テラーノベル
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あの夜。
昔の自分が書いた一枚の紙を読んでから。
阿部は、少しずつ変わった。
本当に。
少しずつ。
翌朝。
目を覚ますと。
隣に目黒がいた。
いつもと同じ。
眠ったまま、阿部の腰へ腕を回している。
阿部はしばらくその顔を見ていた。
そして。
昨夜読んだ言葉を思い出す。
『朝起きた時、隣にめめがいる生活をする』
「……叶ってる」
小さく呟く。
目黒が少しだけ眉を動かした。
「ん……?」
「何でもない」
「おはよ」
目黒が目を開ける。
「あべちゃん、おはよう」
阿部は。
久しぶりに。
朝起きた瞬間から少し笑った。
その日は休みだった。
目黒と一緒に朝ご飯を食べる。
洗濯をする。
ソファでテレビを見る。
特別なことは何もない。
でも。
阿部は何度か。
昨日の紙を思い出していた。
『何も予定のない日に二人でだらだらする』
今。
している。
「……めめ」
「何?」
「今日、何もしなくていい?」
目黒が少し驚く。
最近の阿部は。
家にいても何かしていないと落ち着かなかった。
掃除。
片付け。
仕事の確認。
振付の動画を見る。
ずっと何かに追われるみたいに動いていた。
「いいよ」
目黒はすぐ答えた。
「何もしない日にしよ」
「うん」
阿部はソファへ身体を沈める。
しばらくして。
自分から目黒の肩へ頭を乗せた。
「重い?」
「全然」
「そっか」
そのまま。
昼近くまで動かなかった。
夜。
玄関の鍵を確認する。
一度。
閉まっている。
手を離す。
いつもなら。
数分後にまた見に来る。
でも。
今日は立ち止まった。
大丈夫。
閉めた。
自分で確認した。
隣には目黒もいる。
阿部は小さく息を吐いて、リビングへ戻った。
目黒は何も言わなかった。
ただ。
少しだけ嬉しそうに見えた。
数日後。
グループで仕事。
楽屋にはいつもの九人。
佐久間と康二が朝から騒いで。
渡辺が面倒そうに突っ込んで。
深澤が適当に話を広げて。
宮舘が笑っている。
岩本は台本を確認していて。
ラウールはその横から覗き込んでいた。
阿部はその光景を見ながら。
少しだけ肩の力を抜いた。
「あべちゃん」
佐久間が隣へ来る。
「今日顔色いいじゃん」
「そう?」
「うん」
「昨日ちゃんと寝た?」
阿部は一瞬考える。
「……寝た」
「何時間?」
「七時間くらい」
佐久間の目が大きくなる。
「すご!」
「そんな驚く?」
「最近三時間とかだったじゃん」
阿部が苦笑する。
「まあね」
少し離れたところで。
目黒がその会話を聞いていた。
何も言わない。
でも。
口元が少し緩んでいた。
次の振り入れ。
前回。
阿部が泣いた日から数日経っていた。
岩本は最初から何も言わなかった。
「阿部、今日はどうする?」
それだけ。
阿部は少し迷った。
怖い。
またできなかったら。
またみんなを止めたら。
そう思う。
でも。
紙の最後に自分で書いた言葉を思い出した。
『九人で、またちゃんと踊る』
阿部は小さく息を吸う。
「……最初からやりたい」
岩本が頷く。
「分かった」
目黒が横へ来る。
「無理しないでね」
「うん」
曲が流れる。
最初の八カウント。
次。
少し遅れる。
でも。
止まらない。
振りを一つ間違える。
「あ」
思わず声が出る。
以前なら。
そこで頭が真っ白になっていた。
でも今日は。
そのまま続けた。
最後まで。
曲が止まる。
阿部は息を切らしていた。
完璧じゃない。
全然。
それでも。
最後まで立っていた。
岩本が言う。
「今のいいじゃん」
「間違えたけど」
「間違えても最後まで行けたじゃん」
阿部は少しだけ目を見開く。
「あ……」
確かに。
前は。
一度間違えただけで全部崩れていた。
今日は。
戻れた。
佐久間が笑う。
「あべちゃん、戻ってきてるじゃん」
その言葉に。
阿部の胸が少し熱くなる。
次。
歌も入れる。
また怖くなる。
息が浅くなる。
目黒が隣で小さく言う。
「あべちゃん」
「何?」
「俺いるよ」
それだけ。
阿部は目黒を見る。
それから。
前を見る。
曲が始まる。
歌う。
踊る。
途中で一度。
声が震える。
でも。
止まらない。
最後まで。
歌った。
曲が終わる。
阿部は少しの間、動けなかった。
「……できた」
小さな声。
誰にも聞こえないと思った。
でも。
岩本が笑う。
「できたな」
阿部は顔を上げる。
みんなが見ている。
佐久間が拍手する。
康二も。
ラウールも。
深澤も。
宮舘も。
翔太は拍手しながら。
「一回できたくらいで泣くなよ」
と言う。
「泣いてないし」
阿部はそう返す。
でも。
目には少し涙が溜まっていた。
目黒が隣で笑う。
「泣いてる」
「めめは言わなくていい」
みんなが笑った。
阿部も。
今度はちゃんと笑った。
それから。
少しずつ。
できることが増えた。
一人で家にいる時間。
最初は一時間。
次は二時間。
目黒が仕事へ出る時。
「大丈夫?」
と聞く。
阿部は。
無理に「大丈夫」と言わなくなった。
「今日はちょっと不安」
そう言えるようになった。
すると目黒は。
「じゃあ昼に電話する」
と言う。
「うん」
それだけで。
少し安心できた。
ある日。
一人でスーパーへ行った。
ほんの十分。
家の近く。
何度も後ろを振り返った。
知らない人が近くにいるだけで心臓が速くなる。
それでも。
買いたかったものをカゴに入れる。
カキフライの材料。
目黒の好きなお菓子。
自分の好きな飲み物。
レジを済ませて。
家まで戻る。
玄関を閉める。
鍵をかける。
そこで。
大きく息を吐いた。
怖かった。
でも。
できた。
阿部はスマートフォンを取り出す。
目黒へ送る。
『一人でスーパー行けた』
すぐに返信。
『すごい』
『でも無理しないでね』
阿部は笑った。
『分かってる』
その夜。
目黒が帰宅する。
「あべちゃん」
「おかえり」
「スーパー行ったの?」
「行った」
「一人で?」
「うん」
目黒は嬉しそう。
でも。
すぐに聞いた。
「怖くなかった?」
阿部は少し考える。
「怖かったよ」
目黒の表情が少し心配そうになる。
阿部は続ける。
「でも、帰ってこれた」
その言葉に。
目黒がゆっくり笑った。
「うん」
「帰ってこれたね」
阿部も笑う。
以前の自分なら。
怖かったことを失敗だと思っていた。
怖がること。
泣くこと。
踊れないこと。
眠れないこと。
全部。
できなくなった証拠だと思っていた。
でも。
少し違った。
怖くてもできたことがある。
泣いても次の日が来る。
踊れない日があっても、また踊れる日が来る。
眠れない夜があっても、眠れる夜が戻ってくる。
一回できなかったからって。
全部できなくなるわけじゃない。
ある夜。
阿部はまた。
本棚からあの紙を取り出した。
ベッドの上。
目黒の隣。
二人で見る。
「また見てるの?」
「うん」
阿部は一つずつ指でなぞる。
旅行。
スーパー。
一緒に暮らす。
料理。
写真。
結婚。
年を取る。
ずっと一緒にいる。
そして。
最後。
最近書き足した二つ。
『めめと一緒に、また笑って仕事をする』
『九人で、またちゃんと踊る』
阿部はそこを見て。
少し笑った。
「これ」
「うん」
「一個叶ったかも」
目黒が紙を見る。
「どっち?」
「両方」
「今日笑ってたもんね」
「うん」
「踊れてたし」
「完璧じゃないけどね」
「完璧じゃなくていいよ」
阿部が目黒を見る。
「そうだね」
以前なら。
そう言われても。
納得できなかったかもしれない。
でも。
今は少し分かる。
阿部はペンを取る。
目黒が見る。
「また書くの?」
「うん」
紙の一番下。
新しい一行。
ゆっくり書く。
『怖くても、やりたいことを諦めない』
目黒がその文字を読む。
何も言わない。
阿部はもう一つ。
書き足した。
『一人で頑張りすぎない』
目黒が少し笑う。
「それ大事」
「めめに言われたくない」
「なんで?」
「めめも頑張りすぎるから」
「じゃあ二人で?」
阿部は頷いた。
「二人で」
昔の自分が書いた一枚の紙。
ただ。
目黒とやりたいことを書いただけ。
それなのに。
阿部には。
その一枚が。
自分がどれだけたくさんのものを手に入れてきたのか。
思い出させてくれた。
怖いことばかりじゃなかった。
失ったものばかりでもなかった。
むしろ。
あの頃の自分が願っていたものは。
今。
すぐそばにたくさんある。
数週間後。
新曲のリハーサル。
九人が鏡の前に並ぶ。
曲が流れる。
阿部は踊る。
歌う。
途中。
目黒と目が合う。
目黒が少し笑う。
阿部も。
笑った。
その瞬間。
あの紙の言葉が頭に浮かぶ。
『めめと一緒に、また笑って仕事をする』
叶った。
そう思った。
曲が終わる。
阿部は息を切らしながら。
鏡に映る自分を見る。
まだ。
前と全く同じではない。
怖くなる日もある。
夜。
鍵を二回確認することもある。
目黒がいないと不安になる日もある。
突然。
事件を思い出すこともある。
それでも。
阿部はもう。
それを。
「戻れていない」とは思わなかった。
「あべちゃん」
目黒が隣へ来る。
「何?」
「今日楽しそうだった」
阿部は少しだけ考える。
それから笑った。
「楽しかった」
「ほんと?」
「うん」
目黒も笑う。
阿部はその顔を見ながら。
胸の奥で。
静かに思った。
自分を取り戻すって。
昔と全く同じになることじゃない。
怖かった自分も。
泣いた自分も。
できなかった自分も。
全部連れて。
また笑えるようになることなのかもしれない。
その日の夜。
阿部は紙を本棚へ戻した。
もう。
隠すためではなく。
大切に残しておくために。
昔の自分が残した願い。
そして。
今の自分が書き足した願い。
これから先。
また何か叶ったら。
そのたびに。
新しい言葉を増やせばいい。
ベッドへ戻る。
目黒が腕を広げる。
阿部は何も言わず、その中へ入った。
「おやすみ、あべちゃん」
「おやすみ」
少しして。
阿部が小さく言う。
「めめ」
「何?」
「俺、もう大丈夫って言わないことにする」
目黒が少し驚く。
「どういう意味?」
阿部は笑う。
「大丈夫な日は、大丈夫って言う」
「怖い日は、怖いって言う」
「しんどい日は、しんどいって言う」
「それで」
目黒の服を少し掴む。
「一緒にいてほしい日は、ちゃんと言う」
目黒の腕が。
優しく阿部を抱きしめた。
「うん」
阿部は目を閉じる。
その夜。
眠りに落ちるまで。
玄関の鍵を確認しに行くことはなかった。
昔の自分が書いた一枚の紙は。
阿部に。
元の自分へ戻る道ではなく。
これからの自分で歩いていく道を。
そっと教えてくれていた。
みら

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コメント
1件
第9話、めっちゃ良かった……。 阿部ちゃんが少しずつ変わっていく様子が丁寧に描かれていて、じんわり来たわ。 特に、一人でスーパー行けた報告とか、「大丈夫って言わないことにする」って決めたところが刺さった。無理に強がらなくていいんだって、めめがいるから言えるようになったんだなって思うと胸が熱くなった。 紙に新しく書き足した『怖くても諦めない』『一人で頑張りすぎない』、その二行が今の2人をちゃんと表してるのも好き。完璧じゃなくてもいいって、そう思える日が来るんだなあ。続きも気になる!