午前中は昨日溜めてしまった仕事の処理に追われていた。
午後になってようやく今日の仕事に取り掛かる。沢山の伝票処理は根気が要る作業で、肩が凝る。それでも黙々と進めている内に、若生屋さんからの注文書が来ていない事に気が付いた。
そう言えばここ最近注文が来ていない。
どうしたんだろう? 若生屋さんは売上げは低いけど、定期的に注文をくれていたのに。
処理漏れかと心配になってファイルをひっくり返してみたけれどやっぱり無い。たまたま注文が必要の無い状況なのかな?
若生屋さんのお菓子が売れなかったら、うちのオモチャも必要無い訳だし。
気になりながらも、その事にあまり時間を取る余裕も無く、私は次ぎの仕事に着手した。
午後八時十五分。ようやく今日の仕事が終った。
二日分の仕事をこなすのはやっぱり大変。普段あまり残業をしない私にしてはかなり遅い時間ですっかり疲れてしまっていた。
足元のボックスに入れて有るバッグを出し、脇机に仕舞って有った財布とかスマホを入れて行く。
ふと気になってスマホを確認すると、何件かの着信が入っている。
「あ……大樹だ」
今まであまり電話はしてなかったんだけど……これってやっぱり私達の関係が変わったって事だよね。嬉しくなって急いでフロアから出て廊下で電話をかける。
少し待っただけで大樹が出た。
「花乃?」
低く艶やかな声が聞こえて来る。
「大樹、ごめんねさっき電話に出られなくて」
「いいよ、仕事だった?」
大樹の声は凄く優しい。
「うん。今終ったところなんだ」
「大変だったな。もう帰れる?」
「うん」
「じゃあ一緒に帰ろう。俺ももう出られるから」
「え、本当に?」
「ほんと、十分後に下で待ち合わせよう」
「うん!待ってる」
まさか大樹とこんなに直ぐに会えるなんて。嬉しい! 残業疲れなんてどこかに行ってしまったみたい。
急いでトイレに行き簡単にメイクを直す。それからエレベータで一階に降りロビーを突っ切って正面玄関から出ると、朝と同じブラックコートの大樹が出迎えてくれた。
「大樹」
小走りに近寄ると大樹がふわっと笑ってくれた。
「お疲れさま、仕事忙しかったみたいだけど大丈夫?」
「うん。大樹の方こそ大丈夫なの?」
私と同じ時間まで残業していたんだから大樹だって疲れているはず。
「俺は全然平気。でも花乃は無理するなよ。昨日の事も有るし」
冬の夜の街を二人並んでゆっくり歩く。
大樹は心配してくれてるけど、今の私は本当に疲れてなんていない。心が弾んでいるせいか、身体も軽い。
クリスマス用に飾られたキラキラしたイルミネーション。見慣れているはずなのにとても綺麗に見える。
「何か食べてから帰る?」
「うん。お腹空いちゃった」
「よし。じゃあどこがいいかな?」
大樹はチラリと辺りを見回しながら言う。
「私行きたいお店有るんだ。大樹の好きなものも有ると思うよ」
私の言葉に大樹は少し驚いた顔をしたけれど、その後直ぐに微笑んで「じゃあ、そこで」って言ってくれた。
私達が入ったのはいつもランチで立ち寄るカフェだけれど、夜はメニューが変わり、結構凝った料理を出してくれる。
前から一度ディナーで来ようと思っていたんだけど、機会が無くて今日が初めてだった。
「私、魚介のラグーソースパスタ」
前々から狙っていたメニューに即決すると、大樹も割りと素早く決断した。
「俺はローストビーフ」
「やっぱり、大樹それを選ぶと思ってた」
最近知ったけど大樹は肉が大好きだ。
「花乃が俺の好み覚えてくれてるなんて感動」
「そ、そうかな?」
「前は “大樹の好きなもの?そんなの私には関係ないし“って態度だったじゃん」
た、確かに……私、随分変わったんだな。
今は大樹の事がこんなに気になって、もっと知りたいって思ってるんだもの。
「花乃、ブルーベリータルトが有るけど頼むよね?」
「うん、もちろん」
なんか……私凄く幸せ。
こうやってもっと仲良くなってずっと一緒にいられたらいいな。
美味しい食事に満足してカフェを出た。おしゃべりしながら駅に向かう。
家が隣だと帰り道もずっと一緒に居られるから、得した気分。
電車は割りと混んでいたけど、一人分だけ席が空いていて、大樹は当たり前の様に私を座らせてくれた。
電車を降りて、大通りをゆっくり歩く。
ここ数年は家の近所の通りもクリスマス用にライトアップされる様になった。
会社近くとは規模が違うけれどとても綺麗。
「ねえ大樹、クリスマスイブだけど……」
大樹は私を見下ろしながら優しく答えた。
「前も言ったと思うけど花乃は家で待ってて。10時頃に行くから」
「え……」
「どうした?」
「あ、何でもないよ、分かった待ってる」
かなりがっかりしてしまった気持ちを隠して、私は無理矢理笑顔を作った。
確かに前からクリスマスイブの事は言われていたけど、二人の関係は変わったんだから予定も変わるかなって期待しちゃっていた。しかも十時って結構遅いよね。
家で大樹を待つのは全然嫌じゃないけど、人生初めて恋人と過ごすクリスマスイブだし、もっと長く一緒に過ごしたかったな。
お洒落なところで食事をして、綺麗な夜景を見たり、イルミネーションの中手を繋いで歩いたり。
ちょっと沈んだ気持ちになっていると大樹の声が聞こえて来た。
「花乃は仕事定時に終りそう?」
「イブ? ええと……」
スケジュールを思い出す。途端に重苦しい気持ちになって私はがっくりと肩を落とした。
「花乃?」
「イブはね、須藤さんと外出なの、しかも茨城の得意先まで。確か十六時の約束だから打ち合わせの後直帰になると思うんだけど、須藤さんとふたりでだなんて憂鬱だよ」
溜息と供に愚痴を吐き出すと大樹がピタリと足を止めた。
「どうしたの?」
見上げると大樹の顔から笑顔は消えていて、代わりに眉間にシワを寄せた恐い顔になってしまっていた。
「あ、あの?」
何で急に機嫌が悪くなってるの?
「須藤ってこの前のふざけた男だろ?」
「うん。私の文句を言ってた人」
あの時も大樹が助けてくれたんだよね。
酷い言い方をされてショックだったけど、今幸せだからか、私はもう気にならない。
でも大樹はそうじゃないらしく、冷ややかな怒りを滲ませて言う。
「何であの男と外出なんだよ? しかもふたりきりで。また何か言われたらどうするんだよ?」
「私も行きたくないんだけど同じ顧客担当になっちゃったから仕方なく。かなり嫌なんだけどね……須藤さんは毒舌だからまた何か言ってくるかもしれないけど、スルーしておくよ」
「何であいつと花乃が同じ担当になるんだよ!」
大樹はイライラと吐き捨てる。
でも仕事じゃ仕方無いとも思ってるのか、気持ちを落ち着かせる様に、はあと大きく息を吐いてから私の腕をがしっと掴んで言った。
「あいつに変な真似されたら直ぐ逃げろよ」
「う、うん」
変なって何だろう。いくらなんでも逃げる様な事態にはならないと思うんだけど。
「あいつがまた下らない事言っても無視しろ。困ったら俺に電話して」
大樹は普段は優しいけど怒ると結構命令口調になる。
その勢いに押されて私はコクコクと頷いた。
大樹はまだ完全には気が治まらないのか私の手を引くものの笑顔はない。
「しかも何でクリスマスイブに行くんだよ」
うん、それは私も心から思っています。
須藤さんとじゃなくって大樹とずっと一緒にいたいのにな。
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