side黒子①
「では、来週からよろしくお願いします!もし何かありましたらお気軽にお電話くださいね」
「はい、ありがとうございました。こちらこそよろしくお願いします」
優しそうな彼女はにっこりと笑い、「では!」と言って、パステルカラーで可愛らしく彩られたドアへ消えていった。
「…僕、これから保育士になれるのか」
そう呟いて黒子は、今一度施設の外観を見直す。小さな子供に好かれそうなピンク、水色、黄色。そして所々にある、動物のシルエットや果物のイラスト描かれた看板。そして、門の前で待ち構えている可愛らしいテディベアの置物が掲げるリボンには『𓏸𓏸保育園』という文字。資格に合格したときに放ったその言葉は、それを見て再度口から溢れ出てきた。かつてのチームメイト達の反応を思い出す。今も親交のある降旗という友人は、共に合格発表を見に来てくれた。その時の反応といったら今でもくすりと笑えるほどだ。合格した本人である黒子よりもずっと喜んで、涙を零すほどだったから。そんな彼に押されてしまって、黒子もすぐには反応できなかった。だが、彼が抱きついてきたところで「やった!」と黒子にしては珍しく声を上げたのだ。
そんな思い出に浸りながら、降旗ともう1人。己の光であったとある人物にメールで連絡をすれば、忙しいだろうにすぐに電話がかかってきた。
「黒子!やったじゃねえか!!」
「あぁ、はい。はは、ありがとうございます。火神君」
「なんだ、反応薄いな?もっと喜んでるもんかと」
「いえ、すっごく嬉しいですよ。頬が緩むのが止みませんから。」
なんだよそれ、と彼らしい言葉を漏らして、通話口からはくすくすと笑い声が聞こえてくる。
「まーでも、おめでと。頑張れよ」
「はい、火神君も。アメリカでも頑張ってくださいね」
「あたりめーだろ?また日本に帰国したらバスケしようぜ!その時まで待ってろよ!!」
彼は変わらない。いつまでもバスケが好きで、仲間思いで、彼らしい。瞳を閉じて、彼がNBAで活躍する姿を想像して微笑む。そして、「では、また」と言って電話を切った。
運のいいことに、この園は街中にある。なのでものを揃える、と言った点ではとてもいい立地だった。先程の保育士から渡された書類を見て、必要な物をスマホにリストアップする。別に特別なものがいるという訳でもなく、そこらへんの100均でも雑貨屋でも簡単に揃えられるものだったので、ここで済ませよう。
…あぁ、それと家も探さなきゃ……。
1番重要なものをうっかり忘れていた。はあ、とため息をつき、とりあえず、という感じでデパートへ足を踏み入れた。
_しかし、本当にどうしようか。
棚からハンカチや、メモ帳などリストアップした物を取り、カゴに入れながら思う。街中というだけあって、一軒家を買うとしても土地代は高すぎる。それにアパートの部屋が空いているだろうか。空いていたとしても家賃は大概高いだろう。うんうんと唸りながらスマホを見ていれば、背中に衝撃を感じた。
「あっ、すいません…」
「いやこちらの不手際だ、すまない」
学生時代から変わらず、黒子はずっと影が薄かったのでこのようなことにはもう慣れていたのだが。別に気にする素振りも見せず退けようとすればふいに腕を掴まれた。
「…おや、黒子?」
「えっ」
己の名前が呼ばれる。意図していなかった展開に目の前の人物へ目を向ければ、黒子は大きく目を見開いた。
「赤司、君、………」
そうだ、彼を知っている。というか、知りすぎている。輝かしい成績のあった、中学時代。自身らを導いていた絶対的王者。みなの光。
赤い髪やアシンメトリーな瞳は誰の目をも奪う。そしてそれに重なった、芸術品のように整った完璧とも言えよう顔の造形。それは己の知っている赤司征十郎そのものだった。
…いや、しかし。目線が合わない、なぜだ?というか、僕が見下ろしているような…
「おい、お前。今何か考えたか?」
「えっ、いや、なんか目線が」
ヒヤリ、と背筋が冷えた。蛇が背中を走るように汗が肌を伝う。目の前の彼はにっこりと笑い、こちらへ手を伸ばした。
「黙れ」
「ヒッ……」
ぎんっ!と彼の圧のある瞳がこちらを見据えた。これに見つめられると言葉が出なくなる。というか体が言うことを聞かなくなると言った方が正しい。だが、それすらも己の認識している彼だった。
「…まあ、それは置いておこう。なぜお前がここに?」
「え?いやこっちのセリフですよ。赤司君、京都の大学に進んだって……?」
「あぁ、そうだね。だけどその先どこに進むかは俺の勝手だろう。さて、早く俺の質問に答えてくれるかな」
「あー、はい。えっと、僕このあたりの保育園に務めることが決まって、それで挨拶をしにそこへ行ったわけです。で、それが済んだ後、そこで働く上で必要なものを買いに……」
「なるほど」
おおかた遮るようにして赤司はそう零した。あ、そういえば彼に僕の就職先の話は全然してなかったな…。ちょっとだけ気まずいかも…
そう黙っている黒子には気を向けず、赤司はほら、と言って手を差し出した。
「えっと…?」
「久しぶりに会えたんだ、少し話さないか?それの駄賃、ということで…俺がそれ会計しておくよ」
「そ、そんなのいいですよ!僕が払いますから」
「いいんだ、気にするな。俺、金が余って仕方ないんだよ」
ははっ、となんの感情も乗せていない笑いを口からこぼして彼はそう言った。…彼がそのセリフを言うと苛立ちを覚えないのは何故だろうか。逆にしっくりくる、というか。おそらく、モデルである、ある1人の友人がそのセリフを言ったら苛立つだろうに。いや、苛立つ。今想像してイラついた。
それが似合うのは、彼の性格を知っているからか。あの大魔王とも言われていた彼の底を。それか……彼が日本、いや世界でも指折りの財閥の家柄だからだろうか。近頃は父親から会社を何件か継いだともニュースで聞いた。そうなれば、元から大きかった彼の経済力は計り知れないものに…。想像して何故かゾッとした。
住んでいる世界の違う彼へ口を噤みながらカゴを渡せば、「はい、ありがとう」などと、絶対にこちら側から言うはずの言葉を発して彼はレジの方へ消えていった。
続く
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