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「芳乃さん」
暁人さんは〝悠人くん〟のように私の名前を呼び、髪を撫でてくる。
私また、震える手で彼の頬を撫で、その輪郭を確認した。
知らずと涙が零れる。
何の涙なのかは自分でも分からない。
ドッと様々な感情が溢れ出て、その一つ一つに名前をつけるのが難しかった。
「暁人……さん」
そう呼ぶと、彼が首を横に振った。
彼の意味する事を理解した私は、おずおずと呼び直す。
「暁人……くん?」
それに、彼は苦笑いする。
「暁人」
くん付けも違うのだと思った私は、一瞬迷ってから呼び捨てにしてみる。
すると彼は嬉しそうに笑い、私を抱き締めてきた。
「芳乃」
雇用主と従業員、家庭教師と生徒という過去を経て、名前を呼び捨てにし合った私たちは、やっとお互いが大人の男女になった事を知った。
「ずっと、あなただけを想い続けてきた」
その言葉も、今なら信じられる。
あまりに嬉しくて――、また新しい涙がこぼれ落ちた。
「〝俺〟だと言いたくて、言えなくて。再会して誰にも渡したくない気持ちから、半ば強引にあなたを自分のものにした。……それは反省してる。ごめん」
私は最初から感じていた彼の強引さの理由を理解し、思わず笑う。
「紳士的なのに押しが強いところ、昔から変わってないね」
そう言うと彼は恥ずかしそうに笑い、トンと私の鎖骨の下を指で打つ。
「俺がプレゼントしたネックレス、今も着けていてくれているよね? ……自惚れてもいいのか?」
「あっ……」
指摘されて、私はずっと自分が〝悠人〟からもらったネックレスを大切に着けていた事を思い出した。
恥ずかしくて彼の顔を見られないけれど、事実なのでコクンと頷く。
「……告白してくれたの、本当に嬉しかったんだ。ネックレスは身の丈に合わない立派すぎる物と思っていたけど、自分の夢を追うと決めたなら、悠人くんの気持ちも一緒に連れて行きたかった。『頑張ってるよ』って、伝わればいいなって……。つらい事があった時も、ネックレスに触れると勇気をもらえた気がした。……だから、こちらこそありがとう」
涙を拭って笑うと、暁人は嬉しそうに目を細めた。
「今なら俺を受け入れてくれる? 『愛してる、結婚してほしい』って言ったら、頷いてくれる?」
そう言われて「はい」と言いかけたけれど、ハッとグレースさんを思い出す。
暁人は私の表情の変化を感じとり、困ったように笑う。
「まだ何か問題がある? 何でも言って」
彼は八年にわたる片想いを打ち明けてくれ、私と再会する間に彼女がいた様子はない。
白銀さんには暁人から話題にするまで黙っていたほうがいいと言われたけれど、彼を信じて思い切って話す事にした。
「グレースさんと結婚しているんじゃないの?」
「はい?」
暁人は今までの愛しげな表情から一転し、驚きに目を見開く。
「何であいつと……。……あ、……あー……!」
彼は素で言いかけたあと、思い当たったような表情をして嘆息した。
暁人は思いきり顔をしかめたあと、弱ったように尋ねてくる。
「もしかしてどこかで彼女に会った?」
「そ、その……」
気になって尾行してしまったとは言えず、私は口ごもる。
「まぁ、いいや。結婚してると思い込んでいたって事は、多分彼女と一緒にいる時、俺が指輪をしていたのを見たんだろ?」
あっさり言われ、私は戸惑いながら頷く。
「まず、誤解させてすまない。謝罪する」
暁人は深く頭を下げ、謝られた事で不安がスッと軽くなった。
「グレースは五歳年上の、昔からの知人だ。俺は芳乃に家庭教師をしてもらうまで、彼女に教えてもらっていたんだ。彼女とは子供の頃から家ぐるみの付き合いがあった。グレースはアメリカの有名大学をスキップで卒業したあと、大好きな日本に来て事業を始めようとしていたんだ。その準備期間に、バイト気分で俺に勉強を教えてくれていた。……まぁ、気心知れた仲だから、当時のいじけた俺は反抗心があって、あまり成績が上がらなかったんだけど」
暁人は照れくさそうに笑ったあと、続けた。
「彼女は天才肌で、美人で魅力的だ。どこに行っても人を惹きつける代わりに、トラブルを起こす事もあった」
だんだん話が見えてきた。