ったのは、今までで初めてだった。
これで、僕は確信した。
彼は、僕のことを支配している。
そして、彼はそれを自覚していることも。
キスは、彼からの確認だった。
拒否するか、逃げるか、受け入れるか、その選択肢は僕自身に与えられていた。
僕は、静かに目を閉じた。
その瞬間、彼の視線が暗闇から覗き込むのを感じた。
「君は僕から逃げられる?」
聞こえてきたシャルルの声は、とても静かで、穏やかで、囁くような感じだった。
それが、僕にとっては一番怖かった。
僕は、彼の問いかけに答えることができず、言葉の代わりに沈黙で返事をした。
答える必要がなかったから、というのが一つの理由なのかもしれない。
それから、僕とシャルルの触れ合いは、徐々に減っていった。
唇を重ねなくなるどころか、肩に触れることすらなくなった。
彼はもう、僕に触れることはないだろう。
それでも、僕は彼の傍から離れられない。
彼に視線を送られるだけで、僕の体は反射的に硬直する。
彼がこちらに振り返るだけで、僕の心臓は跳ね上がる。
下手したら、視線というものは、触れることより深いことなのかもしれない。
視線は、相手の逃げ場を奪う。
ある日、シャルルは一枚の絵を完成させた。
キャンバスに描かれていたのは、終末の世界で立ち尽くす、僕の姿だった。
少し輪郭がぼやけているが、描かれている人物が僕であることは確実に分かる。
「どう?」
彼が僕に聞いた。
僕は、絵から目を逸らせなかった。
「これは、…何?」
発せられた僕の声は、震えていた。
シャルルはニヤリと笑った。
「君はもう、僕からは逃げられないよ、ランベール」
シャルルに名前を呼ばれた瞬間、僕の心はゾクゾクした。
その言葉は、祝福でも、脅迫でもなく、ただの事実だった。
僕は理解した。
彼が描いた絵は、「僕の未来」だと。
そして、僕は心のどこかで、描かれている未来を望んでいた。
触れない関係が完成した時、僕は一つ、気づいたことがあった。
それは、彼が僕を必要としているのではなく、僕が彼を必要としている、ということだった。
彼に向けられる視線の中で、僕は生きてきていた。
まるで、僕が監視カメラに監視されているのかのように。
でも、彼がいなくなったら、視線を向けられることはないから、僕はそのまま消えてしまう。
それが、僕にとっては何よりも怖かった。
それが怖かったから、今も僕はシャルル の鬱くしい絵を見続ける。
絵を夢中で見る僕を、シャルルは見続ける。
視線という縄で縛られた関係、それが僕たちの黙示録だった。
今日から、教室の隅の静けさは僕たちのものだ。
僕とシャルル、二人だけの世界になった。
僕たちは今日も触れない。
それなのに、僕たちは教室にいる誰よりも近くにいた。
それが、最も残酷な愛だった。