「イヤよ。なんでデートしないといけないの?」
「それはね、大人の深い事情ってやつで……」
その深い事情とやらを、リオナは切々と語った。
6月の鎌倉。
アジサイの名所である『明月院』から駅ひとつの場所にあるホテルでは、とある学会が開かれるそうだ。
主催するのは大手外資系製薬メーカーのアストライザー社で、これまで不破の研究をはじめ、大学に多額の助成金を支援している。いわゆるスポンサーだ。
半年前、そのスポンサー会社から大学側に、
【鎌倉の学会にて、不破先生に講演していただきたい】
講演依頼が来ていた。
「それを、不破先生がさあ~」
学長、学部長が再三にわたり「受けるように」と通達しても、
「鎌倉まで行くのが面倒くさい、の一点張りでさあ。困っていたのよ」
と、リオナ。
不破らしいといえば、不破らしい。
しかし、同行はお断りだ。
「それ、鎌倉にわたしが行ったからって、不破くんが講演するとは限らないじゃない。それに、わたしはもうキッパリと、三連打の【行きません!】で鎌倉行きを断ったからね」
そのはずだった――のだけど。
6月初旬、梅雨入り真っ只中、雨がザァーザァー降る鎌倉駅に、イズミの姿はあった。
隣には、きっちり1メートルの距離をあけて不破が並んで立っている。
「デートに誘っています」
不破の誘いが、業務命令となったのは2週間前のこと。
学長室に呼び出しを受けたイズミは、
「ようこそ、成瀬さん! お忙しいなか、お呼びたてして申しわけない!」
「ささっ、まずは御茶でも。それともコーヒーがいいですか?」
「こちら、お取り寄せした茶菓子です。どうぞ~」
学長、副学長、学部長に歓待を受けた。
「成瀬さん! どうか、どうか。鎌倉行きを了承してもらえないでしょうか」
渋めのイケオジ学長に懇願され、
「じつは、不破准教授から鎌倉行きの条件をだされまして。成瀬さんが同行してくれるなら、講演を引き受けるとのことで……」
いかにも苦労性な感じのする副学長が内情を明かしてくれた。
「成瀬さん、隠しても仕方がないでお伝えしますが、いま我が校の稼ぎ頭は、なんといっても不破准教授です!」
いかに不破の研究が優れているか、政財界から注目を集めているかを説明して、不破がもたらす大学への収益について赤裸々に語った。
そしてイズミへの具体的な報酬についてはリオナが途中からやってきて、電卓をたたいて見せる。
「これほどで……いかがかしら?」
並んだゼロの数にイズミが、
「う~ん、一泊二日だから、もう一声」
そう言うと、今度は学長が自ら電卓をたたいた。
「これで……」
ゼロがひとつ増えて、金に目がくらんだイズミは「わかりました」と了承したのだった。
そうして、本日到着した鎌倉駅は——雨雲を集めるだけ集めた灰色の空から、雨粒が振りそそいでくる悪天候。
ここ1週間ほど、晴れの日がつづいていたそうだが、不破准教授が鎌倉駅に到着するなり、どしゃ降りとなった。
それでも不破は、とにかく嬉しそうに言う。
「成瀬さんは知っていると思うけど、キミへの僕の愛は、この灰色の空よりずっと仄暗く執着的で、いつまでたっても乾かない洗濯物のようにジメジメとしたものだよ」
「今すぐ、除湿しろ」
梅雨よりもウザイ不破は、イズミの仏頂面にも、つれない返答にも、まったく気を悪くすることなく、ニコニコだ。
それがまた、死ぬほどウザイ。
はやく迎えの車がやってこないかな。
そう願っても、突然の大雨により駅周辺は大渋滞になっているらしく、いましばらくかかるとアストライザー社側の送迎担当から連絡を受けたばかりだ。
「ねえ、成瀬さん。こうして1メートルの距離をとっていると青双学園時代を思い出すね。あのころからキミは、僕がそばに寄るのを恥ずかしがってばかりいたから」
「恥ずかしがってない。嫌がっていたの! どんだけ、ポジティブ勘違いモンスターなのよ!」
「その嫌がっていたという理由は、間接的なものでしょ。だってキミはこう言っていた。僕といると目立ってしまうからイヤ。女子から恨まれたくない——って、つまりは、僕という人間が嫌いなのではなくて、僕に付随する環境要因が不快ということだ。であれば、それら不快な要因を排除すればいいだけのこと。そうすれば成瀬さんは、僕を恋人にしたくなるかもしれない」
「…………」
――ならねえよ。
イズミを絶句させた不破の勘違いモンスターな回答は、不快指数120パーセントだった。
イライラしながら待つこと、それから10分。
「大変お待たせしました!」
傘を持って走ってきたのは、アストライザー社の男女ふたり組。
「不破先生、遠いところまでご足労いただき、ありがとうざいます」
「不破先生、さぁ、どうぞこちらに。車を用意しております」
不破の気分を損ねないようにと必死になっている男女に対して、不破は初っ端からやってくれた。
「僕の大切な人が雨に濡れたら承知しないよ。彼女の不況を買うようなことがあれば、僕はいますぐ帰る。いや、明月院にデートに行く。鎌倉に来た理由は、それがメインだから」
それを聞いたアストライザー社の男女は、キランと目を光らせた。
「不破先生の秘書であらせられる成瀬イズミ様でございますね。本日は悪天候のなか、ご同行いただき、誠にありがとうございます!」
「申し遅れました! わたくしどもは~」
どしゃ降りの雨にも負けず、大きな声で挨拶をするスーツ姿の男女は、ほぼ直角に身体を折り曲げ、
「なにとぞ、本日より、よろしくお願いいたします!」
「誠心誠意、お仕えさせていただきます!」
両手でズイッと名刺を差し出してきた。
これにより、タクシーやバスを待つ乗客で混雑する駅前で、イズミは厭というほど注目を集めてしまった。
こうなったのは、すべて不破理人のせいだ。
「さあ、行きましょう。成瀬さん、相合傘してもいいですか?」
無念だった。モンスターをギロリと睨むことしかできなかった。
ここが駅前でなかったら……
これほどの注目を浴びていなかったら……
イズミは確実に、超重たいボディブローを不破の鳩尾に叩きこんでいたはずだ。