テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
2件
ちりん、ちりんと鈴の音が響く。山道を登る人の服には厄よけと称された鈴がいくつも付いており、さながら鈴虫の鳴き声のようだ。
担がれたやぐらの上に座りお堂に着くのをじっと待つしかない俺には、周りの状況が余分なほどによく見える。これが最期なのだから今更道を覚えたとてだが……暇つぶしにはちょうどいい。
俺は今宵、嫁としてお狐様に捧げられる。
“狐の嫁入り”と呼ばれるこの儀式は古くからある部落のしきたりだ。土地の守り神であるお狐様へ嫁……もとい人柱を献上することで、乱れた世から部落を守ってもらえるのだという習わしである。
ひと月前に何とか教?と言ったっけ。ともかく西洋宗教の教えが幕府により禁止されたという通達があり、そこから俺の日々は一変した。
生まれつき金色な俺の髪は、西洋宗教を信仰する人からするとすごく神聖なものらしい。おかげで親がいない孤児にも関わらず、住居や食べ物が与えられていたのだからこの髪には感謝している。まぁそれが弾圧された今、身寄りのない俺はちょうどいい生贄としてお狐様の嫁にされるわけなのだが。
「しっかしひどい天気じゃのう。」
「お狐様の儀式の日は必ず雨が降ると聞いとったが……雷が鳴るとは聞いてねえよなぁ。」
不意にやぐらの前を歩くお役人達の話し声が聞こえた。確かに空でぴかぴかと光る雷が、山を登るにつれて近づいてきてる気がする。
「お狐様もこんな嫁いらねえって怒っとんのかもなぁ?」
嫌な笑みを浮かべて振り向いたその人は、表情一つ変えない俺が気に入らないのかすぐにまた視線を前へと戻した。瞬間、一際大きく空が光り、すぐにごろごろごろという落雷の音が響いた。
「土砂降りになったらたまったもんじゃない!もっと急がんか!」
あの怒鳴っている人は部落の長だったかな。彼の一声で人々は早足に山肌を駆けていく。がたがたと揺れる視界に酔いそうだと思った俺はそっと目を閉じた。
揺れが収まったと思い目を開けば、既にそこはお堂の中だった。少し埃っぽいが、想像より全然良い。いつのまにか雷は止んでおり、部落の人たちはいそいそと帰る準備をしている。後は俺がきちんとやり遂げれば儀式の完成だからと念を押すように手順を指示した村の人たちは、お堂のドアを丁寧に閉めて立ち去っていった。
足音と人の声が完全にしなくなると、薄暗いお堂の中はひどく寂しく感じる。まあ死ぬにはちょうどいい場所かと自身を納得させた俺は、早速儀式の準備に取り掛かることにした。
……といっても5本の蝋燭さえ立ててしてしまえば準備は完了だ。もう日はだいぶ傾いているから、あと10分もしたら儀式が行えるだろう。今まで人生最期に何をしたいかと幾度か考えたことがあったが、実際にその状況になってみると案外冷静なものだなと思った。
完全に日が落ちたのを見計らって蝋燭へ火を灯した。ぼんやりとした光によって浮かび上がる堂内は昼間よりもずっと寂しそうに見える。自身を囲むように並べた蝋燭の中央に移動し、お堂の奥へと向かって礼儀正しく座る。2度手を叩いた後に頭を地につけてこう唱える。
「お狐様お狐様。御出でくださいまし。」
蝋燭が消えれば、それが儀式成功の印なのだが……。
「消えない……?」
恐る恐る顔を上げると、目の前でゆらゆらと今だ灯り続ける赤が見えた。手順は間違っていないはずなのになぜ…?そう思いながらもう一度、さっきの手順を繰り返そうとした時だった。
ふと巡らせた視線の先。座っている俺の横にもう一つ、影がある。右後ろに立つその影には、頭上に何か耳のようなもの、そして腰あたりには左右に揺れる尻尾のようなものがついていて、無意識のうちに”お狐様”の影だと気づいた。
怖い……怖い怖い怖い!
なんてことないものだと思っていた死が、実際にすぐそこへ迫るとこんなに恐ろしいものだとは思ってもみなかった。震える手をなんとか揃えて再び頭を下げる。
儀式の手順でいけば、俺はこれからお狐様に食べられる。殺されてから食されるのか、もしくは食すことで殺されるのか。ぐるぐると思案する頭がひどく熱い。
あぁ今になって教団の人々にお礼を言えなかったことが申し訳なくなってきた。死ぬ前に思い出してしまった後悔にぐっと拳を握り、視界の端の影へともう一度視線を移す。
影は大きくゆらりと動いた。やはり神様であるからか足音はしない。その代わりにしゃらん、しゃらんと鈴のような音が近づいてくる。恐怖に耐えきれず思わず目を閉じた。鈴の音はもう俺のすぐ前で鳴っている。
「マナ、顔をあげて?」
生気を感じさせないひんやりとした手が頬に触れた。それでいて降ってくる声には熱がこもっているように感じる。流石お狐様、俺の名前なんて既に掌の中ってわけか。逆らったら何をされるか分からないと思い、ゆっくりと顔を上げた。
細められていてもわかる大きな瞳に、その頭の上でぴょこぴょこと動く獣の耳。羽織っている着物は少し着崩されていて、”神様”と聞いて想像していたよりもずっと若い姿をしている。その足の間からは揺れる尻尾が覗き、やはり人間ではないのだと確信した。
「お狐様…ですか?」
「……うん、そうだよ。俺がここの神様。」
ふふんと得意げに笑うその顔に可愛げを感じてしまい、いやいやこの方は神様だぞと自分を律する。それに……どんなに人に近い見た目だとしても相手は生贄を求めてくるような存在。お狐様だと言う事実確認が出来たのなら俺がやるべき事は一つだ。
先程と同じように礼儀正しく座り、すっと頭を下げて失礼のないように言葉を探って声にする。
「私は部落から差し出されたあなたの生贄にございます。どうぞお召し上がりください。」
しばらくの沈黙の後、お狐様が呟いた。
「マナは俺に食べてほしいの?」
尋ねられた声に反応して顔を上げれば、人間より少しだけ尖った八重歯が覗くのが見えた。黒く綺麗に塗られた爪がそのまま俺の首元の装束をずらす。あぁ生きたまま食いちぎられるのかと思いぎゅっと目を瞑った。
呼吸音がすぐ近くから聞こえる。吐かれた息は熱く反射的に身体を震わせれば、楽しそうな声が響いた。そして歯が俺の首にあたり、がぶりと一思いに……
「っ……う…?」
皮膚を貫く痛みを覚悟していたために、かぷかぷと甘噛みされて間抜けな声が漏れる。これは捕食というよりはむしろ戯れているというような…?首から顔を離したお狐様がにやりと笑う。
「せっかく俺に嫁いでくれたマナのこと、食べるわけないでしょ?」
「儀式の成功は私が食べられることで完成すると聞いていたのですが……」
疑問をこぼした俺の言葉にお狐様はきょとんとした顔をした。少し考える素振りをした後に、もしかしたら…といって話を始める。
「伝承が形を変えて後世に伝わるっていうのはよくある話だからね。最後に儀式が行われたのって百年くらい前でしょ?」
言われてみれば確かに、少なくともここ数十年で儀式が行われたというのは聞いたことがない。部落で語り継がれる内に内容が誇張されてしまったのだろうか。
「だから俺はマナを食べたりなんてしない。マナはただ俺のお嫁さんとして、ずーっとここで暮らしてくれればいいだけだよ。」
てっきり死んでしまうと思っていたから、本当に嫁になると決まって少し動揺してる。そんな俺を見越してか、お狐様が眉を下げて哀しげにこちらを見つめた。
「マナは俺のお嫁さんになるの……嫌?」
正直言って、嫁ぐことに嫌悪感はない。忌み子や信仰対象としてしか見られたことのない俺がお嫁さんとしてやっているか……むしろ心配なのはお狐様の方だ。
「嫌ではないですが……その…お狐様は俺でいいんですか…?」
「もちろん!マナが嫁いでくれて嬉しいよ。」
するりと繋がれた手はやはり冷たいものの、先程よりかは少し温い気がする。
「あともうお狐様って呼ばなくていいよ。俺は伊波ライ、だからライとか好きに呼んで。あとお嫁さんになるんだからもう敬語とかもいらないよ。」
最初から薄々感じていたことだが、随分気さくな神さまだなと思う。でも神様がこういうのなら従うまでだ。
「……わかった。これからよろしくね、ライ。」
俺がそう言うと、引かれた手の甲にちゅっと軽い口づけが落とされた。へにゃりと笑ったその表情に自然と張り詰めていた緊張が緩む。
こうして俺と神様の新婚生活が始まったのだった。
スクロールありがとうございました。
だいぶ特殊なお話だと思うので苦手かなと思った方はここでUターンをお勧めします🙇♀
逆におもしろ!と思ったらモチベになるので♡とか💬とか頂けると嬉しいです。