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「娘夫婦が家を建てるんです」


由樹が応対した客は、50代くらいに見える女性と、その娘夫婦だった。

並んでいるスリッパを促したのだが、なかなか靴を脱ごうとしない。


濃い化粧。

大きな目には、上にも下にも貼られたつけ睫毛がバサバサと音を立てる。


「セゾン工務店さんの特徴は?3つどうぞ」


今だかつて、そんな質問をされたことはない。


セゾンエスペースの由樹は少し面くらいながら答えた。


「高気密高断熱、高い耐震性、あとは床暖房、ですかね」


言うと、小刻みに頷いていた母親は、由樹を睨み上げると言った。


「地元工務店と何ら変わりないわね。十分わかりました」


言うと、靴を脱がず、框にも上らずに、踵を返した。


「さ、次行くわよ」


娘夫婦は眉間に皺を寄せている。


由樹は微笑むと、その母親に向かって言った。


「――お客様は、床暖房を体感されたことはありますか?」


母親が振り返る。


「居酒屋でなら」


「お母さん」娘が声を潜める。


「それは掘り炬燵」


「…………」


「せっかく来ていただいたので、床暖房を体感されてみてはいかがですか?」


言うと若い夫婦が母親を促すように頷いた。


「電気カーペットと一緒でしょ?理論は」


言いながら母親が由樹を見上げる。


「……失礼ながら、お客様」


由樹は微笑むと、軽く息を吸いこんでから言い放った。


「全く違います」




由樹はフローリングがつけられる前の床暖房パネルがむき出しになっている展示場の一角に案内した。


「このようにフローリングの下を、内径2.0㎝の太い配管が通っておりまして、そこに不凍液が入れてあります。それが常に循環することにより、床から家中を温めています」


「まあ、常に?」


母親が眉をしかめる。


「そんなにずっと温めてるんじゃ、電気代がかかるじゃないの」


「そうですね。熱を生み出すにはやはり電気を使います。しかし当社が採用しているヒートポンプ式であれば、圧縮された空気で熱を生むので、光熱費は意外とかかりません」


「でもずっと湯を沸かしてるんじゃ、ねえ?」


母親が娘を振り返る。


「お湯と言いましても、この不凍液は沸騰しているわけではありません」


由樹は3人を順番に見つめた。


「ちなみに、この液の温度は何度だと思いますか?」


母親が言う。「60度くらい?」


娘婿が言う。「50度」


娘が言う。「36度」


すかさず娘婿が突っ込む。


「それは体温だろっ」


由樹は微笑んだ。


「………娘さんが、正解です」


「えっ」


3人は驚いてこちらを見つめた。


「正確に言うと、昼間は30度くらい。夜間は35度で十分です。それくらいのぬるま湯で家の中が温まるんですよ。不思議でしょう?」


親子は顔を見合わせた。


「それはセゾンの作る家が、高気密、高断熱のトップクラスだからできる技なんです」


由樹は圧迫感を与えないよう、3人の顔をバランスよく見ながら続ける。


「熱を閉じ込める断熱性が高い、熱を逃がさない気密性が高い。だから、一度発生させた熱を外に逃がさないのです。

そういう家じゃないと、床で発生させた熱で部屋全体を温めるという輻射熱方式の床暖房の効果はありません」


由樹は嫌味にならないように、それでも正直に、言い放った。


「地元工務店さんでは、そこまでの断熱性、気密性は実現できません。なぜなら現場施工、現場取付だからです。セゾンエスペースの家は、工場で機械による綿密な施工がされてから現場に運ばれてきます。

気密性に技術が求められる窓は、工場でロボットが、寸分の狂いもなく壁に取付をしてきます。

だからセゾンエスペースの家は全国どこで建てても、技術が偏らない」


最後の言葉は牧村の言い回しを借りた。


「…………」


3人は誰からともなく床暖房を味わうようにスリッパを脱いだ。


「……温かいね」


娘が夫に言う。


「うん」


夫も妻の母親を見る。


「………」


母親は少しだけ悔しそうに由樹を見上げる。


「もしよければもう少しセゾンエスペースの家作りについて、説明させていただいてもいいですか?」


由樹はリビングのソファを指さした。


そこには金子が淹れたコーヒーから湯気が立ち上っていた。


◇◇◇◇◇


「絶好調だったねー」


客を見送り、事務所に戻ってきた新谷を、渡辺が迎えた。


「俺、どれくらい話してましたか?」


新谷が壁時計を見上げている。


「3時間弱」


渡辺が答えると、新谷はニコニコと笑った。


「やった!ロングアプローチだ!」


嬉しそうに席に戻ってくる新谷の背中を、篠崎は強めに叩いた。


「勘が戻ってきたな、新谷」


言うと、椅子に座りながら叩かれた痛みに顔を歪めている。


「冬は接客が楽ですね。床暖房の温かさがすべてを語ってくれますから」


「……生意気言いやがって。調子に乗んなよ」


また背中を叩く。


新谷は痛そうに、それでも嬉しそうに笑った。


「土地は?」


「母親が購入済みです」


「夫婦の仕事は?」


「夫が市役所、妻が看護師です」


「……決まったようなもんじゃーん!」


渡辺が丸い手を叩く。


確かに熱い。

物凄く熱い。


この受注がちゃんと決まり、ペナルティーを免れるといいのだが―――。


「んで、アポは」


篠崎が言うと、新谷は気まずそうに事務所を見回した。


「じ」


「じ?」


「地盤調査………」


「はあ!?」


激励が瞬時に罵倒に変わる。


「なんでこんな雪が降った後にそんなアポとってくんの!」


渡辺が火を噴く。


「風邪も病み上がりなのに、ぶっ倒れたいんですか!」


金子まで噛みつく。


「地盤調査車両のタイヤ交換まだなのに…」


細越でさえため息をつく。


「まあまあ」


篠崎は笑った。


「契約前の地盤調査は必須なんだ。うちにしかない強みの1つだろ。みんなで雪かけばすぐ終わるって」


全員が小さく息をつきながら頷く。


「な!新谷」


篠崎が温かい視線で新谷を見下ろす。

新谷も潤んだ目で篠崎を見つめた。


あんなに癖のある母親なら、きっと地盤調査も同席するだろう。

調査を手伝いながら、耐震性の話でとどめを刺してやってもいい。


絶対決めてやる。


篠崎は胸の内に炎を燃やしながら、恋人の肩に手を置いた。


◇◇◇◇◇


【鈴原夏希様】


篠崎は携帯電話のディスプレイを見つめた。


時刻は午後の3時を回っていた。


先ほどの家族でアポイントをとった新谷は、また違う客とロングアプローチをしている。


軽くため息をつきながら受話ボタンを押す。


『篠崎さんですか?』


夏希はため息交じりの声を出して言った。


『もう駄目です。葵が飽きちゃって』


「葵ちゃんが?」


『もう飽きて飽きてぐずるもんで、ホテル、出てきちゃいました』


「え……ではどうするんですか?」


『別に泊めてくださいなんて言いませんから、ご心配なく!』


イラついた声の後ろで葵の泣き声が聞こえる。


『近所の人から、雪掻きもしてないから心配して電話がかかってきて。事情を話したらストーブ貸してくれるって言うんで、借りることにしたんです』


「ストーブ……ですか」


篠崎は慎重に言った。


「それはどんなストーブですか」


『は?』


「石油ストーブではだめですよ。一酸化炭素中毒の恐れがあります」


言うと、


『わかってます!ちゃんと電気式です!』


叫ばれて、篠崎が携帯電話を耳から離した瞬間、通話は切れた。


「………………」


呆れかえりながら携帯電話を見つめ、そのまま電話帳を開き、ホテルに電話をする。


請求書を会社宛に送付してもらう旨を伝えると、篠崎はため息をついてモニターを見上げた。


『そうなんですよ。今、3重のガラスを標準仕様で採用しているのは当社だけだと思います』


相変わらず絶好調の新谷が熱弁を振るっている。

それを見上げながら、金子が熱心にメモを取っている。


コーヒーメーカーが定期洗浄のため自動で動き出す。

冷蔵庫からは、自動製氷機からコロンコロンと氷が転がる音がする。


ファックスの音。


渡辺がプランを挟み込むバインダーの音。


「……平和。だな」



なぜかそんな言葉が口から零れた。


篠崎は椅子に凭れながら目を瞑った。




「油断するなよ」


牧村元也は梯子に足を掛けながら、店長を振り返った。


「大丈夫です」


「まさか屋根の融雪システムが壊れるんなんてな…」


店長が眉間に皺を寄せている。


「展示場の中でミシェルの屋根だけ雪が積もってたらかっこ悪いからさ」


「大丈夫ですよ。ちょちょいのちょいで下ろしてきます」


言いながら梯子を上がる。


屋根の雪下ろしなんて、実家で毎年やっているから慣れている。

軽いフットワークであっという間に屋根に上ると、背中に縛り付けていたスコップの紐を外す。


「ヒュウ」


口笛を鳴らす。

やはり同じ2階建てでも、ミシェルの屋根は高い。

天井までの高さが高いのだから当たり前だ。それに加えて鉄骨の梁が太いからなおさらだ。


「これはちょっと…」


北風のなか、牧村は身震いをした。


「こえーな……」


自分で発した言葉に笑う。


スコップを構えるとそれを雪の塊に突き刺した。

遊歩道の反対側に雪を順番に落としていく。


太陽光パネルも設置してあるため、緩い傾斜はついているものの、雪が滑っていくほどではない。

いつもなら融雪装置が働いて、積もった雪は勝手に溶けてくれるのだが――。


半分も落としたころ、隣の展示場から客が出てきた。


「家族連れだ」


思わず覗き込む。

若い夫婦、その親夫婦。よちよち歩きの男の子。


「あー、超熱そうな客なのに。くそ」


見送ったのは、新谷だった。

朗らかな笑顔で子供に風船を上げている。


「……恋も仕事も順調です!ってか」


その幸せそうな笑顔を見ていたら、こちらまで顔がにやつく。


「おっと。俺もさっさと雪下ろしして接客しなきゃ」


立ち上がったところで、軽くよろけた。



「あ……」



足をついた場所は太陽光パネルのガラスだった。



(やば……)



思った時には遅かった。


雪で濡れたガラスの上を長靴は滑り、あっという間に牧村の身体をひっくり返した。



「っ!」



声も出ないまま、牧村は8メートルの高さから落下した



◆◆◆◆◆


ドスン。


何か硬い音が聞こえた気がした。


由樹は閉まったばかりの自動ドアを振り返った。


今しがた見送ったばかりの客が口に手を当てて悲鳴を上げている。


由樹は慌てて見送り用のサンダルを足につっかけると、展示場を出た。


遊歩道を行きかう家族連れが、みんな一方向を見つめている。



「おい!大丈夫か!」


誰かの叫び声がする。



「牧村!!」



……牧村?


……牧村さん!?



ファミリーシェルター脇の雪の上で黒い塊がうずくまっている。



由樹はサンダルのまま、雪の中を走り出した。




遠くから救急車の音が聞こえてくる。


偶然居合わせた客と、他の展示場の職員で出来た人垣をかき分けて円の中心に行くと、そこにはファミリーシェルターの店長と共に、牧村を抱き起す新谷の姿があった。


「篠崎さん!」


新谷がこちらを見上げる。


「牧村さんが、屋根から落ちて……!」


屋根を見上げる。


ファミリーシェルターの融雪装置が壊れたというのは、今朝のハウジングプラザの申し合わせのときに聞いて知っていた。雪下ろしをしている途中に足を滑らせて落ちたのだろう。


しゃがみ込み牧村の顔を覗き込む。


息はしているようだが、唇が紫に染まり顔色が悪い。


「意識は」


新谷に聞くと、彼は涙目で首を振った。


「出血は」


今度は牧村を見下ろしながら、また首を振る。



駆けつけた救急隊員を、ファミリーシェルターの職員が誘導し、担架が運ばれてきた。


隊員が牧村に声を掛けながらその体を担架に乗せ、あっという間に運び出した。

吸い込まれるように救急車に乗せると、隊員が振り返った。


「どなたか付き添いをお願いします」


なぜか進み出ようとする新谷を押さえつけると、ファミリーシェルターの店長が救急車に駆け寄り飛び乗った。


「————」


いてもたってもいられないという表情で新谷が、救急隊員と閉まるドアを交互に見る。


隊員も乗り込み、救急車はまたサイレンを鳴らしながら発車した。



赤い警告灯が積もった雪に反射する。


新谷の唇から白い息が漏れる。


コートも着ず、サンダルのまま走ってきた彼に、自分のコートを掛けてやる。


「大丈夫だって」


言っても新谷の視線は国道に出ようとしている救急車を見つめている。


「こんなことで死ぬようなタマじゃねぇだろ?」


“死ぬ”という言葉に反応してしまったのか、新谷の目から涙が零れ落ちた。



篠崎も新谷の涙から視線を逸らし、遠ざかる救急車を見つめた。



(……牧村。戻って来いよ)


その赤い警告灯を睨む。


(こんな半端な不戦勝は、許さないからな)



その赤い光に心の中で囁き、篠崎は目を閉じた。



続 一度でいいので…

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