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「ヌヴィレット、僕の劇はどうだった?」
赤く燃える夕日を背に、水神は楽しげに1匹の観客に尋ねた。くすくすと笑う彼女の顔は幼げな少女のようで、この後起こる悲劇を忘れてしまったのかと錯覚するほどだ。
彼女はじき、斬首刑に処される。罪名は、天理に許可なく、純水精霊を人間としてしまったもの。それは、彼女が犯した過ちでは無いのに。
死刑、という判決を下されたとき、先代エゲリアを恨むわけでもなく、憎み口をこぼす訳でもなく。彼女はただ悲しげに目を細めて、己の”完璧な少女”へ微笑んでいただけだった。500年もの間、偽りが剥がれるかもしれないという大きな不安を1人で抱え込んでいた少女へ。
「さあ!幕を閉じて、僕をエスコートしてくれる?」
その処刑の刻まで、彼女は水龍にひとつの演劇を見せてやっていた。『水の娘』というひとつの悲劇。
演者は彼女1人で、稽古もなし。演じられる役に幅はあるだろうに、彼女の劇は完成していた。いや、あまりにも完成しすぎていた。
だが、もう処刑まで刻一刻と迫っている。そして、夕日もどんどん沈んでいく。彼女に残った時間はないとでも言うように。
スポットライトの消えた劇は見れたものでは無い。光の当たらないステージでは役者の姿がヌヴィレットから見えるだろうか。否、無理だろう。水龍だからといっても、夜目は多少効くだけだろうから。夕日も沈み、月の光も当たらぬ。フォカロルスのシルエットすら視認できまい。夕闇が近付いてくる。後悔と、懺悔。
「…フォカロルス。まだだ、」
あぁ、有り得ない。
「まだその話の結末を私は知らない。村娘は、彼女は笑えるのか。まだ劇は終わっていないだろう…」
自らの口で彼女の死刑を通告しておいて、それが近付けば止めるのか。そんな権利はなかろうに。
微笑みながら顔を見つめる彼女に、ヌヴィレットは手を伸ばした。だが、掬われることは二度とない。ふらりと彼女はヌヴィレットに近付いたかと思えばぎゅう、と彼を抱きしめた。
「あぁ、僕の水龍。僕は大丈夫だから、心配しないでおくれ。君がそんな感情を持つようになって嬉しい。君とは、500年の仲だから。」
ヌヴィレットはす、と体の力を抜き、水神に軽く体重をかけた。
「でもね、そう。こうなってしまうだろう。人間に近づく、というのは優しい事ばかりじゃあないよ。孤独を感じてしまうだろう」
ふと、ぽつぽつ雨が降り始めた。あぁ水龍が泣いている。
腕の中に大人しく収まった自分の友人の背中を彼女は優しく撫でて目を閉じた。
処刑、1刻前のことであった。