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「さあ、陸上400m走タイマン勝負! 遂に火蓋が切られました! まず先頭を取ったのは五連勝伝説への挑戦者、相原勝人! それを追うは陸上部エース、二年の御山秀次郎です! 選手はもちろん、観客生徒たちも白熱しています! 実況は私、放送部の河津一花がお送りしております!」
事情を知らぬ者が見れば体育祭と見紛うほどの人混みがグラウンドに集まっていた。
校庭には特設の白線。
その脇には旧校舎から引っ張り出してきたと思われる長机と椅子、そこに並んで座る放送部や野球部の応援団たち。
端には沸き立つ観客に紛れて、校内売店のパン引き換えチケットをチップに賭博に勤しむ者たちの円陣も確認できる。
「まるで無法地帯だな……」
「この前あんなことがあったもんだから、みんな鬱憤が溜まっているんだろうね。 最近は事情聴取やらで休み時間が削られることも少なくないし。学生に祭りごとは必要さ」
「仁、それを一番楽しんでいるのは明らかにお前だけどな」
片腕いっぱいに積まれたパン、もう片手には大量の食券が金具に挟み込まれた双眼鏡。
どこからどう見ても、仁は全校生徒の中でトップクラスにこのイベントを楽しんでいる。
「やーやー諸君! ここにいたんだね」
背後から仁の肩を掴んだのは、見慣れた黒髪ロングの女生徒、水島遥夏だ。
「よーいドンは一緒に見よって言ったじゃん、もー!」
「ごめんごめん、この人混みじゃ遥夏を探す余裕もなくてね、軍資金となる食券の確保で手一杯だったんだよ」
「かっつんの決闘、始まったね!」
校庭には以前より噂されていた五連勝伝説、その達成の瞬間を一目見るためやってきた者もいれば、わけもわからずミーハー心を刺激されて集まった者、問題が起きればすぐに場を収めようと監視する風紀委員など、様々な理由で集まった者たちがごちゃ混ぜになっている。
しかし、そんな彼らの目線は、トラックを走る勝人と、御山とかいう陸上部に集中していた。
迸る活力を解き放ちながら、エネルギーをフルスロットルで回して疾走する勝人に対して、どこか余裕さを残して後を追う御山。
このまま勝人がトップスピードを維持し、逃げ切ることができれば勝利。 五連勝伝説は達成されることとなる。
しかし、御山の方にも陸上部としてのプライドがあるだろう。挑戦状を叩きつけられたこともあり、必ず勝算を持った上で今日を迎えているはずだ。
「……まずいね」
どうやら仁も同じ懸念をしているようだった。
既に最高スピードを出して走っている勝人は体力が尽きるか尽きないかの根性勝負に到達しているが、御山には余力がある。陸上部ならではの走りのフォームを維持し、どこかでアクセルを踏む刺し時を探している状態だ。
「えー? かっつんヤバいの? でも今、陸上部の人より速く走ってるじゃん!」
「今はね。 勝人のスタミナは学生にしては特級クラスに高いものだよ、でも、その走り方や体力配分のペースは素人そのものだ。 とにかく速く走る、なんて作戦は無謀だよ。 それだけじゃ陸上部エースになんて勝てっこない。 なんてったって400メートルだ。 フルスロットルじゃ息が続くわけがない」
特設された走路のおよそ中腹あたりを通過したが、未だに御山は遅れることなく少し後ろを追走している。
「陸上部、男子高校生の400メートル走の平均記録は57秒と言われているんだ。 勝人が平均速度通りに走れたとして、57秒間も最高速度を維持することは身体の構造上、不可能なんだよ。 単純に、バテるってこと」
走り出しは空気抵抗の少ない前傾姿勢だった勝人だったが、いつの間にか無駄の多い体勢となってしまっている。
恐らく、もう既に呼吸が苦しくなっているのだろう。
「脚の疲労、肺の疲労、不安定な酸素供給……、故に、後半に大幅の失速を見せる。 400メートルを最初から最後まで全力疾走なんて、そんなことを出来る人間は人類史上たったの一人だっていないんだ。 メロスだって親友のために一分一秒でも速く走らなければならなかったとはいえ、ペースの調節くらいはしていただろう。 そうでもなきゃあ、妹の結婚式から飛び出してすぐにぶっ倒れて、次に立ち上がった頃にはセリヌンティウスは既に処刑されていただろうからね。 今の勝人は、そんな脳足らずのメロスってわけさ」
もうじきラスト100メートルに差し掛かるというところで、五、六身差あったはずの走者二人の距離が狭まり始める。
それは仁の言っていた通り勝人が減速し始めたというのもあるのだろうが、それだけじゃない。
「……御山のギアが上がった」
「ギア?」
「勝負をかけに来たってことさ」
御山は陸上部だ。
しかも、二年生で既にエースの立場にいるほどの有望株。
そんな男が、走行距離に合わせて計画も立てず走るなんてありえない。
勝人の大逃げスタイルに対して、御山のスタイルは大差しだ。
ラストでスパートをかけて前を走る者を抜き、飛び出して勝利をもぎ取る。
そのために彼は待っていたのだ。勝人に疲れが回り、火事場の馬鹿力を発揮させようと考える時間の余裕すらなくなる、ラスト100メートル、ゴール直前、この最終直線を。
「勝人、このままじゃあ御山に――――、」
「かっつんーーーーっ!! 頑張れえっ!!」
仁の解説を遮った遥夏の声援で、オレ達はハッと思い出した。
オレ達はこの勝負の結末を見届けに来た。だが、オレ達はこの校庭に集まる大多数のような、ただの見届け人ではない。
相原勝人の勝利を願い、応援しに来た友人なのだ。
すぐに仁は遥夏の声を追って、
「勝人ーーっ! 負けるなよーーっ!」
「かっつん! あとちょい! あとちょいだよ!頑張れえーー!」
そうだ、これが、友達だ。
友人を想い、友人と熱くなり、友人のために声をあげ、友人として自分に何が出来るかを考える。
オレは、彼らの友達だ。そして、きっと彼らもオレのことを友人として受け入れてくれている。
しかし。
だからこそ、関係を再認識するようなこういった場面に立つ度に、重苦しい罪悪感が胃の下で渦巻くのを感じる。
オレは過去の完全な忘却を恐れ、彼らのことを軽視してしまっているからだ。
オレは暗く広大な記憶の森を彷徨っている。
この森の果てには、忘れてしまった過去の記憶が眠っている。それを詳らかにするため歩き続ける。
しかし、森のあらゆるところには、既に一度通ったことのあると見紛うような形の木々がいくつも立ち並び、進んでいるのか戻っているのかすらわからない、手応えなき捜索に不安を覚えてしまう。
後ろを振り向けば、唯一の目印である灯台が、暖かい光をこちらへ向けて建っている。
光を追って、あの灯台へ向かうのは簡単だ。しかしそれでは、森の果てから遠ざかってしまうことになる。
灯台から離れれば離れるほど、その光は小さく見えて不安になるだろうが、それだけ最果てに接近していると意味する事も理解している。
あの光に慣れたら、もう森の探索なんてしたくなくなってしまうだろう。
すると――――、もう記憶は戻らない。そんな気が、してしまう。
だから、彼らに心底から親しむことができない。オレの一方的で自己中心的な理由で、彼らと深く繋がることを拒んでしまっている。
それが、非情なことだと分かっていながら。
この罪悪感の正体はそれだ。
こんなオレなんかに、彼らは勿体ないんだ。
「……勝人っ! 行けっ、勝て!」
オレにこんなことを言う資格が、本当にあるのだろうか。そこらで食券片手に賭博してる奴らの応援と、なんら変わりはないのではないだろうか。
心が込められていない、というよりは、込める『心』の方が、オレにはないのかもしれない。記憶ごと、どこか置いてきてしまったのかも。
でも今は、そんなハリボテの声援でも、勝人に届いて欲しいと思った。
それが、勝人の活力になるのなら。
それが、仁や遥夏の青春の糧になるのなら。
それが、誰かの思い出になるのなら。
残り100メートルを切ったところで、勝人が校庭を揺るがすほどの大声をあげた。
すると、不思議なことが起こった。
ギアを上げて追いつこうとしていた御山の加速が、勝人のぴったり横についた途端に落ち着いたのだ。
二人は完全に同速の横並びで、ゴールに向かって走り込んでいく。その様子を見たギャラリー達は全音符の歓声をあげる。それほどの接戦だ。
「負けんなよ勝人っ! 五連勝目の前だぞ!!」
「かっつんーーっ! 殺れーーっ!ころせーーっ!!」
「殺すなーーっ! でも勝てーーっ!!」
その時、歓声の中走っていた御山の腕が、勝人の背に当たったように見えた。
それは意図的であればどう見てもペナルティで、わざとでなければ事故と捉えられるものだった。
「あいつ……っ!」
極限状態で腕をぶつけられでもすれば、失速はもちろん、バランスを崩せば転倒、ゴールを逃す可能性だってある。
しかし、勝人にはその真逆の現象が起きた。
失速していたはずの勝人が、突如として超加速したのだ。
「かっつんーーー!!」
「勝人がギアを変えた……!? まだあんな体力が!」
スタート直後のトップスピードを軽々と超えて加速する勝人は、横並びになっていたはずの御山をぶっちぎり、そのままの勢いでゴールラインを通過。
戦況不利に思われた勝人の勝利に、校庭は揺れた。
ある者は大声をあげながらコース内へと飛び出し、ある者は飛び跳ね、ある者は食券を撒き散らし、ある者は押しつぶされかけ、横にいる二人も抱きつきあっていた。
オレだけは、その例外だった。
転入時の健康診断では、視力は平均そのものの数値だったし、動体視力なんてものが良いと感じたことはなかった。
だからオレが見たそれは見間違いかもしれないし、思い込みの可能性も強いのだが、御山の腕が勝人にぶつかったあの一瞬に、見えてしまった。
腕がぶつかるほんの一瞬だけ、御山の顔に緑色のバーコードにも似たカーテンが張り付いていたのを。
「……あれは」
「彼も仮面持ちか」
想像していたものを言い当てた声に振り向くと、そこには包帯頭の転校生が立っていた。
「野崎、お前にもあれが見えたのか」
「見えた? 煌には実際に仮面が見えたのかい?」
仮面。
野崎の言う、異能の力を執行できるとかいう手品道具。ロビンソンと対峙して、その効力については身に染みて理解している。
「あれが仮面なのかどうかはわかんねえが、見間違えにしては異様な違和感を感じた……。 てっきりお前にも見えたから、仮面がどうのって言い出したのかと」
「いいや、私には見えなかった。 私たちがいる場所から相原君たちのいるところまで、なかなか距離がある。 顔なんて米粒サイズにしか見えなかったからね、仮面がついていたのかなんて、双眼鏡でも覗いて顔面に集中してなきゃ気がつけないだろうよ」
野崎にそういわれてみればそうだ。
それに、腕がぶつかったのだって、距離のあるここから見えるのはおかしい話だ。
オレの目が途端に良くなったように感じたが、それらは全部見間違えなのだろうか。
「でもね、あの御山とかいう男は、恐らく仮面をもっている」
「……なんでそんなことが言えるんだよ?」
「おかしいと思わないかい? 相原君の体力は限界だった。 あんな状態じゃあ、走れるわけがない。 それだというのに、御山が横に並んだ途端、限界を突破した超速の加速を見せた。 あんなのは訓練した陸上部でも、軍人でも、オリンピック選手でも出来ることじゃないさ」
確かに、あの加速は異常だった。
減速気味だった勝人が、水を得た魚のように生き返ったのは、とても現実的な光景ではなかった。
「それに……、分かるんだよ。 私たちには『仮面の引力』が付きまとっているからね。 彼曰く、仮面を持つ者同士は運命のもとに惹かれあい、互いの存在を無意識下で感じとることができる。 つまりね、わかるのさ。 仮面を持つ者は、身近で仮面の権能が執行されたことを第六感的に察知できる。 だからこう言える。 あいつは恐らく、持っているとね」
野崎の言うことのどれだけが正しいのか、オレにはわからない。 こいつはテロリストだ。 オレには危害を加えないとか言っていたが、実際はどうだかわからない。
「どうやら、私を信じられないでいるみたいだね」
「決まっている。 お前はあんなことをしでかした奴だ。 脅迫だってされているのに、信用しろという方がおかしい」
「脅迫? なんのことだい、私はあれを平和交渉だと思っていたけどね。 ただまあ、どうしてあの陸上部が仮面を使ったのかについては不明だ。 理由も目的もわからない。 『少数派』でもあんな奴は見たこともなかったしね。 とにかく情報がない。 それが分からない限りは、あいつも仮面持ちだと断言はできない。 だから、煌が私のいうことを信用できないってのは真っ当かもな」
例えばもし本当に、オレが見たあの緑のバーコードが仮面と呼ばれるものの一種で、御山がそれを持っていたとして、競走に負けそうになったから何らかの力を使った、なら分かる。
でも御山は、あの緑のバーコードを出現させてから負けている。これじゃあ、仮面を使った意味がない。
まるで、負けるために権能を使ったみたいじゃないか。
「御山秀次郎……、監視対象が増えたな。 煌、気をつけてくれよ。 『仮面の引力』は相互認知を促すための、巷で話題の位置共有サービスのような生易しい物なんかじゃあないんだ。 仮面を持つ者は、私たち『少数派』であれ、君のような『特例』であれ、それなりの理由を背負っている。 彼がどうかは知らないが、中には他の仮面持ちの存在を快く思わない輩もいることも分かっている。 これ以上面倒事に巻き込まれたくなけりゃ、ここは私たちにまかせて、変な詮索や無謀さの発揮はやめるんだな」
『仮面の引力』。
そんなものが本当にあったとして。
野崎の言う通り、オレも仮面の権能とやらを持っているとして。
オレがさっき、途端に目が良くなった気がしたのは、そいつの影響とでもいうのか?
「……この話は終わり。 ほら、君たちの英雄の凱旋だ」
野崎の目線を追って振り向くと、息を思いきり切らしながら仁の肩を借りている勝人がこちらへ向かってきていた。
「……はぁ、っ、はぁっ……、おい、煌ぁ! 勝ったぞっ……! はぁっ、ふはぁ……」
「おう、よくやったよお前。 だからまずは息整えろ」
横から感涙する遥夏に飛びつかれ、地面にすっ転がる勝人を横目に野崎を探したが、既に人混みに飲まれてどこかへ行ってしまった。
「かっつん!! 五連勝、五連勝だよ! 伝説! 伝説達成だよ! よっ、レジェンド! スーパーマン! 奇跡の男! UMA! ビッグフット! チュパカブラ! ツチノコ!!」
「なんか途中から関係なくねえ!? ……それによ、伝説達成っつーには、まだ気が早いぜ」
遥夏を押しのけて立ち上がった勝人は、フウ、と一呼吸おいてから、汗だくのシャツのボタンをいくつか外してから胸を張り、周囲に集まったギャラリーたちに向けて、
「俺はよお、この伝説を塗り替えるぜ! 五連勝じゃ終わらねえ、行けるトコまで行く! 伝説を超える! この挑戦を始めた時から決めてたぜ、俺はハナから記録更新狙いよォ!」
挑戦継続の宣言にギャラリーが沸き立つ。なんてったって次は、あの『失踪の六戦目』だ。
六戦目を越えれば、伝説に帯びる暗い噂は打ち消える。遂に勝人は、真の英雄として持て囃されることとなるだろう。
ギャラリーが本当に見たいのはきっと、それだ。五連勝までなんて、実はどうだっていいはずだ。
失踪するのかしないのか。
きっと皆はそれだけが気になっているのだ。
「俺はどこにもいなくなんねぇぞ! 六連勝して、七連勝して、八連勝して、いつか全部の部活に勝って、キングオブキングになってやらぁ!!」
熱狂の昼休みが終わる。
その日は休み時間になると必ず新聞部なんかが教室前に集まり、ウィナーズインタビューや次のターゲットの部活はどこか、などと質問責めにしていて、賑やかだった。
ラストスパートでの猛進撃について聞かれた時には、よくわかんねえけど負けたくないって思ったら滅茶苦茶に速く走れたんだ、なんて根性論じみた回答をしていた。
廊下に来るのは男子生徒ばかりだったが、たまに女子生徒も顔を出すことがあり、そのたびに勝人はデレデレと鼻の下を伸ばし、自慢げにしていた。
勝人は、情熱を以て目標を達成した。 その功績は尊敬に値するし、友人としても誇らしい。
しかし、彼の称賛に集中できない理由がある。 御山の仮面の疑いについて、ずっとしこりのように気になっているからだ。
あのバーコードに見えたものが仮面だったのか。本当に野崎の言う通り、御山はあの瞬間に権能を使っていたのか。
『仮面の引力』とは何なのか。
そして…………、
「野崎海舟……、ロビンソン……、『少数派』。 オレはお前を、どこまで信用していいんだ?」
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