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門柱の影から二人の衛兵が鉄槍を構えて現れた。だが、私の姿を認めた瞬間、槍がガチャリと下がる。
「……お、お嬢様!?」
掠れた声が裏返る。見窄らしいドレス、泥と血にまみれた手足、引き裂かれた裾……それでも、プラチナブロンドと青い瞳は、間違いなくドナー家の長女だった。衛兵の一人が真っ青な顔で踵を返す。
「オランジェット様がご帰還だぁっ!!」
叫びながら、門の奥へと全力で駆けていった。もう一人が慌てて片膝をつき、頭を下げる。「お、お帰りなさいませ!すぐに執事を……」私はレオンの肩を借りて、やっとのことで馬から降りた。
鐙から足を抜いた瞬間、膝がガクンと崩れそうになる。「痛った……」尻から太腿まで、痛い。慣れない鞍で半日近くも乗っていたんだから、無理もない。レオンが素早く腰を抱き、耳元で小さく笑った。
「……無理していたんだね」
「うるさい」
私は睨み返すけど、足に力が入らなくて、結局彼に半分もたれかかる形になった。門の奥から、ドタドタと複数の足音が近づいてくる。どうやら、屋敷中が大騒ぎになりそうだ。
馬番の少年が「わ、わわっ!」と慌てて駆け寄り、三頭の馬を宥めながら手綱を奪うようにして馬小屋へと連れて行った。衛兵はレオンとリバーの顔を一瞥し、眉をひそめた。見慣れない男たちだ。だが、私がそばにいるのを見て、渋々鉄槍を下ろす。
「……通ってもよし」
石畳の長い道を、私たちはゆっくりと歩いた。左右に並ぶ楓の木が、朝の陽射しを受けて紅く揺れる。庭園の奥から、黒い燕尾服の執事が眼鏡を光らせながら全力疾走で駆け寄ってきた。「お、お嬢様っ!?」私の姿を認めた瞬間、足がもつれて転びそうになる。
執事は両手を広げ、声を上ずらせた。「無事で……本当に、無事でいらっしゃいましたか!?」涙まで浮かべて、しかし私の泥だらけで破れたドレスを見て、言葉を失う。
私は小さく頷いた。
「……ただいま、ジェームズ」
「おかえりなさいませ」
執事の名を、なぜか自然に口にできた。オランジェットの記憶が、また一つ、静かに胸の奥で灯った。ジェームズは白いハンカチを取り出し、目尻に滲んだ涙を拭った。
庭園の奥へ進むたび、記憶が波のように押し寄せる。薔薇のアーチをくぐると、甘い香りが鼻をくすぐった。……色とりどりの薔薇が朝露を光らせて咲き乱れている。噴水の水音がキラキラと響く。そして、白いブランコ。鎖が錆びて軋む音まで、はっきりと思い出した。
……あのとき、ミランジェットが「見ててね、オランジェット!」と笑って勢いよく漕いだ。高い高いと空に向かって跳ねて、でも次の瞬間、バランスを崩して落ちた。血が流れ、彼女は泣き叫んだ。母は私を睨みつけた。「あなたがついていながら! 何をしているの、オランジェット!」私はただ、ミランジェットの手を離してしまっただけなのに。「長女としての責任があるでしょう!」……責任、責任、責任。いつも私だけが悪い。
いつも私だけが、許されない。薔薇の棘が指に刺さるような痛みが、胸の奥で蘇った。私は無意識に白いブランコに手を伸ばした。冷たい鉄の鎖が、掌に食い込む。
扉がバンッと勢いよく開く。記憶の中の母と父が、息を切らして駆け寄ってきた。私は思わず両手を広げた。抱きしめてもらえると思った。無事でよかったって、泣いてくれると思った。でも。母の手が振り上げられた瞬間、世界が真っ白になった。
乾いた音が鋭く切り裂く。頬が熱い。耳鳴りがする。
体が横に倒れそうになるのを、レオンが慌てて抱きとめてくれた。「オランジェ!」母の声が、氷より冷たく響いた。
「なぜ……なぜ罪を素直に受け入れなかったの!?」
父は俯いたまま、肩を震わせている。「我が家の恥だ……王太子暗殺の嫌疑をかけられたまま逃げ出すとは……」二人は、私が本当に罪を犯したと信じている。いや、信じたいと思っている。ドナー家の名誉のためなら、娘が死刑になっても構わないと。私は頬を押さえながら、ゆっくりと顔を上げた。熱い。頬が、胸が、目が。「……私は、無実だ」声が震えた。でも、はっきり言った。
「誰かに嵌められたんだよ。王太子を殺そうなんて、考えたこともない!」
母の瞳に、失望と怒りだけが渦巻いている。レオンの腕の中で、静かに涙が頬を伝うのを感じた。でもそれは、オランジェットの涙じゃなくて。獅子頭橙子の、怒りの涙だった。
「娘を信用しねぇ奴なんざ、母親じゃねえ!」
私の口から飛び出したのは、完全に獅子頭橙子の言葉だった。低くて、荒々しくて、怒りが喉を焦がすような声。母は目を見開き、凍りついた。父も、信じられないという顔で私を見上げる。
「あなた……なんて言葉遣いを! 伯爵家の!」
「伯爵家なんざクソ喰らえだ!!」
私は一歩踏み出し、母を真正面から睨みつけた。
「自分の娘が死刑になる方がマシだってか?名誉のためなら血の繋がった子を切り捨てられるってか?そんな家なんざ、いらねえ!」
声が震えている。でも、もう止まらない。
「私は無実だ。誰かに嵌められたんだ!それを信じられないなら、もう二度と私の前に顔を見せるな!」
母の顔が、初めて歪んだ。驚きと、恐怖と……ほんの少しの罪悪感。私は踵を返した。レオンが静かに頷き、リバーが呆然と口を開けたまま、私の後ろに続く。もう、ここは私の家じゃない。私は自分の足で、自分の人生を歩き出す。
「オランジェット、逃げるの?」
そこで聞き慣れた声が私を呼び止めた。