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始めに言っておこう。これから始まる物語は、僕がまだ、普通に生きていた頃の話だ。たぶん、読んでいて気持ちのいい話ばかりではないから、僕の人生の記憶なんて、読むのはあまりお薦めしない。ただ、ひとつだけ言うのなら……この物語は、僕が家族と縁を切るまでの物語だ。
「……ん」
そろそろ、日が昇ってきた頃だろうか。
隣の男に目をやると、彼はその薄い瞼を閉じて、規則正しくすうすうと寝息を立てていた。
昨夜の暴れっぷりはなりを潜めて、眠る姿はいかにも優雅な貴族らしい。尖った耳とやけに血色のない肌を覗けば、ただの美男だった。
「……腹立つ。殴ろうかな。」
とは言え、折角の自由時間が始まったのだから今この男を刺激するのが得策でないのは確かだったので、僕はさっと立ち上がり、素肌に薄手のローブを羽織る。
絵に描いたようなナルシストである長兄の部屋には、大小様々な鏡が無数に設置されている。その中のひとつ、ベッド脇の姿見に映し出された自らの姿を見て僕は溜め息を吐いた。
「はぁ……なんで、僕……」
どうして、僕は未だに生き永らえているのだろうか。いきなり自分が上級貴族の庶子だとわかって、着るものも、住む場所も、食べるものも。全てが豪華になった。その代わり、僕は望んでもいない教養を詰め込まれ、文字を覚えさせられ、そして腹違いの兄と夜を共にし、もう一人の兄には殴られる。
こんなことになるくらいなら、村の仲間達が死んだときに、僕もくたばっていれば良かったのに。
四年前、突如として山間の小さな村を襲った土砂崩れ。大人は皆、山へ出かけていたせいで命を落とした。貧しい村だったので、残された三十人余りの子供達は、残りの食料をちまちまと消費し続ける生活を続けた。近くの街までは、子供の足で歩くには遠すぎて、僕らは食料調達もままならなかった。
最初に死んだのは赤子。確か一歳半かそこらだった。次に死んだのは三歳手前の病弱だった女の子。その次は……。ひとり、またひとりと、子供達はその命を飢えと不衛生によって蝕まれていった。
そうして半年が過ぎた頃には、生き残っているのは僕と、同い年の少年だけになっていた。今となっては、その少年すら僕を置いて逝ってしまったわけなのだけれど。
僕は、その過酷な環境をどうして生き残ることができたのか。もう察しが付いている者もいるだろう。何を隠そう、僕が吸血鬼だからだ。人間に比べるとかなり身体が丈夫なようで、三日間ほぼ飲まず食わずでも全く支障はなかった。
「……ねぇ君、何か人間を持ってきてくれない?」
「ひっ……承知致しました!」
部屋を出た僕は、廊下を通っていた召使いに声をかける。喉が渇いた。吸血鬼は、十五歳の誕生日を迎えると血液を欲するようになる。僕はつい三ヶ月ほど前に十五歳になったばかりだけれど、もうこの食事にも慣れてしまった。
こんな屋敷ではまともに働ける人間は少ないので、召使いの血は吸ってはならない。それがこの屋敷の唯一の掟である。
暫くすると、台車に乗せられた若い男が連れてこられる。
「ご苦労様。」
召使いを一言労う。当たり前だが、吸血鬼の活動時間は日が沈んでからなので、普段召使いと会話するのは僕だけだ。なぜ下々の者に優しくするのかって?
僕がもともと孤児として暮らしていたから?残念、不正解。答えは、この屋敷で優位に立つためだ。娼婦の息子である僕の立場というのは、中々に弱い。使用人と仲良くなっていれば、何かあったら助けを求めることも出来る。
「さて……」
僕は今日の朝食にゆっくりと近づいていき、その青年の輪郭をなぞる。
「ああ……この匂い。僕が好きな味、覚えててくれたんだね。ありがとう、君は優しい子だ。」
「へっ……あ……もったいないお言葉です。」
「あれ?主人の言葉を否定するの?」
召使いの頭を撫でて、笑顔を向ける。自分で言うのもなんだけど、僕は可愛い。こんな若い女なんて、僕が笑えばすぐに僕を庇護対象と見る。
そろそろいいだろう。僕は朝食に向き直り、流れるような動作でその首筋に噛みついた。
じゅる、と控えめに音を立てて、満足するまで血を取り込む。
「……っ」
朝食の男は猿轡を強く噛み、痛みに身体を強ばらせる。なんて魅力的なんだろう。更に美味しそうに見えてくるじゃないか。
「……っぷは!ご馳走様。死なないくらいに留めたから、地下 で休ませてやってよ。」
僕の一番お気に入りの味だから、たった数回で殺すのは惜しい。というのは建前で、本当は人を殺すのが嫌なだけ……というのは、僕だけの秘密。
その後、僕は庭を散歩していた。何故なのかは分からないが、僕は兄達や父に比べて吸血鬼の特徴が薄くて、日光を浴びてもあまり支障はない。というよりも、過酷な環境で育ったのが原因な気もするけれど。とにかく僕は日が昇っても眠くならないし、日光を浴びて気分が悪くなったりもしない。
のんびりと散歩しながら、今後のことを考える。ここでの暮らしは嫌いだけれど、死ぬ気にもなれないし、僕にはどうすることもできない。
それでも、今日は何かが起こる予感がした。