朝起きると、憂鬱が一番最初に浮かんでくる。
今日どんな事が起こるかもう分かっているから、嫌になる。
分かっているだけで実際の現実は何も変わらないのに、分かっているだけで何もプラスにならないのに、何が起こるか知っている。
ちなみに、僕は運動ができない。
走りのテストがあってタイムを測らなくちゃいけない今日を前から憂鬱に思っていた。
休みたいし、近頃は辛い時は休んでいい、逃げていいという風習になりつつあるが、僕は休めない。
というか、逃げれない人の方が必ずしも多いだろうな。
学生であれば親や世間が許してくれない。
正直、学校側の正しさや世間側の正しさ、親の正しさ、いわゆる政治的正しさは感情論では乗り越えられないところがある。
本当にやりたくない事は、やればできるとか、やる後悔よりやらない後悔とか、そんな言葉は通用しない。
そんな言葉が通用する時点で、その物事は大した出来事じゃないとまで思ってしまう。
簡単に報われる努力が努力と呼べないように、半端な気持ちじゃいけないのは当たり前だ。
いつでも愛情を持って本気で過ごすしかないのだ。
それでも出てくる粗は、何が足りないのか模索する必要がある。
一つ一つ分析して、自分を成長させる。
自分を少しでも好きになれるように。
準備をしながらも、毎日同じ事を考えている。
毎日大きな壁に当たるから、毎日考えてしまう。
だから、正直要らない思考だということも分かっている。
電車に揺られて、みんなのように登校する僕。なんとなく、僕の地頭が良くて論理的な事は自分でも分かっていた。
周りのみんながバカみたいな事で笑っている間、共感して笑うのもいいが、そこにすら意味を見出すほどの思考回路がある僕は、毎日がとても楽しい。
辛くなる事はあるけれど、その辛い出来事が自分の人生を成長させる材料になるなら、それでいい。
ならないような辛い出来事も、正直山のようにあると思う。
勉強も運動もろくに成長につながらないくせに、苦しめるくせに、やらなくてはいけない。
それを否定せずにやっている自分たちに何も利益がないのもおかしい事だと思う。
いつかそんな事でさえ何か素敵な考えを思いつく日が来るのだろうか。
携帯電話を取り出して、日課であるインスタを開くと、DMの通知が来ていた。
少し胸をドキドキさせながら開くと、昨日の彼だった。
早々とメッセージを開く。
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