第二章 葵の決意
地下帝国本陣。
葵は、戦場から届いた煙の匂いを静かに吸い込んだ。
朝から空気が重い。胸の底に澱のように沈む不安は、経験豊富な将である彼女にとっても珍しいものだった。
「……円。まだ戻らないのか?」
副官は言葉を飲み込み、わずかに顔を伏せる。
葵が最も信頼していた部下——円。
彼が率いる中央軍の動きが途絶えたままだ。
「大佐円隊の報告は未だ……」
「いい。言うな。嫌な予感は、もう十分だ」
葵はゆっくり立ち上がる。
その瞳は、どこか遠くを見ていた。
◆伝令
「総大将葵殿、伝令!」
本陣に飛び込んできたのは、死んだ円の使いである帝国軍少佐の一人——風牙だった。
風牙は、肩で息をしながら報告する。
「合分、戦死……守備隊隊長殿・寒鬼殿も……少佐・草高殿も……」
葵の心臓が一瞬止まったように感じた。
同時に副官の手が震えた。
「……円は?」
風牙は口をつぐむ。
葵は一歩、ゆっくりと近づく。
「聞いている。……円はどうした?」
風牙は唇を噛むようにして、絞り出した。
「……円殿は敵総大将四季との一騎討ちで……」
その瞬間、葵は目を閉じた。
戦場にいる将としての覚悟は持っている。
だが、胸の奥のどこかが静かに崩れ落ちる。
——円。
——なぜ、私より先に逝く。
副官は震える声で言った。
「葵様……この戦、続行なさいますか?」
葵はゆっくり首を振る。
「……続行する。円の死を無駄にしないために」
だがその表情には、これまで誰も見たことのない影が落ちていた。
◆天空神殿総大将・四季
一方その頃、天空神殿軍本陣では四季が静かに息をついていた。
彼女の肩には玉の頭が乗っている。
「四季……疲れた?」
「ううん。ただ……円の顔がまだ頭から離れなくて」
玉は心配そうに四季の頬を覗き込む。
「四季。あいつは敵だったよ。負ければ死ぬ、それが戦だよ」
「……わかってるよ。でも、円は最後まで笑っていたんだ。
“親友が悲しむ顔は見たくない”って……そんな顔で……」
玉はそっと四季の尻尾を持ち上げ、軽く撫でた。
「泣きたいなら泣いていいんだよ?」
四季は少しだけ笑った。
「玉はいつも優しいね。……でも、これで終わりじゃない。
葵が動く。あの人は“戦場の鬼火”って呼ばれてるんだよ。
本気になれば、私たちでも止められない」
玉は尻尾をふるわせる。
「……四季、また辛い戦いになるの?」
「うん。今度は“本当の戦い”になると思う」
四季の目は、ゆっくり空へ向けられた。
そこには曇りを割って差し込む、一筋の光。
「——でも、葵を止めるのは私の役目だ。
親友が地獄に落ちないようにね」
◆葵の決意
夜。
葵は円の残した小さな手紙を手にしていた。
——私の後を追うものは誰一人として許さない。
——死ぬ気で幸せになりなさい。
——そして最後に……葵様を頼んだよ。
葵はそれを読んだ。
「……円、お前らしいな。
……死んだあとまで私を縛る気か」
しかし、葵の目はもう決まっていた。
静かにしかし確固として燃える炎。
「円。私はお前の願いとは逆の道を行く。
……戦いを終わらせるために、私は剣を捨てない」
葵は立ち上がり、黒い外套を羽織った。
その姿は夜の闇に溶ける火のように凛としていた。
「……全軍に伝えろ」
声は静かだが、軍全てを震わせるような気迫があった。
「——明朝、天空神殿への総攻撃を開始する」
副官は息を呑む。
「い、今の戦力差では、危険では……!」
「わかっている。それでも行く。
……この戦を終わらせるのは、私しかいない」
葵は手紙を丁寧に折り、胸元にしまった。
「円。お前の最期は無駄にしない。
四季……お前が総大将ならば、なおさらだ。
友として、敵として——決着をつけよう」
夜風が本陣を吹き抜け、葵の黒髪を揺らした。
彼女の決意は、もはや揺らぐことはなかった。
◆つづく
天空神殿総大将・四季↑







