テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「澪様っ! 今日の夕食はお魚の煮付けと、野菜の煮物。お味噌汁、お新香、堺名物とろろ昆布ですよ」
夕方。
私は広い玄関先で澪様を迎えていた。澪様は今日も仕立ての良い紺色の着物を召していて、白牡丹の羽織を肩に掛けていた。
とても麗しいお姿だったが、その表情は困惑気味だった。
「……なんで、お前はたった二日でこの家に馴染んでんねん。しかも澪様って、本当に僕の小姓にでもなったつもりか?」
「だって、お茶会には私は澪様の小姓として付き添う体で出席するんですよね。だから私は詮索をするなと言われても、澪様のことをよく知る義務があります」
「うん。まぁ。そうやねんけども」
「こうして普段から小姓のようにしていると、咄嗟のときボロが出ません。あと、この方が小姓として自覚を持ちますし、よりお茶会を無茶苦茶に出来る自信があるのです」
本当は情報収集と少しでも、澪様との心の距離を詰めるため。そして澪様に思惑はあったとしても、衣食住を提供してくれるのは大変ありがたく、恩を返したいと言うこともあった。
「さよか。それやったら……ええんかなぁ……いや。なんか別に全く関係ない気がするけど」
「気のせいです。澪様、それよりご飯が冷めてしまいますよ。早く一緒にたべましょう。そして朝、約束しましたよね? 澪様のことを私に教えて下さいっ」
「あぁ。分かったから。静かにしてくれ。家の中でもうるさいのは好かん」
「はい。失礼しました」
「仕事の数字をさっと先にまとめたい。そのあと一服してから、食べるから」と自室に向かう澪様。
その言葉にこくっと頷いて、先に食事を用意している和室へと向かった。
和室の机の上には私が既に用意した二人分の食事があった。澪様はあと十分ぐらいしたら、こちらに来る。
その間にお味噌汁をもう一度温め直そうと、お味噌汁が入ったお鍋を台所へと運んだ。
──二日間。女だと言うことを隠して男装を続けて、この家で過ごして分かったことがある。
澪様はこの家で一人暮らし。良い香りがする人。
職業は商人。計算が物凄く早い。
藤井屋というところで働いており。そこの次男坊。長男は『|臣《おみ》』様と言うらしい。
藤井屋は豪商、商人一族で堺港に物資、保管をする倉庫。納屋をたくさん所有、管理をしている。
ほかにも倉庫の賃貸や廻船業、金融業、貿易業務などを営み。凄くお金持ち。政界にも影響があるらしい。
あの私を攫った髭男が恐れ、慄いていた理由がよく分かった。
「でも、まだお兄様のことは良くわからないなぁ」
お茶会に関しては、お兄様が主催で開くと言うことだけ。
ふぅっとため息をつきながら、最新式のガスコンロに鍋を置く。
そして、栓を捻れば勝手に火がつく。とっても便利だ。
「私の家はかまどだったから。ここの台所いいな。お風呂もガス風呂。羨ましい」
独り言をいいながら、くるりとお鍋の中をかき混ぜる。
この家の台所は驚いたことに最新式の氷式冷蔵庫。オーブンまであった。しかし、どれもピカピカ。使われた形跡はなかった。
どうやら澪様は、食事はほぼ外食で済ましていたらしい。
そこで私は小姓らしく。
お代金を預かり。近くの商店街で買い物をして、食事を作ることを提案したのだった。
一日目はこの家の中の様子。家の周りの地図を見せて貰い、場所の把握に時間をかけた。
ここは堺の中心部に近い高級住宅地と言うのがわかった。
桐紋のヤツらが私を探しているかも知れない。昨日の今日で出歩いたら、鉢合わせする可能性だってある。だから初日は家から出ないようにした。
それに咄嗟の時に、堺の街に迷子になってしまわないようにと、一日目は堺の街の地図を頭に叩き込むことに時間を費やした。
二日目は澪様に外出許可を貰い。お昼間の明るい時間、大通りを選んで堺山之口商店街で買い物をした。
──桐紋の人達に出会っても人混みの中なら私を攫うなんて、そんな無茶なことは出来ないだろうと考えた。
注意深く街を歩いて、桐紋を身につけたが人達がいないかキョロキョロしてしまったけど。
いつの間にか商店街の人の多さにびっくりしていた。
宇治の山奥では鳥の囀りや風の音。川のせせらぎ。山の香りが私を包んでいた。
ここでは喧騒と活気。香りは複雑過ぎてよくわからない。なんだか混沌としていた。
人の多さや情報量に圧倒されながらも、無事に買物も終わり。
澪様が仕事に出ている間、家の掃除。洗濯にも精を出した二日間だった。
「これで二日目か……まずまずだよね?」
大丈夫だと自分に言い聞かす。
しかし言い換えればあと、四日でお茶会を守りぬく打開策を打たねばならない。
追ってから逃げる方法はいっそ、警察を頼っても良いのかも知れない。
けど、どちらもいまだピンと来ない。
でもお茶会に関しての打開策。それは藤井兄弟にあると感じていた。
だって、お兄様と仲がよかったら目茶苦茶にしたいなんて思わないだろうから。
「人と人。お互いに心を開いて仲良くしたら、解決出来ない問題はない」
うんうんと頷くと、くつくつとお味噌汁が沸騰してきた。辺りに優しいお出汁の香りが漂う。
一人暮らしが長ったので、料理はそこそこ得意だった。
おたまで味見をすれば温度も丁度良いあんばい。
よしと思い、ガスの火を止めて。
お鍋を持って和室に戻ると、そこには澪様がいた。
「ふぅん。そうしていると小姓じゃなくて、女中みたいなやな」
「私は男ですよっ!? じゃないとこんな髪してませんっ。む、胸があるように見えますかっ」
正体がバレないために、自分で胸が無いと言ってしまって複雑ではある。
「そんな顔を赤くせんでも。胸に反応するなんて、まだまだだやな」
ニヤッと笑う澪様にそっぽを向く。
本当は女だからっ! 髪はちょっと整えたけどまた伸びるし。胸はきっともう少ししたら、多分、成長するはず!
今は男装の方がいいんですっ。
とは言えない。
──《《私の本当のことも言えない》》。
だからまだ、私の正体はバレてないことに安堵しつつ。適当に誤魔化して、お味噌汁をお碗に注ぐのだった。
食事中。澪様は静かに食べるのが好みだそうで、ほぼ会話はなかった。
微かに食器の音が聞こえるだけ。
今日の朝食でも思ったけど、澪様はとても綺麗に食事をする。裕福な家の生まれもあって上品と思った。
私も会話がなくても別に問題なかった。澪様の箸の進み具合を見れば満足だった。
それにこうして誰かと食べると言うことが、久しぶりでホッとしたのだ。
そうして静かに食事が終わったところで、澪様がご馳走様と箸を置き。
お茶を飲みながら話すと言ってくれた。
私はお茶を淹れる為にさっと、机の上の食器を片付けて台所に戻る。
棚に置いてあった金色の洒落た紅茶の缶を取り出す。
缶に書かれた文字は淹れ方も含めて全て英語だったが、私は読めるので問題ない。
昔、まだ両親が健在のとき。家の近くに外国人の夫妻がいた。その時に知り合いになり、家族ぐるみの交流をしていて、気がつけば自然と英語を覚えていた。
「よく、皆でお茶会をして楽しかった」
その外国人夫妻は療養の為に空気の澄んだ山奥に引越してきたみたいで、体が良くなると山を離れた。懐かしい思い出だ。
「色んなことを教えて貰ったな」
そんなことを思いながら缶を見つめる。
日本茶は目を閉じていても美味しく淹れる自信はあったが、紅茶はまだまだ。
「けど、説明通りに淹れたら大丈夫だよね」
この家には日本茶はほうじ茶ぐらいしかなく。代わりに紅茶の缶が沢山あった。
白磁のティーポットやカップもちゃんと揃っている。ハイカラだ。
澪様はきっと日本茶より、紅茶がお好きなのだろう。
いずれにしてもお茶を淹れるのは大変楽しい。
しかも知らないお茶だとワクワクする。これは私の性なのだろうと思ってお湯を沸かし、その間に素早く食器を片付けて行った。
「お茶を淹れました。どうぞ」
紅茶を淹れて部屋に戻り。
机の上に白磁器に揺蕩う紅茶を置いて、澪様の向かい側に座った。
「まさか紅茶を淹れたんか?」
「はい。お好きだと思って。ダメでしたか?」
「適当に淹れたとか?」
「そんなことしません。ちゃんと説明を読んで淹れました」
澪様は「説明を読んでねぇ」と疑わしそうに私を見つめながら、ゆっくりとカップに口付けると。
ぱっと瞳を見開いた。
「──美味い。帝国ホテルで飲んだときと同じ味がする」
「本当ですか。それは良かったです。でも茶葉が上質なものだったから。説明通りに淹れたらちゃんと美味しい紅茶が出来ると思います」
そう、紅茶の缶には茶葉はピュアダージリン100% 混ぜものはなしと書かれていた。
実際、缶の蓋を開けると茶葉の柔らかな芳醇な香りがしたので謳い文句には間違いないだろう。
紅茶の水色も透き通るような輝く赤色。
味見をするまではなく、私のカンがこれは良いお茶と告げていた。
澪様はまた一口飲んで、信じられないと言う表情をしていたが、これでひとまずは話が出来る場が整ったと思い。
私の聞きたいこと。それはお兄様との確執を尋ねたいところだけど、出会って二日目にして身内のことを喋る人も居ないだろうと思い。
「澪様は何が好きですか? あと、お茶会についてもう少し詳しく教えて欲しいです」
これだったら、教えてくれるかなと思うことを尋ねた。
「……ほんま、お前は変わってるな」ふっと笑い。紅茶のカップを机の上に置いて「そんなことより、聞きたいことあるんとちゃうんか?」と言われてドキッとした。
澪様に心を見抜かれたかと思うと。
「僕が外国人かどうか、聞きたいんちゃうか?」
口元の黒子に手を当てて、澪様はにっと笑った。
「はぁ。びっくりした。別に澪様が外国人でも私は驚きません。世の中は広く、日本は小さく。海を渡ったら私達こそ外国人だって。お父さんが良く言ってました」
「可愛げない答えやな」
藤井さんは長い腕を伸ばしたかと思うと、むきゅっと私の鼻を摘んできた。
「ひゃうっ!?」
「そこは『ずっと聞きたかったんですぅ』ぐらい言え。僕に合わせとけ。千里は僕の小姓なんやろ?」
「だ、だって。澪様が外国人でも日本人でも、澪様は澪様だからっ」
そう言うと鼻を摘んだ指先から力が抜けたので、澪様の手をばっと払い、鼻をさすりながら距離をとる。
すると澪様は何故か、一瞬だけハッとした顔になり。ぱっとそっぽを向いた。
「まさか、あの人と同じことを言うか……はぁ。子供って純粋でえぇなぁ」
「あの人って誰ですか? 澪様は純粋じゃないのですか?」
思わずぽろりと言葉をこぼしてしまうと、澪様はにっこりとグリム童話の王子様、いや。魔女みたいに笑ったので「何でもありません」と、言い直した。
「口は災いの元ってか。まぁいい。紅茶の美味しさに免じて教えるわ」
と、紅茶をまた一口含んで喋り出した。
「まず僕のことは正しく認識しろ。外国人と誤解されても面倒やから言う。僕は正真正銘日本人。親も日本人や。けどな先祖に露西亜人がおった」
「露西亜ですか」
「昔、日露和親条約で日本が露西亜と締結した。関西は直接な関わりはなかったけどな。貿易を営んでいた祖先の一人が露西亜人の娘と恋仲になって、日本に住まわせて妾にしたとか。なんかそんなことがあったらしいわ。で、僕はその先祖還り。生まれてきた瞬間、鬼子が出て来たかと周囲は散々揉めたそうや。そりゃ、そうやろうな。一年先に生まれた兄貴は黒髪の子供やったんやから」
そう言う、澪様の金糸のような髪がさらりと儚げに揺れる。
確かにいきなり金髪の赤子が出て来たら、びっくりはするだろう。だからと言って、鬼子だなんて酷い。
澪様の幼少期は辛いものだったかもしれないと思った。
「でも、今の澪様は王子様みたいでカッコいいです!」
と伝えた。また生意気だと言われるかと思うと。澪様は真顔で。
「そんなん知ってる」
と言った。
「えっ」
「周りは判子を押した顔ばっかりで、人を見掛けでしか判断せぇへん。そんなカカシ頭に何を言っても無駄。脳みそも詰まっている。見た目も素晴らしい僕が、それぐらいの批判はあっても当然やな」
当たり前のように言う澪様に目を丸くする。
言葉はアレな感じだけども。言い方はアレだけども。
澪様はとても面白い。いや、そうじゃなくて。
この人は心が豊かだ。自分をちゃんと持っていらっしゃる。はっきりと言い切る澪様に関心してしまった。
「まぁ。お世話になった人が外見なんか気にするなって、言ってくれたお陰もあるかな……」
小さくこぼした言葉は遠い昔を思い出すような、暖かみがあって「澪様?」と聞き返すと宝石みたいな双眸を瞬かせ。
いつも通りに自信満々に笑った。
「そんな訳で僕は日本人。なのに街を歩いていると外国人に間違えられたり、ジロジロ見られたりするのが面倒くさい」
「それは仕方ないです」
くすりと笑うと澪様も小さく笑い「それはそうとして」と言葉を続けた。
「幾ら僕が才能に溢れていても、次男坊って言うだけで家を継ぐことは出来ん。あの八方美人の口だけは、達者なクソ兄貴。僕にはなにかと嫌味しか言わない長男が、家業を継ぐんだと。それが僕は気に入らない。アホちゃうか。僕がどれだけ藤井屋に利益を出したか、知らん訳じゃない癖に。お喋り上手やったら、インコでもオウムでも出来るわ」
ふんっとつまらなさそうに息を吐いて、また紅茶を飲む澪様。
実兄の悪口をつらつら述べる様子を見て、これはお兄様との確執の輪郭に触れたと思った。
「だから、お兄様が開くお茶会を滅茶苦茶にしたいと言う事ですか?」
「そう。その日は藤井屋の跡継ぎを皆の前で披露、襲名する日でもあるからな」
なるほど。
それで無茶苦茶にっ──って。
背筋がぴきっとなる。
滅茶苦茶なのは澪様のほうだ。
私は此度のお茶会は、親睦を深めるお茶会だと思っていたら全然違うではないか。
これはとても重要なお茶会。
これはさすがに諌めるべきかと思い至るけど『僕がどれだけ利益を出したか』と言う言葉が、頭をよぎった。
これは言い換えれば『とても頑張った』と言うことでは。
頑張ったのに、跡継ぎになれなくて……。
いや、でも。
前にメンツを潰したいとも言ってたし。澪様の性格なら『気に入らない!』と言う、気持ちだけでも滅茶苦茶にする理由になり得る……かもしれない。
澪様の万華鏡のようなの心を把握出来ずに、思わずうーんと、考えてしまった。
そのとき、小さく。
──約束やから。
立派な商人になることが──
ふとした声に聞き間違えかと、澪様を見つめると。
澪様は前髪をさらりとかき上げ。なんでもないように喋った。
「──お茶会の場所は皇陵の近くの宗南寺。住職がお茶の名人らしいわ。詳細はまた言う。あと最後に僕が好きなものは甘いもの。明日の紅茶には砂糖を用意してくれ。じゃ、今日はこれぐらいで終いにしよか」
「あ」
もっと質問したいことがあるのにと、身を乗り出すと。
「子供は早よ寝ろ」
キッパリとそう言われて、その日はお開きになった。