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#女主人公
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ちゃんとしている人から、孤立していく。
誰も寄りかからない社会は、誰も支えない社会だった。
この街が「先進モデル地区」に選ばれたとき、全国ニュースで何度も取り上げられた。
住民トラブル件数の減少。自治会負担の軽量化。非接触型行政サービスの導入。高齢者見守りのDX化。民間連携による効率的な福祉再編。地域コミュニティに依存しない、新しい自立都市像。
司会者は笑顔で言った。
「煩わしい近所付き合いから解放された、次世代の暮らしですね」
画面の中で、市長と大手生活支援企業の役員が握手していた。
そのころ私は、この街へ越してきた。
駅前には客引きも怒号もない。歩道に座り込む者もいない。深夜の騒音通報はAIが即時振り分けし、ゴミ出し違反には翌朝には注意通知が届く。役所の窓口はほぼ撤廃され、手続きはアプリで完結する。困りごとはチャットボットが二十四時間受け付け、必要に応じて外部委託会社へ連携される仕組みだった。
清潔で、静かで、合理的だった。
自営業の私には理想的に思えた。
人に合わせず働ける。人に気を遣わず眠れる。誰かの機嫌や習慣に巻き込まれずに済む。
近所の誰とも話さなくていい街。
それは、自由とほとんど同義に思えた。
入居時、管理会社から一冊の冊子を渡された。
> 快適な生活環境維持のため、住民同士の直接的な接触による問題解決はお控えください。
異変・騒音・体調不良者・不審者を確認した場合は、専用アプリより通報してください。
よくできている、と感心した。
善意の押しつけや余計な干渉が起こらない。
人間関係の面倒を、制度が肩代わりしてくれるのだ。
六月の蒸し暑い午後、私は玄関前で倒れた。
三日徹夜に近い状態で仕事を終え、置き配の水を取ろうとした瞬間、視界が暗く狭まった。膝が折れ、共用廊下に身体が崩れた。遠くで自分の息だけが荒かった。
ドアが開く音。
誰かが出てきて、立ち止まった。
数秒後、スマートフォンの通知音。
またドアが閉まる音。
別の住人も通った。
こちらを見て、足早に避けていった。
さらに数分後、館内スピーカーが流れた。
> 体調不良者対応の通報を受理しました。担当スタッフが到着するまで、安全距離を保ってお待ちください。
安全距離。
私は笑いそうになったが、喉が動かなかった。
十分後、業務委託の救急補助員が来た。名札には地域ケアパートナーとあった。若い男は手袋をつけ、タブレット端末を見ながら私に質問した。
「本人確認できますか。保険連携されていますか。緊急連絡先の登録はありますか」
ありません、と答える前に吐いた。
後日、管理アプリに通知が届いた。
> 共用部での緊急搬送が発生しました。再発防止のため、健康管理にご留意ください。
なお、対応費用の一部は利用者負担となります。
私はその画面を閉じ、初めて知った。
この街では、助け合いは残っていた。
ただし、月額課金制だった。
私は笑った。声は出なかった。
その日から、この街のことを調べ始めた。
行政サイトには誇らしげな数字が並んでいた。犯罪発生率の低さ。住民トラブル件数の少なさ。自治会参加に依存しない先進的コミュニティモデル。自己完結型ライフスタイル満足度。
別の資料には、小さな文字でこうあった。
孤独死の発見平均日数、全国上位。
行方不明届未提出率、高水準。
自殺率、県内最多。
精神科初診待機期間、三か月超。
私は画面を閉じた。
この街では、困っている人が少ないのではなかった。
困っている人が、見えなくなるのだった。
ある夕方、スーパーの前で老人がしゃがみ込んでいた。買い物袋から長ねぎが転がり、車止めにぶつかって止まっている。通行人は流れるようによけていく。誰も乱れない。誰も立ち止まらない。
私は老人に近づき、袋を拾った。
「立てますか」
その瞬間、周囲の視線が集まった。
迷惑行為を見る目だった。
規則を乱す者を見る目だった。
関わるべきでないものに関わった人間を見る目だった。
老人は震える手で私の腕をつかみ、小さく言った。
「すみません」
謝るのは、この街では助けられる側なのだ。
数か月後、駅前に大きな広告が立った。
> 誰にも煩わされない、成熟した都市生活へ。
自立した大人が選ぶ街。
その下を、多くの人が無表情で通り過ぎていく。
みな、ちゃんとしていた。
みな、静かだった。
みな、誰にも迷惑をかけなかった。
そして、誰も何も助けなかった。