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山の深奥、分厚いコンクリートの壁に囲まれた第14実験室。そこには、下界の喧騒も、歌舞伎町のネオンの残像も届かない。
「……NYXSPEC-001。聞こえるか」
強化ガラス越しに響く、感情を排した男の声。医療用ベッドに拘束された少女――かつて「ミウ」と呼ばれ、居場所を求めて夜の街を彷徨っていた彼女は、重い瞼を持ち上げた。腕には何本もの細いチューブが繋がり、青白い肌に這う血管のように、淡い蛍光色を帯びた液体が流れ込んでいる。
「NYXSPEC-001。君がここに志願した理由は、『消えたい』だったね。だが、この施設は君を消しはしない。……君の『個』を剥ぎ取り、純粋な『反応体』へと再構築する」
彼女のうなじには、まだ赤みの引かない刻印が刻まれている。
【NYXSPEC-001】
それは夜(NYX)から救い上げられた標本(SPECIMEN)という、逃れられない徴。
「第一段階、感覚過敏化プロトコルを開始する。……001、今の気分はどうだ?」
「……あつい。……なにか、なかで……暴れてる……」
彼女の声は震えていた。投与された試薬は、脳の報酬系を異常に活性化させ、全身の神経末端を剥き出しの状態にする。空調のわずかな風ですら、彼女の肌には荒いヤスリで擦られるような、鋭すぎる刺激として突き刺さる。
「それは『期待』だよ。君の肉体が、次の刺激を切望している証拠だ」
研究員がコンソールのレバーを静かに押し下げる。
室内の照明が落ち、代わりに紫色の怪しい光が彼女を照らした。天井から降りてきたのは、多脚型の精密なマニピュレーター。その先端には、羽毛のように柔らかいブラシと、対照的に冷たく硬い超音波振動子が備わっている。
「ひ……っ! あ、あああぁっ!」
ブラシが太腿の内側に触れた瞬間、彼女の背中が弓なりに跳ねた。
通常の数百倍に増幅された触覚。ただの「撫でる」という行為が、彼女にとっては脳を直接かき乱されるような暴力的、かつ甘美な衝撃へと変換される。
「データは良好だ。心拍数160、脳波は強烈な快楽物質の分泌を示している」
「やめて……もう、わかんない、の……っ! おねがい、こわして……!」
彼女は泣きながら、自由の利かない手首を拘束具に打ち付けた。だが、その瞳は恐怖ではなく、底なしの愉悦に濁っている。自暴自棄に死を願っていた心が、肉体の圧倒的な「生」の快感に塗り潰されていく。
「壊しはしないよ。君は今日、初めて『生きたモノ』になったんだ」
マニピュレーターがさらに深く、彼女の最も敏感な秘部へと伸びる。
機械的な、慈悲のないピストン運動が始まった。彼女の口から漏れるのは、もはや言葉ではない。ただの、熱い吐息と、震える絶頂の残響。
夜の街で誰にも見つけられなかった彼女は、今、冷たい山奥の実験室で、一連のコード番号として完璧に「観測」され、支配されていた。
「いい子だ、001。……次のサイクルへ移行する」
モニターに映し出される彼女の表情は、地獄の苦痛と天国の恍惚が混ざり合った、この世で最も醜く、そして美しい「標本」の顔をしていた。
「……あ、あぁっ……はぁっ、はぁ……っ!」
マニピュレーターの無機質なピストン運動が速度を上げる。NYXSPEC-001の腰は、拘束具が軋むほどの勢いで跳ね上がり、シーツには彼女の体から溢れ出た無色透明の熱い液体が、大きな染みを作っていく。
強化ガラスの向こう側で、研究員の手がキーボードを叩いた。モニターには、彼女の脳内を駆け巡るドーパミンの奔流が、どす黒い赤色のグラフとなって表示されている。
「過覚醒状態(ハイパー・アライザル)に移行。001、君の脳は今、通常の人間が一生かけて味わう快楽の総量を、この数分間で消費している。……気分はどうだ? 地べたを這いずり回っていた頃の絶望は、まだ残っているか?」
「……な、い……なにも……みえない……っ!」
彼女の視界は、生理的な涙と強烈すぎる閃光のような快感で白く塗り潰されていた。かつて彼女を苛んでいた、深夜のセンター街の冷たい風も、大人たちの汚い視線も、自分を必要としない親の顔も。すべてが、この熱い肉体の震えの中に溶けて消えていく。
「よろしい。では、オプションを追加しよう。……『共鳴試薬』を投入」
研究員がスイッチを入れると、彼女の首筋に刺さったカニューレから、エメラルド色の液体が脈動と共に注入された。
「ひぐっ……!? あ、あああぁぁぁ!!」
それは、快感の性質を変貌させる薬だった。
ただの肉体的な摩擦が、まるで内臓を直接愛撫されるような、悍ましくも甘美な「内側からの侵食」へと変わる。彼女の腹部は、見えない何かに突き上げられているかのように、不自然に波打った。
「これは君の『孤独』を埋めるためのプログラムだ。薬物が神経系を擬似的な他者の存在として認識させる。君は今、何百人もの透明な恋人に抱かれている感覚に陥っているはずだ」
「やだ……こわい、すごすぎる……っ! 脳が、とける……っ!!」
彼女の指先が、何もない空中に向かって虚しく彷徨う。誰かを掴もうとするその手は、しかし、何も掴めない。
施設が提供するのは、完璧な快楽と、完璧な孤独だ。
「001。君が求めていた『救済』は、この無機質な絶頂の中にある。……さあ、最後の仕上げだ。リミッターを解除する」
機械の駆動音が一段と高くなり、ピストンの速度が人間の限界を超えた。
「あ、あ、あああああああ――っ!!!」
彼女の絶叫が、防音完備の室内に虚しく響き渡る。
全身の筋肉が硬直。足の指先までがピンと張り詰め、眼球はあらぬ方向を向いて白濁する。
数分間にも及ぶ、致死量に近い連続した絶頂。
やがて、機械が静かに停止し、部屋に沈黙が戻った。
「……ハ、ハァ……ハァ……」
NYXSPEC-001は、糸の切れた人形のようにベッドに沈み込んでいた。口角からは、だらしなく涎が垂れている。
彼女の瞳には、もう「ミウ」としての意志は微塵も残っていない。ただ、快楽の余韻に支配された、空っぽの、だが幸福そうな抜け殻があるだけだった。
「実験終了。……検体001を洗浄室へ。次のサイクルまで、栄養剤と鎮静剤を投与し、夢も見させないように眠らせておけ」
「……了解しました」
助手たちが部屋に入り、彼女を拘束から解く。
ぐったりとした彼女のうなじ。そこに刻まれた【NYXSPEC-001】の文字が、室内の冷たい蛍光灯を反射して、銀色に光っていた。