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夕暮れの商店街。
6人は連れ立って、たこ焼きを片手に笑い合いながら歩いていた。
みことも久々に松葉杖を手放し、少しぎこちないながらも楽しそうに歩いていた。
「ねぇ、みこちゃん、あの服似合いそう~♡あとで見に行こ!」
「……え、でも俺、あんまり派手なの似合わないと思う」
「似合う似合う~絶対かわいいから!」
「はは、ありがとう……」
すちがその様子を優しい目で見守っていた。
その平和な空気を、突然の“声”が切り裂く。
「……みこと、じゃないか」
ぴたりと、空気が止まった。
みことの動きが一瞬で止まり、全身がこわばった。
声の主を確認したその瞬間、表情がすっと消える。
感情が抜け落ちた、あの“喧嘩のとき”と同じ顔。
正面に立っていたのは、黒いスーツを着た40代の男。
彼の顔に浮かぶのは、妙に気持ちの悪い笑み。
「久しぶりだねぇ、元気そうでよかった……」
みことは微動だにせず、視線だけが揺れていた。
その目の奥にあったのは、明確な“怯え”。
すちが即座にみことの前に立つ。
「誰ですか。近づかないでください」
「ん?君は……友達か。いやー、悪い悪い、ただの親戚さ。ね、みこと?」
「……っ」
みことは答えなかった。呼吸すら浅く、言葉も出せないようだった。
「……帰ってください」
すちの声は、今まで聞いたことがないほど低かった。
「みことが怯えてる。もう、関わらないでください」
「……へぇ、睨むんだ。ずいぶん仲間思いの子が出来たんだねぇ、みこと」
叔父が一歩踏み出そうとした瞬間——
バンッ!!
いるまが壁を殴った。
「今すぐ消えろ。次会ったら、殺すからな」
らんも、睨みながら無言で携帯を取り出し、「警察に通報」とだけ告げた。
その空気に圧されて、男は渋々その場を離れていく。
みことの肩が小刻みに震えていた。
なのに表情は何も変わらない。
すちは黙ってその手をとり、そっと抱きしめる。
「大丈夫だよ、俺がいる。今は怖くていい。震えていい。……ひとりにしないから」
みことの目から、ぽつりと涙がこぼれた。
「なんで……泣いてるのか、わかんない……」
「いいよ。わかんなくて、泣いていい時だって、あるんだから」
窓の外は、少し雨が降っていた。
しとしとと、穏やかな音が部屋に広がっている。
6人は、すちの部屋に集まっていた。
丸いテーブルを囲んで、それぞれのカップに温かい紅茶が注がれている。
わいわいと騒いでいた空気が、次第に静まっていったのは、みことがぽつりと口を開いたときだった。
「……俺、ちょっとだけ、話したいことがある」
みんなの視線が自然とみことに集まる。
いつもはほんわかとした笑顔の彼が、今はぼーっとした顔をしていた。
「さっき……会った人。あの人、俺の叔父なんだ」
空気が凍るように静まる。
みことは、俯いたまま言葉をつむぐ。
「小さい頃から、何度も家に来てて……家族も信頼してた人だった。親は海外出張してるからあの人に、よく預けられてた。
でも、俺が小学生の頃から、触られたり、変なこと言われたりしてた。…抵抗したら、怒鳴られたり手出されたりで……。自分の姿を見るのが嫌で…鏡が見れなくなった…。……親には、言えなかった。怖くて。信じてもらえなかったらって思ったら、言えなかった…」
誰も、何も言えなかった。
ただ、その声に耳を傾けていた。
「中学に入って、心が限界で……ある日、校舎裏で絡まれたときに、俺、自分でも驚くくらい……暴れた。相手が動かなくなるまで殴ってた。止まらなかった」
声は震えていた。でも、言葉は途切れなかった。
「そのあと“怖い”って言われて、避けられて。……それが当然だと思った。俺が変なんだって思った。誰かに甘えたり、頼ったりしちゃいけないって、ずっと思ってた」
しん、とした空間。
みことが、静かに顔を上げる。
「でも、みんなと出会って……俺、ちょっとずつ、楽しくて、嬉しくて。……でもその分、こわかった。もしこの気持ちに甘えたら、また全部壊れそうで。だから、なるべく踏み込まれないように、距離をとってた。……ごめん」
その瞬間、こさめが目に涙を溜めて飛びついた。
「バカじゃん! なんで謝るの!?
俺たち、そんなの聞いてもみことのこと嫌いになんかならないし、むしろもっと好きになったよ!」
「……なんで……」
みことの瞳が揺らぐ。
次にひまなつが寄り添うように背中を撫でる。
「……逃げなかっただけ、すげぇと思う。俺なら絶対無理。……ほんと、すごいよ、みこと」
「……なっちゃん…」
いるまは、黙ってそっとみことの頭をくしゃっと撫でた。
ぶっきらぼうで、でも優しいその手に、みことは一瞬、目を細めた。
らんは口を開かなかった。けれど、その手はずっと握られていた。力強く、温かく。
そして、すちは、隣でずっと座っていた。
話を聞くあいだ、何も遮らず、何も言わずに、ただ寄り添っていた。
みことが落ち着いたあと、すちがふわりと笑った。
「……話してくれてありがとう。俺、ずっと……みことのこと、もっと知りたいって思ってたから。話すの 怖かったと思う。でも、勇気出してくれて、すごく嬉しいよ」
「……すち」
「もう、無理して笑わなくていいよ。みことは、みことのままでいい。……守るよ。これからもずっと」
みことの目が、もう一度滲んだ。
4人が帰って、すちの部屋には再び静寂が戻った。
夜の雨音がまだかすかに続いていて、カップの紅茶はぬるくなっていた。
「……みこと、大丈夫?」
すちが静かに問いかけると、みことはソファの隅で小さく頷いた。
けれどその肩は、かすかに震えていた。
「……俺さ、今日みたいな話、ずっと誰にもできなかった。誰にも知られたくなかった。……でも……」
ぼそぼそと、みことは呟く。
「話して……楽になったはずなのに、なんか……胸の中が、ぐちゃぐちゃで……苦しくて、どうしていいかわかんない」
ポタッ、ポタッと。
涙が、ぼたぼたと膝に落ちた。
「なんで泣いてるのかも、わかんないんだ……嬉しいのか、怖いのか、悲しいのか、安心してるのか……全部ごちゃまぜで……自分の気持ちが、わからない……」
声が震えていた。
みことは顔を伏せたまま、両手で髪をぐしゃぐしゃと掻きむしるようにして――そのまますちの胸に、すがりついた。
「すち……」
「……うん、ここにいるよ」
すちは何も言わず、ぎゅっとみことを抱きしめた。
背中をゆっくりと撫でながら、耳元でささやく。
「わからなくていいよ。今はそれで、いいんだよ。
みことがどんなにぐちゃぐちゃでも、俺はちゃんと見てる。そばにいるから」
みことの涙が、すちの服を濡らしていく。
それでもすちは、少しも動じなかった。
まるで、嵐の中で灯りをともすように、ただ静かに、そこにいた。
「……俺、誰かのこと信じてもいいのかな……」
「いいよ。……できれば、俺からであってほしい」
「……俺……壊れるかもしれないよ?」
「壊れていいよ。俺が全部、受け止める。でも、壊れないように俺が止めるよ」
そう言ったすちの手は、優しいけど、強かった。
どこにも逃げ道がないような、でも逃げる必要のない、そんな温もりがあった。
みことの涙は、まだ止まらなかった。
でも、それはただ苦しいだけの涙じゃなかった。
安心して泣ける場所――
それが、すちの胸の中だった。
この夜を境に、みことの中で何かが確かに変わり始めた。
自分の感情が「わからない」ことを、「だめなこと」ではなく「始まり」として受け止められるようになった。
そしてその隣には、いつも静かに寄り添う、すちがいた。
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