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🍵👑🌸推し@転生者
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なぎ
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「ぐすっ、、」
何度も鼻を啜りながら、ゆっくりと顔を上げた
「?どこここ…」
見覚えのない景色が広がっていた
知らない建物、知らない道、見たことのない店。周囲を見回してみても、どこをどう歩いてきたのか、さっぱり分からない。
……俺、どこにいるんだ?
そもそも、どっちから来たんだっけ。
いるまの家から俺の家までは、少し距離がある。来るときだって電車に乗って、降りて、また乗り換えて…それを二回ほど繰り返したくらいだった。
そんな場所から、泣きながら走ってきたのだ。
道なんて、覚えているはずもない。
周囲はだんだん暗くなってきていて、空の色も夕方から夜へと変わり始めていた
行き交う人たちはそれぞれの目的地へ向かって歩いているのに、俺だけがどこへ行けばいいのか分からず、立ち尽くしている。
(どうしよう…)
スマホは持っている。
いるまに連絡すれば、もしかしたら迎えに来てくれるかもしれない
でも
(さっき、 あんなにひどいことを言って、勝手に逃げ出して…それなのに、今さら助けてほしいだなんて、都合がよすぎるだろッ)
「っ、…」
ぎゅっとスマホを握りしめた。
画面をつける気にもなれなくて、俺は俯いた。
ほんと、何やってんだろ?
自分のことなのに、自分でもどうしたらいいのか分からない
そんなふうに途方に暮れていたときだった
「あれ、暇ちゃん?」
「……!」
聞き覚えのある声がした。
しかも、つい最近呼ばれるようになったばかりの、俺の愛称。 反射的に顔を上げて、声のしたほうを振り返る
「すち…!」
そこにいたのは、黒いマスクをつけたすちだった。 目元しか見えていないけれど、間違えるはずがない。少し独特な雰囲気と、こちらを見つけてぱちりと瞬いた目。ついこの間まで一緒にいたからこそ、すぐに分かった。
そして、その隣にはもうひとり
黒いマスクにサングラス、さらに帽子まで深く被っている人物がいた。
…いや、分かるけど。
芸能人や、ライブで顔を出している歌い手、Vライバーたちが人目を避けるときによくしている格好だ。顔を隠す気満々のその姿には、見覚えがありすぎた。
「……と、みこと?」
「やっほなっちゃん、どしたん?
ここら辺来るなんて珍しい」
みことは帽子のつばを少し持ち上げながら、気さくに声をかけてきた。
いつもと変わらない調子だった。
俺を見つけたことに驚いてはいるみたいだけれど、特に深く考えている様子もない。まるで、街中で偶然友達に会っただけみたいに。
…なんで、こんなところにいるんだろ
いや、そんなことより
今の俺、絶対に変な顔をしている。
泣いたせいで目元は赤いし、きっと髪だって乱れている。俳優として人に見られることには慣れているはずなのに、今は誰にも顔を見られたくなかった。
「ぁ、えと…」
何か答えなきゃ… そう思うのに、言葉が出てこない。 いるまの家から逃げてきたなんて、言えるわけがなかった
喧嘩したなんて。
自分からひどいことを言って、何もかも嫌になって逃げ出したなんて 言いたくなかった。
二人は俺の返事を急かさなかった。
ただ、すちがじっと俺の顔を見ている。
マスクで口元は隠れているのに、なんとなく心配されているのが分かった。
「……」
やめてよ… そんなふうに見ないで
優しくされたら、また泣きそうになるだろ。
俺は慌てて目元を擦った。
「…ごめん、ちょっと…」
結局、何も説明できなかった。
すると、すちは少しだけ首を傾げたあと、隣のみことをちらりと見た。それから、もう一度俺に視線を戻す。
「……うちくる?」
「えっ、、」
思いがけない言葉に、俺は顔を上げた。
「いや、でも……」
「いいよ、別に。暇ちゃん、なんか困ってるっぽいし」
「せやな。こんなとこでひとりで何してんのかも気になるし。話したくないなら、無理に聞かんから」
……話したくないなら、無理に聞かない
その言葉が、妙に胸に沁みた。
いるまの前では、言葉をぶつけてしまった
自分でも整理できていない気持ちを、全部あいつのせいみたいにしてしまった。
でも、この二人は違う
理由を聞き出そうともしないし、俺が何をしたのか、何があったのか、勝手に決めつけようともしない。 ただ、困っている俺を見て、家に来るかと尋ねてくれた
それだけだった
「……いいの?」
思わず、そんな言葉が口から出てしまった。そんな俺に、 すちは少しだけ目を細めた。
「もちろん…暇ちゃんが嫌じゃなければ」
みことも、ひらひらと手を振る。
「ほら、行こ。もう暗くなるし」
二人の声は、どこまでもいつもどおりだった。
俺は俯いて、唇をぎゅっと結んだ。
本当は、誰かに頼りたかったのかもしれない。
ひとりでいたくなかったのかもしれない。
でも、誰かに助けを求めることが、どうしても苦手だった。
迷惑をかけたくない、 面倒なやつだと思われたくない、 嫌われたくない
そんなことばかり考えてしまう… それでも、今は
「…… じゃあ、お邪魔してもいい?」
小さな声で尋ねると、すちはすぐに頷いた。
「うん、おいで」
みことも「決まりやな」と笑って、歩き出した。 俺は二人の後ろをついていく。 知らない街の、知らない道。 さっきまで、どこへ行けばいいのかさえ分からなかったのに 今は少しだけ、足を前に進められる気がした。
……いるま
頭の片隅に、あいつの顔が浮かぶ。 さっきの言葉を、今さら取り消すことはできない。 傷つけたことだって、なかったことにはできない。 それでも いつか、ちゃんと話せるだろうか。 自分の気持ちを、逃げずに伝えられるだろうか。
今は、まだ分からない。
俺は小さく息を吐いて、二人の背中を追いかけた
ガチャ
「ごめんね、少し散らかってて…」
すちがそう言いながらドアを開けてくれた。
「……!」
玄関をくぐった瞬間、俺は思わず目を輝かせた。 漫画家の家だ。
当たり前といえば当たり前なのかもしれないけれど、部屋のあちこちに漫画のグッズや資料らしきものが置かれている。棚には単行本がぎっしり並んでいて、壁際にはフィギュアやアクリルスタンドまで飾られていた。
この前は事務所にお邪魔して、すちが作業しているところを見せてもらったけれど、家となるとまた違う。
仕事場として整えられた事務所とは違って、ここにはすちの好きなものや、普段の生活がそのまま詰まっているような気がした。
思わず、きょろきょろと室内を見回してしまう。 あまりじろじろ見るのも失礼かな、と思いつつ、どうしても気になってしまった。漫画家の自宅なんて、そうそう見られるものじゃない。
「そんな珍しい?」
「ご、ごめん、すごいなって思って…
人の家キョロキョロ見るとか無礼だよな…」
「いいよいいよ、好きに見てて」
すちは楽しそうに笑うと、俺をリビングへ案内してくれた
「みこちゃん、棚からアレ出してくれない?いつもお客さんに渡してるやつ」
「うん」
隣を歩いていたみことは、ごく自然に返事をした。 そして、帽子とマスク、サングラスを外すと、迷うことなくキッチンへ向かっていく。まるで自分の家に帰ってきたかのような手際のよさだった。 みことは棚を開けて、中から何かを取り出した。
「これすっごい美味しいんよ、なっちゃん絶対気にいると思うよ」
そう言って差し出されたのは、紅茶だった。
「……あ、ありがとう」
受け取りながら、俺は二人の様子を交互に見た。 すちはソファの近くでテーブルを片付けているし、みことは紅茶を出すために慣れた手つきで準備を進めている。 どこに何があるのか、いちいち聞かなくても分かっているらしい。
それに、さっきの会話。
「アレ出して」で通じる関係って、なかなかすごくないか?
俺だったら、いるまに同じことを言われても、何を出せばいいのか分からないと思う。
「………」
今いるまがいなくても、いるまのことを考えちゃう…本当に好きなんだ、俺
そこまで考えて、胸の奥が少しだけ痛んだ
(…今は、いるまのことを考えるのはやめよう。 せっかく二人が招いてくれたんだから…)
そう思って気持ちを切り替えようとした、そのとき。
「2人って、同棲してんの?」
自分でもびっくりするくらい、自然に口から出ていた。
「うぇ!?!?⸝⸝⸝⸝⸝⸝」
みことが、ものすごい勢いで振り返った。 その顔は、みるみるうちに真っ赤になっていく。
「ちょ、なっちゃん!?⸝⸝な、なに言うてんの!?⸝⸝」
「えっ、違うの?」
「違うに決まっとるやろ!?!?⸝⸝」
「え、でも…」
俺は首を傾げた
だって、本当にそう思ったんだもん。
二人とも、相手が何を考えているのか分かっているみたいだったし、家の中での動きも自然だった。みことが棚を開けるのも、すちが何の説明もなく頼むのも、あまりにも慣れている。
「動きがスムーズっていうか…慣れてるって言うか、、会話もまるで熟年夫婦みたいで」
「じゅ、熟年夫婦… ⸝⸝」
みことが口元を押さえた。 耳まで赤い。
「…?」
すると、すちが堪えきれないように笑い始めた。
「あっはは、そんなんじゃないよ。ただ、よくみこちゃんが家にくるから」
「…そうなんだ」
みことは真っ赤な顔のまま、手元の紅茶をテーブルに置いた。
その様子がなんだかおかしくて、俺は久しぶりに、ほんの少しだけ笑った。
「ふはっ、、⸝⸝」
「!、、やったねすちくん!⸝⸝」
「うん、そうだね ⸝⸝」
「?」
「で、…話してくれないかな?」
すちは、俺の顔をまっすぐに見つめながら、静かにそう尋ねた。
さっきまでの柔らかな笑みは消えていて、その表情は真剣そのものだった。隣に座っていたみことも、すちの言葉を聞くと、どこか心配そうに俺へ視線を向ける。いつもの明るい雰囲気から一転して、きりっとした顔つきになった。
「……今日、いるまの家に行ったんだ」
少し迷ったあと、俺はぽつりと口を開いた。
「いるまちゃんの家…… もしかして、いるまちゃんとひまちゃん、喧嘩したの?」
「えっ、、そうなの?」
すちの言葉に、みことが不安そうに俺の顔を覗き込んだ。
ふたりとも、俺たちがそんなことになるなんて思っていなかったのだろう。驚きと心配が入り混じった表情を向けられて、胸の奥がじくりと痛んだ。
「喧嘩っていうか…俺が一方的に……」
さっきの自分の言葉が頭の中で蘇ってくる
あんなに大きな声を出して、いるまを責めて
最後には、泣いているところまで見せてしまった… ほんと、何やってんだろうな、俺
「俺、いるまの家で…」
俯いたまま、少しずつ言葉を紡ぐ。
今日、いるまの家に行ったこと。玄関に飾られていた、俺のサイン入りチェキを見つけたこと。部屋いっぱいに並んでいたグッズを見て、あいつが本当に俺のファンなんだと実感したこと。 それから、ふたりでソファに座って話したこと。
いるまが、俺に忘れてほしいと言ったこと。
自分が俺に恋をしていたことも、好きだと告白したことも。次の撮影で百点を取れなかったら、全部なかったことにしてほしい、と。
そこまで話すと、喉の奥が詰まった。
それでも、俺は最後まで話した。
どうして、あんなに腹が立ったのか。どうして、いるまの言葉があんなにも悲しかったのか。 自分でも上手く説明できない気持ちを、途切れ途切れになりながら、ふたりに伝えた。
「…俺、いるまに……俺が断る前提で話されたのが、嫌だったんだと思う」
口に出してみると、改めて自分の気持ちが形になった気がした。
「いるまが百点取れなかったら、忘れてほしいって…そんなの、俺がいるまのことを好きにならないって、最初から決められてるみたいで……」
好き。 その言葉を自分の口から出した瞬間、頬が熱くなった。 でも、今さら恥ずかしがっている場合じゃない。
「…俺、忘れたくないんだよ。いるまが俺のこと好きだって言ってくれたことも、俺のために頑張ってくれてることも…なのに、いるまは全部忘れようとしてて…」
ぎゅっと、膝の上で手を握る。
「俺のこと、ちゃんと見てほしかったッ、みんなが好きな暇南月じゃなくて、今の俺を…」
最後のほうは、ほとんど声にならなかった。 話し終えた俺の隣で、みことが小さく息を呑む。
すちはすぐには何も言わなかった。ただ、俺の言葉をひとつひとつ受け止めるように、静かにこちらを見つめていた。
部屋の中には、湯呑みを置く小さな音と、時計の針が進む音だけが響いていた。
「……そっか」
やがて、すちがゆっくりと口を開いた。
「ひまちゃん、怖かったんだね」
「……っ」
思いがけない言葉に、顔を上げる。
怒ったことを責められると思っていた。いるまがかわいそうだと言われるかもしれないとも思っていた。
けれど、すちは俺を責めなかった。
「また、好きだって言ってくれた人に、いなくなられるんじゃないかって。自分が相手の理想と違ったら、今度こそ見捨てられるんじゃないかって…そう思ったんじゃない?」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。 …なんで、 なんで、そんなに簡単にわかるんだよ
「っ、俺……」
否定したかった。そんなつもりじゃなかったって、強がりたかった。 でも、何も言えなかった。
すちは、俺の目を見たまま、優しく続けた。
「ひまちゃんが怒った理由、少しわかった気がする。でもね、いるまちゃんも…きっと、怖かったんじゃないかな」
「……いるまが?」
思わず聞き返す。
「うん。大好きなひまちゃんに、これ以上困ってほしくなかったのかもしれない。自分の気持ちが負担になるくらいなら、なかったことにしたほうがいいって…そう考えちゃったのかも」
「……」
「もちろん、本当のところはいるまちゃんに聞かないとわからないけどね」
すちはそう付け足して、困ったように微笑んだ。
「でも、ひまちゃん。いるまちゃんが忘れてほしいって言ったからって、本当に忘れなきゃいけないわけじゃないよ」
その言葉に、俺はゆっくりと目を伏せた。
……忘れなくていい。 そう言ってもらえただけで、胸の奥に張りついたものが、ほんの少しだけ緩んだ気がした。
「…なっちゃん」
みことの声に、俺はゆっくりと顔を上げた。 みことは、いつものように明るく笑っているわけでも、無理に励まそうとしているわけでもなかった。ただ、真剣な眼差しで俺を見つめていた。
「なっちゃんは、いるまくんと…どうなりたいん?」
「っ、…俺、は……」
どうなりたいのか。
そんなの、本当はずっと前からわかっていた。
あいつに、今の俺を見てほしい。
昔の俺でも、みんなが憧れる暇南月でもなくて、今ここにいる俺を。
そして、そんな俺を好きだと言ってほしい。
俺が誰かの期待に応えられなくても、失敗しても、格好悪いところを見せてしまっても。それでも、隣にいてくれるような。
俺自身が、あいつの「好き」を怖がらずに受け止められる。そんな関係になりたい。
本当は、ずっと。
「いるまと…恋人に、なりたぃ’’…っ!」
言葉にした瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。
ぽろぽろと、頬を伝って涙が落ちていく。
あぁ、情けない。
こんなことですぐ泣いちゃうなんて。さっきだって、いるまの前であんなに泣いたばかりなのに。
止めようと思えば思うほど、涙は次々と溢れてきた。
「っ、ぅ’’っ、う’’ぇぇっ、、ぅ’’ぁ、、」ポロポロ
慌てて顔を伏せる。こんな顔、ふたりに見られたくない。 けれど、みことは何も言わず、そっと俺の背中に手を添えてくれた。
「…そっか」
その声は、とても優しかった。
「…ありがとう、話してくれて」
みことは俺の背中をゆっくりと撫でながら、少しだけ笑った。
「なら…ちゃんと伝えてあげて? いるまくんが100点取れなくても、何度も好きって言ってほしいって!」
その言葉に、俺は目を見開いた。
「っ、ぅ、うんっ…!」
しゃくり上げながら、何度も頷く。 俺は、いるまに忘れてほしいわけじゃない。 あいつが俺を好きだと言ってくれたことも、俺のために一生懸命になってくれたことも。全部、なかったことになんてしたくない。
100点を取れたら恋人になる。
そんな約束をしたのは俺たちだけど、本当は点数なんか関係なく、あいつの気持ちをちゃんと受け止めたかった。 怖かったんだ… 好きだと言われるのが。 その言葉を信じて、もしまた裏切られたらと思うと、どうしても怖くて。
だけど、それ以上に
いるまに、好きだと言ってほしかった。
何度でも。何度だって。
「…俺、いるまに…ちゃんと、言う……」
涙で濡れた頬を拭いながら、俺は小さく呟いた。
「…今度は、逃げないで…ちゃんと、話す…」
口にした約束は、まだ少し震えていた。 それでも、さっきまでの俺とは違う気がした。 すちが静かに頷き、みことは「うん」と優しく返してくれる。 ふたりの前で泣いて、弱いところを見せて。それでも、嫌な顔ひとつせずに話を聞いてもらえた。
こういうのも、悪くないのかもしれない。
誰かに本当の気持ちを知られたからって、すぐに見捨てられるわけじゃないんだ。 そう思えたことが、今の俺には何よりも嬉しかった。
いるま視点
「……」
なつが出ていったあとの部屋は、ひどく静かだった。 さっきまで隣にいたはずなのに。つい数分前まで、同じソファに座って、同じ空気を吸って、俺の淹れたジュースを飲んでいたはずなのに。
今はもう、どこにもいない。
俺は、なつが座っていた場所をじっと見つめたまま、動けずにいた。
『暇南月じゃなくて…お前の好きな俳優とか、昔の俺とか、そういうのじゃなくてっ、今の、俺を見てよ…』
「……っ」
何度も、何度も、あの声が頭の中で繰り返される。 今のなつを見ていたつもりだった。 ずっと、あいつ自身を見ていた。そう思っていたんだ。 昔の作品を何度も見返したのは、今のなつをもっと知りたかったから。出演作を全部追いかけてきたのも、なつがどんな役を演じて、どんな表情を見せてくれるのか、知りたかったから。 画面の向こうにいた子役の暇南月だけじゃない。
今、目の前で演技をしているなつも。少し意地悪で、妥協を許さなくて、時々とんでもなく素直じゃなくなるなつも。俺は全部、好きだと思っていた。
だけど
「……」
本当に、そうだったんだろうか。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
視界の端には、部屋に飾られたグッズが並んでいる。棚の上に置いた写真集。大切に保管していたチェキ。何度も見返した雑誌の切り抜き。
そのどれもが、俺の大好きな暇南月だった。
十歳の夏、 姉に無理やりドラマを見せられた、あの日。 最初は、ただの暇つぶしだった。興味なんてなかったし、早く終わらないかなとさえ思っていた。 なのに、画面の中に現れたひとりの子役に、俺は目を奪われた。 幼い顔に浮かんだ、今にも壊れてしまいそうな表情。台詞を口にする声。ほんの一瞬の目の動き。
そのすべてが、あまりにも鮮烈で、 気づけば俺は、その子のことばかり考えるようになっていた。
暇南月
俺の憧れで、 俺の初恋。
「……あれ」
俺が好きだったのは、本当に…暇南月だったのか?
「っ、…?」
自分で考えたことなのに、その問いが胸の奥に引っかかった。 だって、俺は知っている。
なつが子役として活躍していた頃のことも。突然、表舞台から姿を消したことも。復帰してから、周囲の人間が手のひらを返したように彼を歓迎したことも。
なつがどれだけ演技に真剣なのかも、誰よりも芝居に厳しいのかも。
そして、俺の前では時々、どうしようもなく不器用になることも
知っている、つもりだった。
だけど、それは全部、俺が知りたいと思って集めてきた情報だった。 作品を見て、雑誌を読んで、インタビューを追いかけて。 その中にいる暇南月を、俺はずっと見つめてきた。
じゃあ、カメラの回っていないところでは?
誰にも見られていないとき、なつは何を考えているんだろう。
どんなことで傷ついて、どんな言葉に安心して、どんなときに笑うんだろう。
誰にも期待されていないとき、あいつは何をしたいんだろう。
俺は、それをどれだけ知っている?
「……っ」
答えが、出なかった。
なつが可愛いと思った。 綺麗だと思った。
演技をしている姿に惹かれたし、真剣な眼差しも、少し尖った言葉も、俺に向けられる不機嫌そうな顔だって、たまらなく好きだった。
でも、それは。
それら全部をひっくるめて、俺はなつ自身を好きだと言えるんだろうか。
それとも、俺の中にある『暇南月』という理想に、目の前のなつを当てはめていただけなんだろうか。
「……違う」
思わず呟いた。
違う。そんなつもりじゃなかった。
俺は、なつ自身が好きなんだ。
そう言い切りたいのに、さっきのなつの泣き顔が浮かんで、言葉が喉の奥に詰まった。
『そんなに俺が100点つける未来が見えない?俺の事そんなやつだと思ってんのッ!?』
あんなに悲しそうな顔をさせた。 あんなに必死に、自分の気持ちを伝えてくれた。
それなのに俺は、なつが傷つかないように、なんて勝手な理由をつけて、あいつの気持ちまで決めつけようとした。
100点が取れなかったら、忘れてほしい。 俺が勝手にそう決めたのは、なつのためなんかじゃなかった。 きっと、俺が怖かったんだ。
100点を取れなかったとき、なつに拒絶されるのが。 自分の気持ちをこれ以上知られて、気まずくなるのが。 大好きな人に、これまでの関係さえ壊されるのが。
だから、先に逃げ道を作った。
なつに忘れてもらえれば、少なくとも、俺が傷つけられることはないと思ったから。
「…最低だ、俺」
乾いた笑いが、ぽつりとこぼれた。 なつは、ずっと怖がっていたんだ。 自分のことを好きだと言ってくれた人が、いつか自分を見捨てるんじゃないかって。
理想と違う自分を見せたら、嫌われるんじゃないかって。 それなのに俺まで、あいつに同じことをした。 好きだと言いながら、100点を取れなかったら終わりだと、そんな条件を突きつけて。 なつが一番怖がっているものを、俺自身が作り出してしまった。
「……なつ」
名前を呼んでも、返事はない。
当たり前だ… 俺の隣には、もう誰もいない。
今すぐ追いかけたい。 謝りたい。違うんだと伝えたい。俺は本当にお前が好きなんだと、今度こそちゃんと言いたい。
けれど、足は動かなかった。
今、追いかけて。 俺が好きだから、俺を信じてほしいと伝えたところで。
それはまた、俺の気持ちを受け入れてほしいと、なつに求めるだけなんじゃないか。
俺が安心したいから。 俺が許されたいから。 俺が、なつに好きだと言ってほしいから。
そんなの、駄目だ。
俺は一度、深く息を吸った。
そして、もう一度、部屋を見渡す。
壁に飾られたポスターも、棚に並ぶ写真集も、全部、俺が好きだった暇南月の記録だ。 それらを好きだったことまで、否定するつもりはない。 あの日、画面の中のなつに出会わなければ、俺は今、ここにいなかったかもしれない。
だけど、今の俺は。
あの日の子役に恋をしただけの、十歳の少年じゃない。
目の前にいるなつと出会って、言葉を交わして、一緒に芝居をして。
怒らせて、笑わせて、困らせて、 そして、泣かせてしまった。 俺はもう、画面の中のなつを見ているだけじゃない。
そうだろ?
「……っ、はぁ……」
両手で顔を覆った。
わからないことばかりだった。
俺が本当に、なつ自身を見られていたのか、 あいつのことをどれだけ理解できているのか。
今すぐ答えを出せるほど、俺はなつのことを知らない。 でも 知らないのなら、これから知っていけばいい。 俺が好きになった人は、完璧な俳優なんかじゃない。 俺の憧れだけでできた、画面の中の存在でもない。
傷ついて、怒って、泣いて… それでも誰かに好きだと言ってほしいと願う、ひとりの人間だ。
その人が、暇南月なんだ。
そして俺は
「……俺は、なつが好きだよ」
誰もいない部屋で、初めて、そう口にした。
暇南月が好きだ。 昔の暇南月も、今の暇南月も。 …だけど、それだけじゃない。
俺の知らない顔を見せてほしい。
俺の知らない気持ちを、教えてほしい。 俺の前では、格好つけなくてもいいと思ってほしい。
俺が100点をつけられないような、どうしようもない俺のことだって、いつか知ってほしい。
そうやって、少しずつ
俺も、なつのことを知っていきたい。
なつ視点
シュガーライフ、撮影最終日。
今日、この撮影現場にいる演者は、俺といるまのふたりだけだった。
最後に撮るのは、物語の中でも大切なシーン。
右腕を切り落とされ、剣に仕込まれていた毒が全身に回ってしまった織姫 衣音璃。意識を失ったまま、一年間ものあいだ眠り続けていた彼が、ようやく目を覚ます場面だ。
「………」
患者が着る、水色の病衣。
右腕は袖の中に隠し、右肩には衣装さんが丁寧に包帯を巻いてくれた。傷口を覆うように何重にも巻かれた包帯は、衣音璃が過ごした一年間の長さを、嫌でも想像させる。
ベッドに横になり、呼吸器を装着する。手首にも管が取りつけられ、身体のあちこちから伸びる医療機器のコードが、病室のセットに生々しさを添えていた。
「……よし」
小さく息を吐き、目を閉じる。
これで準備は整った。
あとは、琉李が来るのを待つだけ。
「叢雲さん、入られまーす!」
スタッフの声が響いた瞬間、はっとしてドアのほうへ目を向けた。 ゆっくりと開いた扉の向こうから、いるまが姿を現す。
着崩された制服。少し乱れた髪。そして、メイクによって目の下にくっきりと浮かび上がったクマ。
……ああ、 琉李だ。
衣音璃が眠り続けているあいだ、琉李は毎日のように学校帰りに病院へ通っていた。授業が終われば病院へ向かい、面会時間の限界まで衣音璃のそばにいる。
何度呼びかけても、何度手を握っても、衣音璃は目を覚まさない。
それでも琉李は、来ることをやめなかった。
そんな一年間を過ごしてきた少年。
その疲れも、焦りも、寂しさも。全部を抱えたまま、それでも衣音璃に会いに来る琉李を、いるまはどう演じるんだろう。
「……」
思わず、見入ってしまった。 もちろん、今までだって、いるまの演技は何度も見てきた。
けれど、今日は最終日だ。
今日の演技で、俺たちの撮影は終わる。
そして
「……」
ふと、頭の片隅に浮かんだ約束に、胸が小さく跳ねた。 俺が100点をつけたら、いるまと付き合う。 逆に、百点をつけられなかったら…
いや 今は、余計なことを考えるな。
俺は静かに目を閉じ直した。 衣音璃として、ここにいる。 一年間眠り続けた人間として。
そして、目を覚ましたとき、最初に目にする相手が誰なのかも知らないまま。
「……本番、いきます!」
スタッフの声が、セット内に響いた。
ざわめきが消えていく。 足音が遠ざかり、機材の調整音も止まる。
静寂
俺は、ゆっくりと呼吸を整えた。 衣音璃の時間は、一年間、止まっていた。 けれど琉李の時間は、止まってなんかいなかった。 俺の知らないところで、あいつはずっと、衣音璃を待ち続けていたのだ。
だったら
目を覚ました俺は、何を見せればいい? どんな顔で、あいつを迎えればいい? 答えはまだ、わからない。 ただ、ひとつだけ… この一年間を、琉李がひとりで過ごしてきたこと。
それだけは、忘れずにいようと思った。
「……アクション!」
その声を合図に、物語が動き出した。
ガララ
「よっ、いおり」
病室の扉を開けて、琉李はいつものように笑った。 ベッドの横に置かれた椅子に腰を下ろし、眠り続ける衣音璃の顔を覗き込む。制服は着崩れ、目の下には濃いクマが浮かんでいる。それでも、琉李はいつもと変わらない声で話しかけた。
「お前の好きな、期間限定のプリンあったから買ってきたわ」
返事はない。
「………」
「また、桜子と金剛山が喧嘩してたぜ?笑
秤が呆れてた、笑」
今日あった出来事を、ひとつずつ話していく。
まるで、目の前の相手が起きているかのように。 まるで、いつものように会話ができると信じているかのように。 けれど、どれだけ話しかけても、衣音璃は目を覚まさない。
「ほんと、いつまで寝てんだよ…」
最後の言葉は、少しだけ掠れていた。 琉李は困ったように笑って、衣音璃の顔を見つめる。
「……」
俺は、ゆっくりと目を開けた。 視界に差し込む、柔らかな病室の光。 ぼんやりとした意識の中、最初に目に入ったのは、目の前にいる少年の顔だった。
「……!」
琉李が息を呑む。
今まで何度も、何度も呼びかけてきた相手。
もう一度、その目が開く瞬間を夢に見てきた相手。 その目が、今… 自分を見ている。
「りゅぅ…くん、?」
「ッ、…よう…おっせーよ、眠り姫 」
くしゃり、と… 琉李の顔が歪んだ。 笑っているのに、涙が溢れていた。
ぽろぽろ、ぽろぽろ
堪えきれなかった大粒の涙が、次から次へと頬を伝って落ちていく。 それでも琉李は笑っていた。 まるで、泣き顔を見せたくないとでもいうように。 まるで、ずっと待っていた相手に、ようやく会えたことが嬉しくてたまらないとでもいうように。
「…………」
ああ… これだ。 俺は、息を呑んだ。
琉李…いや、いるまのその顔は、俺が漫画を読んで、何度も何度も泣いた、あの表情にそっくりだった。
一年間
ずっと、ずっと、待ち続けた。 もう目を覚まさないかもしれない。 二度と、自分の名前を呼んでくれないかもしれない。
それでも、毎日病院に通って、話しかけて、返事のない相手に今日あったことを伝え続けた。
そんな琉李が、ようやく衣音璃と再会できた瞬間、 嬉しくて… 安心して
それなのに、今までの寂しさや苦しさが一気に込み上げてきて、どうしようもなく泣いてしまう。 ずっと見たかった、あの顔。 俺が大好きだった、あの場面。 それを今、目の前にいるいるまが演じている。
……違う。
演じている、なんて言葉じゃ足りない。
いるまは今、本当に琉李として泣いていた。
漫画の中にあった感情を、目の前で生きている。 すちからの提案で、実写では琉李が泣く顔をあえてはっきり見せることになっていた。
衣音璃の目線から、琉李の表情を映す。 だからこそ、今のいるまの顔は、俺だけの特等席にあった。 カメラ越しでも、モニター越しでもない。 俺自身が衣音璃になって、ずっと待っていてくれた琉李と向き合っている。
(こんなの、ずるいだろ、、)
胸の奥が、ぎゅうっと締めつけられた。
目の前にいるのは、俺がずっと憧れてきた俳優で、 俺のことを好きだと言ってくれた人で
そして今、俺が百点をつけるかどうか、その約束の最後の瞬間を迎えている人だった
「…っ、りゅぅ“…くん…」
衣音璃として、声を絞り出す。 目覚めたばかりの身体は、まだ思うように動かない。 それでも、目の前にいる琉李に伝えたかった。
「いっ“ぱぃッ…待たせて、ごめんね“ッ…?」
その瞬間。
「ぁ”ぁ“ぁぁぁぁッ……!!!」
いるまの口から、堪えきれない声が溢れた。
涙が、また落ちる。 もう笑顔を取り繕うこともできない。 一年間、ずっと胸の奥に押し込めていたものが、たったひと言で決壊してしまったかのようだった。
……ああ
そうか。 琉李は、こんなにも衣音璃に会いたかったんだ。 ただ、目を覚ましてほしかったんじゃない。 もう一度、名前を呼んでほしかった。 くだらない話をして、笑ってほしかった。 当たり前だった日々に、帰りたかった。 そして、目の前にいる大切な人に もう一度、会いたかったんだ。 俺は、いるまの顔を見つめ続けた。 その涙も、震える声も、崩れてしまった笑顔も、 ひとつたりとも、見逃したくなかった。
だって、今この瞬間だけは。
俺がずっと好きだった物語と、目の前のいるまの演技が、完全に重なっていたから。
……いや
もしかしたら、違うのかもしれない。
漫画の中の琉李が好きだったから、いるまの演技に惹かれたんじゃない。
いるまが、琉李の気持ちをこんなにも鮮やかに、こんなにも痛いほど伝えてくれたから。
俺は今、こんなにも胸が苦しいんだ。
「…………」
声が出なかった。
台詞も、演技も、今はどうでもよかった。
ただ、目の前で泣いているいるまが、どうしようもなく愛おしくて。
100点
頭の中に、その言葉が浮かんだ。 今すぐ叫びたいくらいだった。
100点 なんかじゃ足りない。 もっと、もっと上だ。 けれど、まだ撮影は終わっていない。
俺は衣音璃として、琉李を見つめ続けた。
そして、胸の奥に溢れてしまいそうな気持ちを、必死に押し込めながら、 この物語の最後の一秒まで、彼と一緒に生きようと思った。
撮影が終わった。
「はい、オールアップです! お疲れ様でしたー!」
スタッフさんの声とともに、現場に拍手が広がる。
長かったシュガーライフの撮影も、これで本当に最後。
最後の出演ということで、俺たちはスタッフさんから花束を渡された。俺の花束は赤を中心にまとめられた華やかなもので、いるまの花束は紫を基調とした、落ち着いた綺麗な色合いだった。
「わぁ……!」
思わず声が漏れる。
両腕で抱えるくらいの大きさで、顔を近づけると、ふわりと甘くて優しい花の香りがした。
「…すごい、いい匂い」
花束を見下ろしながら、俺はそっと笑った。
嬉しかった。
この作品に関わってきた時間も、みんなと過ごした日々も、今日で終わってしまうのは少し寂しいけれど。こうして最後までやり遂げられたことが、素直に嬉しかった。
俺は、隣に並んでいるいるまをちらっと見た。
紫色の花束を大事そうに抱えているいるまは、スタッフさんたちに挨拶をしながら、穏やかに笑っていた。 さっきまで、あんなに泣いていたのに。 カメラが止まった瞬間、いつものいるまに戻っていた。
いや… 戻った、ように見えるだけかもしれない。 俺は花束を抱え直し、そっと視線を落とした。
(この後、ちゃんと伝えなきゃ…)
胸の奥が、きゅっと縮こまる。
この前のこと… 俺が感情的になって、いるまに怒鳴ってしまったこと。 それから、泣きながら「今の俺を見てよ」と訴えたこと。
思い出すだけで、顔が熱くなる。 あんなに格好悪いところを見せてしまった。 でも、謝るだけじゃ駄目だ。
俺が本当はどうしたかったのか。何を怖がって、何を望んでいたのか。 ちゃんと、自分の言葉で伝えたい。 なのに 正直、怖い。
また、うまく言葉にできなかったらどうしよう。 また、いるまを傷つけてしまったら? もし、あいつが俺の気持ちを受け止めてくれなかったら…
「……っ」
考え始めると、どんどん悪いほうへ想像が膨らんでいく。
駄目だ。
こんなんじゃ、また逃げてしまう。 俺は小さく息を吸って、隣にいるいるまを見上げた。
「い、いるまっ…」
声が少し裏返った。 いるまがこちらを向く。
「ん?」
いつもと変わらない声。
その顔を見た途端、胸がどきんと跳ねた。 俺は花束を片腕で抱え直し、空いた手で、いるまの服の裾をくいくいと引っ張った。
「…この後、いい?」
「……?」
いるまが不思議そうに俺を見る。
「…少し、話したいことがあって……」
最後のほうは、ほとんど消え入りそうな声になってしまった。
それでも、服をつまんだ指先には、ぎゅっと力を込めた。 離したら、また逃げてしまいそうだったから。 今度こそ、ちゃんと話したい。 あの日、言えなかったことも、 本当は、どうしてほしかったのかも、 俺がいるまのことをどう思っているのかも、 全部… 今度こそ、ちゃんと伝えたい。
コメント
3件
めちゃ久しぶりに見に来たら最終回見たいな雰囲気醸し出してる、、、!!!😭 次の話までに復習して来ます😭😭 めっちゃ好きです😭😭
一気読み失礼します! うわぁぁぁぁ!泣(唐突) 最高以上の作品きたぁっ!! 早く仲直りしておくれぇ…
3回連続コメントくれなかったら泣くからな(脅迫)