コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
クリスマスが終わると、仕事納めはすぐやってきた。
大塚フードウェイの最終営業日は、12月27日だ。
この日は夕方には、社内にあるホールのような広い会議室で任意参加の納会が開催される。
社長を始めとした役員も出席する会で、軽食やお酒が振る舞われる。
総務部が中心となって手配しているため、響子は準備で大忙しのようだった。
「百合さんは今日の納会参加されます?参加だったら一緒に行きましょう!」
「ちょっとだけ顔出そうと思ってるから、一緒に行こう」
由美ちゃんとそう約束し、年始に気持ちよく仕事を始められるよう時間までは残務を片付けた。
17時になり、私と由美ちゃんは一緒に納会が行われる会議室へ移動する。
今年の参加者は例年より多いようで、すでに会議室内には多くの社員が集まり、軽食やお酒を手にお喋りを楽しんでいた。
こうやって他部署の人と交流する機会は貴重なものだ。
「百合、お疲れ!」
由美ちゃんと話ていると、ふいに声をかけられて振り返る。
太一くんと、そのほか海外営業部の人たちだった。
「太一くん。なんか久しぶりだね」
「最近はめっちゃ仕事に打ち込んでたからなぁ。今日は響子がすごい忙しそうに動き回ってるな」
太一くんの視線の先を追うと響子が後輩に指示を出しながら軽食や飲み物の補充をしていた。
「並木さん、今度欧州案件で大きな進展がありそうなんで、俺たちを取材してくださいよ~。他部署のやつらにも俺たちの頑張り知ってほしいし」
「マスコミからの取材対応も任せてください!」
「とりあえず今度お昼でも一緒にどうですか?」
太一くんと一緒にいた海外営業部の男性社員から次々に声をかけられる。
その圧に少し圧倒されつつ、私は由美ちゃんと目を合わせる。
他部署の人と顔を繋いでおくと仕事がスムーズにいきやすいため、社歴が私より浅い由美ちゃんを紹介してあげようと判断する。
「情報提供してもらえるのはすごく助かります!あ、こちらは私の後輩の|高岸由美《たかぎしゆみ》ちゃんです。由美ちゃんも私と一緒に業務回してるんで今後もぜひよろしくお願いします」
「高岸でーす!ぜひ今後広報部から色々ご相談させていただきますねー!」
しばらく海外営業部の人たちと雑談していると、ステージの方に上層部の方々が現れる。
そして社長の挨拶が始まった。
今年一年の振り返り、来年の展望、そして社員への激励が社長の口から語られる。
それを聞きながら、私はぼんやりと考える。
(私、この方に明日挨拶に行くわけだよね‥‥。大丈夫かな‥‥)
ステージ上で堂々と熱弁を振う社長の存在は遠く、明日訪問する予定なのになんだか現実感がなかった。
社長の挨拶が終わるとまた歓談の時間が訪れる。
今度は上層部の方々も社員と交流を図るために混ざるようだ。
(あ、亮祐さんだ!わぁやっぱり女性社員に囲まれてる)
視界に捉えた亮祐さんは、女性社員を侍らせるかのように四方八方から声をかけられていた。
「うっわ~、常務の周りすごいですね。まさにハーレムですよ、あれ」
由美ちゃんがやや苦笑いを浮かべながら呟く。
「確かにすごいね」
私も肯定の返事をする。
亮祐さんは、女性社員を無下には扱わないものの、堅い表情を浮かべ、一定の距離を保ちつつ話しているようだった。
(あれだけモテると大変なんだろうな)
私は特に亮祐さんに話しかけに行くことはせず、話しかけに来てくれる他部署の社員の人たちと会話を交わし交流をしていた。
そろそろ帰ろうかなと思った時、よそ見をしていた私は誰かにぶつかってしまう。
「すみません‥‥!」
ぶつかった方を見ると、なんと亮祐さんだった。
さっき見かけた時は結構離れた場所にいたと思ってたのに、こんなに近くにいたなんてビックリだ。
「いや、大丈夫。並木さんもお酒零したりしてないですか?」
「あ、はい。私は大丈夫です」
仕事モードの口調で話しかけられてドキッとする。
なんだかボロが出てしまいそうで、私は早く立ち去りたい気分になる。
なのに、亮祐さんはあろうことか普通に話しかけてきた。
「あぁ、そういえば先日は社内報の記事ありがとう。よく出来た記事でしたね」
「あ、ありがとうございます」
「常務もそう思われますか!百合さんの文章は読みやすいし、構成も良いんですよ~!」
私の隣にいた由美ちゃんが嬉しげに声を上げる。
「常務は日本に帰国されて4ヶ月くらい経たれたと思いますけど、英語は忘れちゃったりとかはしないんですか?どうやってキープされてるんですか?」
まさかこのまま役員の前で狂信者のように語り出してしまわないかと一瞬心配になったが、それは杞憂だったようで由美ちゃんは話題を変え、亮祐さんに質問を投げかけた。
「海外とテレビ会議も多いから忘れることはないですね。あと、日頃家でも猫相手に話したりもしてるから」
「え、猫飼われてるんですか?猫に英語で話しかけるなんてされるんですね」
「えぇ、猫にも英語話せるようになって欲しいですからね」
「それは無理ですよ~。あはは、常務って冗談も言う方なんですね!」
由美ちゃんと亮祐さんの会話に口を挟まず、私はただ横で微笑んでいたが、口の端がピクピクする。
亮祐さんの瞳には愉快そうな色が浮かんでいた。
(その猫って‥‥もしかして私のこと!?この目は絶対イジワルを楽しんでる時のだ)
「ゆ、由美ちゃん、そろそろ行こう?常務、私たちはこれで失礼させていただきます」
私はこの状況に耐えられず、頭を下げると半ば無理やりその場を辞した。
そして翌日、私のマンションまで車で迎えに来てくれた亮祐さんの車に乗り込むなり、私は不満の声を上げる。
「亮祐さん、昨日の納会のあれは何!?すっごく反応に困りました‥‥」
「猫って言ったこと?」
「それもだし、ぶつかった後もちょっと引き留めたじゃないですか」
「だって百合と話したかったから。別に悪いことしてるわけじゃないし、普通に話せば良いと思うけどな」
「不自然じゃなかったですか?誰かに怪しいって思われないように気を張ってたんで疲れちゃいました」
実際、昨日はすごく疲労感に襲われて、仕事帰りに今日の手土産を買いに行くので精一杯だった。
(本当は今日のために服も買おうかなと思ってたんだけどな‥‥)
新しい服の購入を見合わせた私は、今朝はクローゼットの前を陣取ってずいぶん悩んだのだ。
失礼がないような服装をと何度も試行錯誤し、清潔感と上品さを最優先に膝下丈のスカートにニットとジャケットにした。
(本当にこれで大丈夫かな‥‥?)
もう家を出てしまっているというのに、不安になりキョロキョロと視線を漂わせ何度も自分自身をチェックしてしまう。
「もしかして緊張してる?」
「ものすごくしてます。私、服装とか大丈夫ですか?失礼じゃないですか?」
「全然大丈夫、可愛いよ。それにそんなに緊張しなくても、百合はいつも通りでいれば問題ないよ」
「いつも通りって言われても‥‥」
本当にそれで大丈夫なのだろうかと内心疑問に思う。
だってただの一般庶民の私が、大塚フードウェイの創業家にご挨拶に行くわけだ。
下手したら門前払いされてしまうのではないだろうかと心配でたまらない。
なのに亮祐さんは全然何も思ってないようで、どこか自信ありげにさえ見える。
そうこうしていると、大きなお屋敷の前に着き、開いた門から中へ入り駐車スペースに車を停める。
(うわぁ、映画やドラマに出てきそうな立派なお屋敷だ‥‥)
純日本風の家屋は国宝などに指定されていそうな佇まいだ。
車を降りると、「おかえりなさいませ、亮祐様」と執事と思われる壮年の男性が近づいてきた。
「石原さん、ご無沙汰してます。お久しぶりですね」
「ご帰国されているとは伺っておりましたのでお帰りを楽しみにしていました」
人の良さそうな笑みを浮かべる石原さんと呼ばれた男性は非常に嬉しそうだ。
「石原さん、彼女が今日両親に紹介しようと思って連れてきた並木百合さん。百合、彼は長年うちに仕えてくれている執事の石原さんだよ」
「はじめまして、並木百合です」
「ご丁寧にありがとうございます。亮祐様がこうして女性を連れて来られるなんて初めてなので楽しみにしていました。お会いできて光栄です」
にこりと微笑まれ、私も自然と笑顔になった。
そのまま石原さんに応接室へと案内され、重厚なソファーに亮祐さんと並んで腰をかける。
応接室には高価そうな置物や絵がセンスよく飾られていた。
この空間がますます私を緊張させる。
ほどなくしてドアが開き、亮祐さんのお父様である社長と、着物を上品に着こなした和装の女性が入ってきた。
「お待たせ、亮祐。それでお前が紹介したい人っていうのは、そちらの女性か?」
社長は応接室に入るなり、私たちの対面にあるソファーに座りながら、さっそく亮祐さんに話しかける。
「そう。彼女は並木百合さん。俺がお付き合いしてる女性です」
「並木百合です。本日はお忙しい中お時間頂きありがとうございます」
亮祐さんから紹介されるやいなや、私は即座に頭を下げてお礼を述べた。
「あれ?百合さんってもしかしてうちの社員じゃないか?」
私を繁々と眺めていた社長は、手を顎に当てながら首を傾げた。
社長と直接接する機会は多くはないが、マスコミの社長インタビューの対応立ち合いなどの機会はあり、何度かは面識があった。
「うちの広報部の社員だよ」
「あぁ思い出した。何度かお会いしてるね、百合さん」
「はい。いつも社長には広報対応にご協力賜りまして感謝しております」
「いやいや、こちらこそ。この前の熱愛報道の時には広報部の皆さんにはだいぶ負担をかけて申し訳なかったね」
「いえ、とんでもございません」
社長は愛想良く会話をしてくださり、特に私を追い出そうとされている様子はない。
少しだけホッとした時、これまで黙って社長の横に控えていた亮祐さんのお母様が口を開いた。
「ちょっとあなた。あなたばかり話してないで私も紹介してくださいよ」
「あぁ、悪かった。百合さん、こちらは妻の奈美江。亮祐の母だ」
私は緊張しながら頭を下げる。
亮祐さんのお母様はとてもお綺麗な方で、身に纏われている着物の印象も相まって、知的で厳格な雰囲気が漂っていた。
私を見る目も査定するような厳しいもののように感じてくる。
「百合さん、私はね、本当に今とても嬉しいのよ。亮祐ったらいくら言ってもこれまで女性を家に連れてきたことなんてないのよ。私が危機感を感じてお見合いをセッティングしようとしたらすぐ断られるし。なのに、自分から紹介したい人がいるなんて言うじゃない。もうテンション上がりまくりよー!」
もっと厳しく色々言われるかと身構えていたら、ものすごくフレンドリーに話しかけられ、私は一瞬面食らう。
「しかも、亮祐に事前に聞いたんだけど、社内報の亮祐の記事書いたのあなたなんでしょう?私も読んだんだけど、亮祐の上っ面だけじゃなく、ちゃんと内面も深掘りしてくれてるな~って感心してたのよ!だってこの子、容姿がいいもんだからそこばっかりスポット当てられることも多いんですもの」
「母さん、ちょっとストップ。いきなり話し出すから百合が面食らってるよ」
目を白黒させる私を横目で見て、亮祐さんが間に入ってくれる。
「いいじゃない。こうやって若い女性と話す機会だって少ないんだから色々話したいもの」
その後もお母様が会話の主導権を握り、お母様を中心に話が進む。
「それで、2人はいつ結婚を考えてるの?」
「えっと‥‥」
一緒にこの先もいられれば良いなとは思っているが、まだそんな話は亮祐さんとだってしていない。
私が口籠もっていると代わりに亮祐さんが返事をする。
「まだ百合とも具体的には話してないし、すぐではないよ。でも将来を考えたい女性がいるってことを早く2人には話しておいた方がいいと思ってさ。叔父さんのように勝手に見合いを準備されたら困るし」
ご両親は心当たりがあったのがバツが悪そうな顔になった。
「もちろん、もうそんなことしないわよ!」
「そうだ。そういう相手がいると分かったのだからそれはしない。ところで2人は会社では関係を隠しているのか?」
「そうだよ。その方が双方にとって負担が少ないと思ってね」
「なるほど。ならば、私も会社ではそのように百合さんに接することにするとしよう」
2時間くらい滞在したあと、私は手土産をお渡しして、亮祐さんと一緒にお屋敷を出た。
帰りも亮祐さんが家まで車で送ってくれる。
「緊張した?でも大丈夫だったでしょ?」
助手席でぐったりする私を気遣いながら亮祐さんが話しかけてくる。
「とっても緊張しました。でも追い返されずに無事終わって良かった」
「追い返されるってそんな心配してたの?それはないよ。2人とも百合のこと気に入ってたし全然問題なかったのに」
「気に入ってくださってたんですか?」
「そりゃもうかなりね。母さんがあんなに楽しそうに話てるのなんて久々に見たよ。父さんも顔が緩んでたし」
「それなら良かったです」
ただ個人的には全く手応えはなかった。
とりあえず思いの外、受け入れてはいただけたようだ。
これで年内の大きな予定は終わり、無事年を越せそうだとホッとした私だった。