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メスィフ・デミルとの緊張感を覚える対談を終え、彼が乗るタクシーが見えなくなるまで見送ったウーヴェは、急激に覚えた疲労感からリオンの肩に寄りかかる。
「……疲れたな、オーヴェ」
「ああ……でも……」
彼に会えて話が出来たことは良かったとリオンに支えられながら目を伏せたウーヴェは、緊張と疲労とそれ以上に大きな名前の付けられない感情に深呼吸を繰り返して真っ直ぐに立とうとするが、それを阻止する大きく暖かな手が髪を撫でて頬を撫でた後に車に乗ろうと優しく誘いかけてきた為、外出先では珍しく甘えたようにリオンの腰に腕を回して肩に頬を押し当てる。
その様子からウーヴェの心身が極度の緊張を経験して疲労していることを察し、ウーヴェを抱き寄せたまま車に乗せると、素早く運転席に乗り込んで車を走らせるが、少し走って信号が変わったためにブレーキを踏んだとき、ウーヴェが助手席で気怠げな声を上げて家に帰って欲しいとリオンに告げる。
「家?」
「……俺たちの家、だ……」
今滞在している父の家ではなく俺たちが二人で暮らす家に帰ってくれと溜息交じりに告げるウーヴェを横目で見たリオンだったが、特に何を言うでもなく車を走らせているとやがて随分と久しぶりに見る気がする自宅アパートが遠くに見えてくる。
「親父に連絡しなくて良いのか?」
「……ああ、そうだった」
今日の話し合いの前に送り届けてくれたエーリヒに伝えたことを思い出しのろのろと携帯電話を出したウーヴェは、やはりまだ緊張を覚える父ではなくアリーセ・エリザベスに電話を掛けると、慌てている様子を必死に押し隠している声が聞こえてきて、姉の声からいつも感じていた安堵を得る。
『フェル? もう話は終わったの? 大丈夫?』
「ああ、終わった。少し疲れたけど、大丈夫、だ」
『そう。無事に終わったのなら良かったわ。――彼とちゃんと話が出来たの?』
「……ああ。今日は疲れたから、明日、ちゃんと話をする、けど……」
アリーセ・エリザベスの問いに何とか答えていたウーヴェだったが、車が自宅アパートの駐車場に入ったことに気付き、久しぶりに家に帰ってきたことに更に安堵感を得るが、姉が小さく名を呼んだ為、うんと答えて車から降り立つ。
アリーセ・エリザベスと話しているウーヴェを邪魔しないようにリオンが気遣いつつ先程の続きだと教えるようにウーヴェの腰に腕を回すと、ウーヴェも自然と身を寄せる。
「エリー、今日は家で寝る」
『こちらに帰ってくればゆっくり出来るのに』
暫く留守にしていた家に帰っても何も出来ないのではないかと問われ、こちらの方が近いこと、そちらに帰る気力が今は無いことを伝えると、さすがに姉も何かを察したのか溜息一つでそれを認めてくれる。
『分かったわ。父さんには私から話しておくから安心しなさい』
「ダンケ、エリー」
エレベーターで自宅まで上り、たった一つのドアを見た瞬間、ウーヴェの膝が崩れ落ちそうになるが、彼と話をしている時と変わらない強さでリオンが支えてくれていたためにその場に座り込むようなことはなかった。
「今日はリオンが一緒にいてくれて本当に良かった。そう、思ってる」
『そうなのね? 一人では辛かった?』
「辛い、じゃないな……」
今まで過去に関する事を見聞したとき苦しさから俯いて目を閉じ耳を塞いでしまっていたが、その闇の向こうに明るい世界が開けていること、自分がその世界に向かって歩いて行っても良いんだとリオンが教えてくれたことをアリーセ・エリザベスに伝えると、電話の向こうから息を飲む音が、間近では頬にキスされる小さな音が聞こえてくる。
「だから、エリー。もう、本当にあの事件のことは……大丈夫。そう、言える」
今も変わらず支えてくれるリオンがすぐ傍にいるのだ、例え過去を思い出したとしても大丈夫だと今まではうわべの言葉としてしか己に言い聞かせることのなかったその一言が自然と流れだし、驚く姉と同じようにウーヴェ自身も驚いてしまう。
『あなたがそう言うのなら、大丈夫よね』
「ああ」
だから安心してくれと告げ己の為に開かれたドアを潜ったウーヴェは、もう疲れたから電話を切ると告げて返事を聞くが早いか通話を終えると、リオンの手が携帯を取り上げる。
それをぼんやりと見ていたウーヴェは、リオンが頬にキスをした後小さく掛け声を放って己を抱き上げたことに気付き、恥ずかしいだの下ろせだのといつもならば大騒ぎをするが今夜に限ってはそれをする気力もなくリオンの頭に頬を当てて吐息を零す。
「……悪ぃ、オーヴェ」
この間は必死に堪えたが今日は本当に我慢が出来ない、悪いと詫びつつベッドルームではなく玄関から一番近い己の部屋に大股に向かったリオンは、相変わらず散らかっている部屋に苦笑しつつベランダに出る掃き出し窓を開けて空気を入れ換えると、ウーヴェをそっとベッドに下ろしてそのまま痩躯に覆い被さる。
「リーオ……・っ……」
「うん。さっきさ、お前が言ったことがすげー嬉しかった」
焦りの声を上げるウーヴェの首に顔を寄せたリオンがくぐもった声で囁きながらアスコットタイを解いていくと間近に見える素肌にうっすらと赤い帯が見えていて、早く消えろ今すぐ消えろと呟きながらそこに何度もキスをする。
「……っ……・」
「あ、薄くなった」
ウーヴェが短く息を飲んだのを知りつつもキスを繰り返し、最も目立つ喉仏にも吸い付くようにキスを繰り返すと、リオンのひいき目ではなくみるみるうちに赤い帯が薄れていき、ウーヴェが軽く唇を噛み締める頃にはすっかりと見えなくなっていた。
「俺がいて、明るい世界が広がっているって言ってくれたの、マジ嬉しかった」
今まで俺が俺なりに伝えてきた言葉がちゃんとお前に届いていたのだとわかったことが嬉しかったと笑いながら額に額を重ねてくるリオンの頭に手を回し、日が差す方へ、明るい世界へ連れて行ってくれと囁いて目を閉じれば、暗闇の中でも安心出来る温もりに全身が包まる。
「……イイぜ、オーヴェ。一緒に行こう」
俯いていた顔を上げて一歩を踏み出そう、そうすれば世界は明るく広く過ぎ去ってどうすることも出来ないものに囚われているヒマなど無いことに気付くと笑うリオンに見下ろされ、そんな世界が本当に広がっていれば良いと泣き笑いの顔で思いをウーヴェが口にすると、いれば良いじゃなくて広がっているしその中にお前もちゃんといるんだと優しく強く教えられて目を閉じれば、ゆっくりと唇が重ねられる。
「……リーオ……っ……」
その世界を一緒に見たい。お前と肩を並べて笑い合って一緒に見たいとキスの合間に何とか伝えたウーヴェにリオンは繰り返すキスで返事をするが、シャツの胸元をはだけて過去からの呪縛が完全に消えたことを確認すると、訝るように目を細めるウーヴェに約束と片目を閉じる。
「この部屋のカギとこれがあれば大丈夫だよな」
「?」
お前の辛く苦しかった過去をお前がいつも言うように腹の中の納めるべき場所に納めたたらこの部屋のカギとこれで封をしよう。過去から何かを学びたいときには一緒にそれを開けて必要が無くなればまた一緒に閉じようと、ウーヴェの首に今も掛けられている鍵を掴んでウーヴェの胸の中央に軽く突き立てたリオンは、子どもじみた行為だがそれがウーヴェには意外な効果をもたらすことを経験から理解しており、カギを掛ける要領で手を動かすと見えない鍵穴がある場所に恭しいキスをする。
「――!」
「お前の過去はもうカギを掛けたから。俺がいないときには開かないからな」
鍵を掛けられて絶対に開け放たれることのない箱を想像したウーヴェは、その言葉が更にその箱に見えない封印を施したように感じ、きつく目を閉じて箱が静かに胸の中から腹の底に納まった事に気付くと、無意識にリオンの頭を再度抱き寄せてしまう。
「お前がいないと……開かない?」
「ああ。絶対に開かない。俺がいなくなれば開く箱なんて意味がねぇ。俺がいるからこそその箱を自由に開け閉めできるんだ」
それは二人で一緒に過去を乗り越え未来に向けて歩き出そうと誓った証でもあると再度ウーヴェの胸にキスをしたリオンは、それに、これからはずっとずっと一緒にいる、お前が一人になることは無いと悪戯っ気たっぷりに片目を閉じるとウーヴェが目を瞬かせる。
「いつも言ってるけどさ、もうお前を一人にしない。俺が一緒にいる」
だからオーヴェ、暗闇を抜けた先に広がる明るい世界に一緒に行こうと一転して悪戯っ気を掻き消した真摯な目で見下ろされて唇を噛み締めて目を伏せたウーヴェは、返事はと問われて何度も頭を上下させるが、お前の言葉で聞かせてくれと強請られて深呼吸をする。
隠しておきたいと思っていた過去。その過去がもたらす心身の不調。家族との不和。
今まで仲の良い友人達にも話すことはなかったそれだが、リオンというある種奇跡のような存在がウーヴェの気持ちなどお構いなしにその扉を全開にした結果、ウーヴェの誘拐事件で光を失っていた人々総てに光をもたらし、ウーヴェは心身の不調の本当の理由も家族の不和も解消できただけではなく、さっき姉に告げた様に明るい世界に一歩を踏み出しても良いのだと教えられた。
それら総ては今密かな期待に目を輝かせているリオンのおかげだと改めて気付いたウーヴェは、閉じていた目をゆっくりと開けて見下ろしてくる蒼い双眸を見上げ、口の両端を持ち上げる。
「リーオ……俺の、太陽」
闇を抜けた先にはお前がいてくれる。お前がいる場所が日の当たる場所なんだと笑うと、リオンの顔に一瞬驚きの色が浮かぶが、愛するものからの称賛が嬉しく自慢に思っている事をはっきりと伝える笑みを浮かべてウーヴェの額に額を重ねる。
「オーヴェ、オーヴェ。これからも一緒にいよう」
「……うん」
「愛してる。誰よりも強くて優しい、俺の、俺だけのウーヴェ」
「……っ!」
鼻の頭がくっつきそうな距離での告白に互いの口から笑みがこぼれるが、色の違う双眸に互いの顔を大きく写す距離にまでリオンが離れたかと思うと、今まで見た事がない様な優しい笑みを浮かべてウーヴェを呼びその息を一瞬止めさせる。
「……俺も……」
愛している。
その言葉をリオンの口の中に直接告げるようにキスをするウーヴェにリオンが驚きながらも嬉しそうに目を細め、白い髪を囲うように両手をついてその言葉を受け止めた証に何度もキスをするのだった。
開けたままの窓から秋の夜風が流れ込み、熱を出したばかりの素肌を冷ますように通り抜けていく。
火照った身体を冷ますために肩で息をしていたウーヴェは、リオンがベッドを抜け出したことに気付いて気怠げに頭を持ち上げるが、窓が閉められてブラインドが下ろされる音が聞こえ、霞む目を瞬かせてみるが部屋の色はここ何日間も経験している灰一色だった。
濃淡は分かるがそれでも何かのっぺりとした世界で火照る身体と最奥のしびれるような感覚だけがやけにリアルで、腕を動かした拍子に横臥する胸元にサラリと金属が滑り落ちる音がし、シーツに鍵の先が触れる。
元々はリオンが暮らしていたアパートの鍵-ウーヴェは天国の鍵と呼んでいた-だが、今夜新たな役割を持たされたそれをぼんやりと見つめ、この鍵を使えば自由に過去への扉を開閉できると笑ったリオンの顔を思い出す。
辛い過去など封じたいに決まっているのに何故開け閉めできるようにするのか。
その疑問を解消したくて身体を跨いで壁とウーヴェの間に潜り込んでくるリオンを呼んで問いかけると、腰に腕が回されてうなじに口付けられる。
「リーオ」
「今まで封じてきたからあちこちにその歪みが出てきてたんじゃねぇの?」
問いに答えてくれと促すと思案気な声が自信なさそうに返され、それにウーヴェが軽く驚きを示す。
目を背け耳を塞いできた事象はウーヴェの五感から心の奥深くへと入り込み、今にも溢れ出しそうな感情の池に滴となって落ちていた。
それを辛うじて塞いでいたのが事件の切っ掛けを作った父と兄を憎んでいると思い込むことだとつい先日リオンによって見せつけられてしまい、心の堤防が決壊すると同時に涙腺も決壊してしまったのだ。
「辛い過去も自由に思い出せるようになれば、それは辛いだけのものじゃなくなる」
ただ目を背けたいだけのものから、そこから何かを学び取れるようになるかも知れないと、己の過去を振り返りながらの述懐に聞こえたウーヴェは、後ろに手を伸ばしてリオンの頭を抱き寄せると、肩に顎が載せられてぎゅっと抱きしめられる。
「だからお前にもさ、辛い過去を忘れたり封じたりするんじゃなくて、辛い事もあったけど、だからこそ今があるって思って欲しい」
「……」
リオンが己の思いを言葉として伝えることがあまり得意ではないことをウーヴェは熟知しているが、それでもこうして伝えてくれたことが嬉しかったのと、今までお前が人に伝えてきたことなのだから自分にも同じことを言ってやれとも言われて目を瞠る。
「仕事とはいえ患者に同じことを言えるんだ。だったら自分にも言ってやれよ」
お前の患者は沢山いるが一番身近であり最後の最後まで関わらなければならない患者はお前自身だとリオンがウーヴェを抱きしめながら囁くと、ウーヴェが遠い昔、医者を志したあの日の光景を思い出す。
自分と同じように苦しんでいる人がいれば何とかしたい、助けたいと思ったその日を思い出し、助けたいと思うと同時に助けて欲しいとも思っていたのではないかとの言葉が思い浮かんだ瞬間、胸元にぶら下がる鍵が一気に重みを増した気がしてしまう。
「俺はお前のように話を聞いてアドバイスをしたりなんてできねぇ。でも、こうして傍にいることで助けられるのなら……うれしい」
お前みたいに己の気持ちを言葉で表すことは苦手だし出来ないと自嘲気味に呟くリオンの髪をぎゅっと握りしめてしまい、痛いと小さく悲鳴を上げさせたあと、その手で鍵を握り中に閉じ込める。
「オーヴェ?」
腕の中のウーヴェの様子が変わったことにリオンが頭を擡げて顔を覗き込もうとするが、見るなと叫んだウーヴェが枕に顔を押しつける。
「見せろよ、オーヴェ」
「……嫌だ、見るな、バカリオン」
「あー、誰がバカなんだよっ」
オーヴェのくそったれ、トイフェル、悪魔とお決まりの罵詈雑言がリオンの口をついて出るが、それでもウーヴェが顔を隠すため、肩を掴んでぐいと身体を開かせる。
「――っ!!」
強制的に仰向けにされて驚きに目を瞠ったウーヴェの目尻、火照ったホクロを冷ますように涙が流れ、白っぽい髪に吸い込まれていく。
「見る……な……っ!」
顔を背けて見るなと叫ぶウーヴェをじっと見下ろしたリオンは、鍵を握りしめて拳になっている手をシーツにそっと縫い付けて額を重ねつつ名を呼ぶ。
「オーヴェ」
「……・なん、だ」
「うん。――全部、見せてくれてありがとうな」
「!!」
幼馴染みのベルトランですら知らなかった貌や子どもの頃を簡単に思い出させるもの、日頃のお前からは想像も付かない、本当に子どものように感情を素直にあらわにした貌、そして、今俺にだけ見せてくれているもの、それら総てを見せてくれてありがとうと有りっ丈の思いを感謝の言葉に込めたリオンにウーヴェが息を飲んできつく目を閉じる。
いい年をした大人が涙を見せることなど、リオンの思考の中ではあり得ないことだった。
それはおそらくウーヴェの中でも同様だろうが、その羞恥を感じながらもここ何日もの間素直な感情を見せてくれていることに感謝と持てるだけの愛をお前にとこめかみに伝う涙を舐めてホクロにキスをしたリオンが囁くと、ウーヴェが手首に力を込めたため、そっと力を抜くとリオンの首の後ろで交差する。
「お前、だから……」
こんな恥ずかしい顔を見せられるのも、決して目を逸らさないで受け止めてくれることを疑わせないお前だからだと口早に告げると、リオンが嬉しそうな声でうんと頷く。
「俺の……俺だけの、リーオ」
お前が俺を俺だけのと思う気持ち以上にお前は俺だけのものだと告げて抱きしめる腕に力を込めると同じだけの強さで抱き返され、首筋に顔を寄せられて自然と顎が上がる。
良いかの言葉に返事をせずに頷くだけだったが、リオンが顔を上げて見下ろす前で握りしめていた鍵を二人の間に掲げると、これがある限り大丈夫だと鍵とその向こうに見える蒼い双眸に語りかけ、神の前で交わす誓いのようにそっと鍵に口付ける。
「――もう、大丈夫、だ。お前が……奇跡のような、お前が……」
ここにいてくれる。それだけでもう大丈夫だと見下ろすリオンを呆然とさせるほどの笑みを浮かべたウーヴェは、奇跡は俺じゃねぇ、お前だと震える声で告げられて目を閉じる。
そうしてゆっくりと瞼を持ち上げた時、世界の中心にロイヤルブルーの双眸が笑みの色を浮かべて己を見つめていることに気付き、鍵を手にしたまま頬に手を宛がうと同じ笑みの形に目を細める。
「……ありがとう、リオン」
「オーヴェ?」
「……お前の、蒼い目を……また見られるようになった」
秋の夜は真夏に比べれば日が短くなり今はもう暗闇に包まれていて、ブラインド越しの薄明かりでしか見えないが、その暗い世界でもお前の目は蒼く煌めいていると笑った拍子に涙がこめかみへと流れていき、髪に吸い込まれる頃には何を言われたのかを理解したリオンが己の頬に宛がわれている手に手を重ねてきつくきつく目を閉じる。
「オーヴェ……っ!」
「今はまだ暗いけど……」
次に目を覚まして太陽を見上げる頃には世界は新しい顔を見せてくれるのだろうと笑い、何もかもお前のおかげだと笑ったウーヴェにリオンが一つ頷き、微かに震える唇をそっと重ねてくる。
静かにそれを受け止め、離れる唇を追いかけてキスをすると、リオンがウーヴェに体重を掛けるように覆い被さってくる。
その広い背中に腕を回し、先程己が付けた傷をなぞるように指を滑らせたウーヴェは、角度を変えて何度もされるキスを受けながらただただリオンへの感謝の思いと今まで以上に感じている情をどのように伝えようかと思案するのだった。
さっき抱き合ったのが本能からの声に従ったものだとすれば、今抱き合っているのは本能よりも情から来るものが多分に含まれているようで、暗闇の中にウーヴェが上げる悩ましげな吐息とそれに応えるようにリオンの動きに合わせて上がる音が室内に弾けては消えていく。
鍵を握りしめていた手は今はリオンの手をきつく握り、隠すように枕に押しつけていた顔はもう何も隠すことがないと教えるようにただリオンを見つめていて、その目に見つめられたリオンも自然と熱を上げてしまい、結果二人の間で快感が大きくなる。
もう一人にしないとの言葉は今まで何度となく交わされてきたものだが、ウーヴェの心の奥底まで曝け出された今、時が止まった暗い世界で一人膝を抱えていた幼いウーヴェにもしっかりと届いていて、己の中にある目には見えない時計から微かな秒針の音が聞こえてきた気がするほどだった。
それが嬉しくて、乖離していた心と身体、過去と現実がようやく今総て繋がったことに気付くと、今まで誰も出来なかったことをいとも容易く行ったリオンが本当に奇跡の存在に思えてくる。
「……リーオ……っ……ン!」
「ああ」
リオンを呼んで返事を貰い、蒼い目を見上げるだけで胸が苦しくなり、苦しい助けてくれといつかとは違って何の躊躇も恥じらいもなく思いをぶつけると、謝罪の言葉と一緒にキスをされ、きつく目を閉じてどちらも受け入れる。
「苦しいか?」
「……・ッ、ん……ちが……っ!」
今身体の最奥を埋める熱と質量、それが苦しいのではないと頭を一つ振って返したウーヴェにじゃあどこが苦しいと返したリオンは、胸が苦しいと途切れ途切れの声に返されて目を瞠り、先程鍵を掛けるフリをした見えない鍵穴がある胸を指さす。
「ここ?」
「……・っ、ん……」
苦しい何とかしてくれと泣き言を言うウーヴェがただ愛おしくて頬にキスをしたリオンは、鍵穴を覆うように掌を宛がって薄い胸を何度も撫でる。
「もう大丈夫だ、オーヴェ」
俺がいる、お前の傷は俺も手伝って塞いだからもう大丈夫だと囁き、しがみつくように背中に腕を回すウーヴェの頭を囲うように手をつくと、もう大丈夫と繰り返す。
「リーオ……っ!」
「ああ」
名を呼ばれて短く返しながら首筋にキスをしたリオンは、過去を思い出して苦しんでいる証だった赤黒い痣がどこにも浮かんでいないことに安堵し、大丈夫の一言が文字通りの意味を得たことにも気付くと、ウーヴェが苦痛を訴えていた胸に一つ口付ける。
「もう、大丈夫だな?」
「……・あ、あ……っ」
リオンの問いに今度はウーヴェが短く返し、己の気付きが間違いではない確証を得たリオンは、ウーヴェの両足を抱えるように手を回すと、ウーヴェの目尻から伝い落ちる涙を時々舐め、もう限界だと掠れた声を上げても離れる事が出来ず、ウーヴェが意識を失ってしまうまで抱き続けてしまうのだった。
いつもと同じようで決定的に何かが違う感覚を無意識に覚えたウーヴェは、眠い目を瞬かせながら周囲の様子を窺う。
霞む視界にまず見えたのは意外と長い睫と額に掛かるくすんだ金髪で、それがリオンのものだと瞬時に判断すると同時に脳味噌が覚醒する。
その感覚は、今まで世界を覆っていた靄が一気に晴れ渡った爽快感に似ていて、目を瞬かせても見えるのが、今や見慣れているくすんだ金髪であることに自然と吐息が零れ落ちる。
昨夜、もう本当に何も隠すものがないと気付いてリオンに総てを曝け出した後、見上げた双眸が灰色ではなく愛してやまないロイヤルブルーだったことを思い出し、リオンの顔から視線を外して部屋をぐるりと見回すと、いつかとは真逆の、色が溢れた世界がウーヴェの眼前に広がっていた。
それが嬉しくて、視線をもう一度穏やかな顔で眠る恋人に向けると、目を覚ましたリオンがじっと見つめてきていて、感じる羞恥を押し隠しておはようと笑みを浮かべる。
「おはよう、リーオ」
「……ゴット、オーヴェ」
まだ起きる時間には早いだろうと不満が口をつくが、小さく笑ったウーヴェがリオンを呼んで視線を重ねると、照れたような笑みに切り替える。
「リーオ。やっぱり……お前の目は蒼い方が良いな」
「……!そうだった……お前、目が……?」
「ああ。ちゃんと、見える」
ちゃんと見えるどころか、前に見ていた世界に比べれば明るい世界が広がっていると笑ったウーヴェにリオンが手を上げて髪を撫で付けてやると、その手首にそっと口付けられる。
「ダンケ、リーオ。俺を光のある世界に連れ戻してくれてありがとう」
昨日言ったが、お前となら光が満ちる世界に行けると笑ったウーヴェに無言で頷いたリオンは、ウーヴェの腰に腕を回して痩躯を己の身体に載せるように寝返りを打つ。
「良かったなぁ」
「うん……うん。ありがとう、リーオ」
世界の新しさ、美しさを思い出させてくれて教えてくれてありがとう。愛している。
リオンに覆い被さりながら何度も礼を言ったウーヴェは、子どものように何度も名前を繰り返すリオンにその度に笑いかけ、己の目が元通り色を取り戻したことを二人一緒になって喜び互いの背中を抱き合う。
一頻り笑い合って抱き合って満足した二人は、どちらからともなく身体を起こしてベッドに座ると、向かい合って互いの頬に手を宛がい、蒼と碧の双眸に浮かぶ互いの顔に同じ感情が浮かんでいることを読み取ると、吸い寄せられるように顔を寄せてそっと唇を重ねる。
「――愛してる、ウーヴェ」
「俺、も……誰よりも……お前を愛してる、リオン」
二人きりで交わすその誓いの言葉だったが、そう遠くない未来に友人達の前でも交わそうとひっそりと笑い合い、今はウーヴェの目が元に戻ったことが嬉しい、迎えた朝が今まで生きてきた中で最も明るい光に満ちていることも嬉しいと笑って互いの背中を抱くが、リオンがブライドを引き上げて窓を開けると、爽やかな秋の風が光とともに室内に流れ込んでくる。
ああ、世界は本当に光に満ちていてこんなにも色が溢れているんだなと、二十数年前の朝とは真逆の感想を抱いたウーヴェは、朝の光を背中に浴びながら手招きするリオンを直視できずに俯いてしまうが、そっと手を取られた後強い力で引き寄せられてしまい、お前がもたらしてくれた光は眩しくて直視できない、やはりお前は俺の太陽だと目を細めたウーヴェにリオンが望まれる笑顔で大きく頷く。
「新しい世界にようこそ、オーヴェ!」
これからこの世界で俺と、俺たちを愛してくれる人たちと一緒に泣いて笑って生きていこう。
リオンの告白に素直に頷いてその肩に顔を寄せると、そっと頭に手が載せられるが、このままだと風邪を引くことに気付いてどちらからともなく小さく吹き出すと、変わらないようで変わった世界でも働いてメシを食う日常が繰り返されることを思いだし、シャワーを浴びてその日常の一歩を踏み出そうと笑い合うのだった。