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人を形成するものは普段の外見からは見えない。
服の下の肌も、思考も、取り巻く環境も。
美人だの可愛いだの人という人に持て囃される少女がどんな世界を生きているのかだって、誰も知らない。
ある日の放課後。
私はプリントを届ける為に雪の家へと自転車を走らせていた。
雪は今日欠席だった。今朝、一緒に学校へ行く際の集合場所に彼女は来なかった上、メッセージも未だ既読にならない。
体調でも悪いのだろうか、それとも何かあったのか…と不安を疼かせていると、やがて私たちの集合場所へと差し掛かった。ここから帰路は分かれ、真っ直ぐ進む細い路地が私の家の方向、そして右にある長い坂と石段の道が雪の家の方向だ。
「はあ…」
雪はいつも徒歩だが、体力の無い私が自転車を押してこの長い坂を上るのは中々骨折りだった。
やがておわりに近づき、住宅の塀面が見え始める。確か、雪の家はこの後左に曲がって入った路地を抜けた正面にあると言っていたはず。
一度そう聞いた記憶を頼りに塀に挟まれた路地を進んでいた、その時だった。
「あ」
目線の先、路地の向こうに見覚えのある少女が居た。抜けるような白い肌に艶やかな黒髪を揺らす横顔が、角の奥の誰かと話している。 ひと目で雪だと分かった。
なんだ、元気だったのか。
ほっと安堵した私は雪、と呼び掛けようとしたが、次の光景を目にして私の口からは音の無い息が漏れた。
頬を赤らめ、背伸びをして、やたらに肥えた中年男性とキスをする雪。
私は言葉を失った。
そして次第に見てはいけないものを見たのだ、と悟った。
私の足元から伸びる一本の路地の先で、学校での姿とは違う、 校則の膝丈よりも随分とスカートを短くした雪の尻を、小汚い男の手がまさぐっている。
「じゃあ、ホテル行こうか。雪ちゃん」
「うん」
───途端に胃の中のものが迫り上がる様な感覚がすると同時に、真っ白な頭の中を「援助交際」の文字列が埋め尽す。
金縛りのように硬直した足を無理矢理地面から引き剥がし、私は逃げるようにその場から駆け出した。
ハンドルを握る手にも、ペダルを漕ぐ足にも力が入らない。雪に渡すはずだったプリントのことなどもはや忘れ、私はたった今見た光景を振り切る様にひたすら自転車を漕いだ。
家に帰り着いてから翌朝になるまでのことは、あまり覚えていない。
「それでね、結局そのあと───
……藍子ちゃん、聞いてる?」
「え、あ… ごめんね、ぼーっとしてた」
「大丈夫?なんだか今日、ずっとぼんやりしてる」
一日中、目に焼き付いた昨日の光景が脳裏にちらついて仕方がなかった。隣を歩いているのに、雪の話が耳をすり抜けて何も入ってこない。
信じたくない。
目の前の美しい少女の様相はどう見たって清純そのものだ。なんであんなこと、とかなんで雪が、とかぐるぐると思い悩んでも結論は出なかった。
「何考えてるの?」
正面にまわり込んだ雪が私の顔を覗き込む。
俯いたまま、口から言葉が零れ出ていた。
「もしかして…え、援交…してるの?」
言った瞬間、言ったことを後悔した。
きっと知らない振りをしていた方が良かった。
掠れた小さな声が彼女の耳に届いていなければと願ったが、覆水は盆に返らない。
自転車のハンドルを握る手に力が入る。
「そうだよ。」
弾かれたように顔を上げると、雪は顔色一つ変えないまま夕陽を背に立っていた。朱い逆光が彼女の顔に影を落とす。
私にとっては「友達が援助交際をしている」という事実は決して只事ではないが、雪はまるで何でもない様子で肯定した。
「ごめん、私…あの…」
「びっくりした?そりゃそうだよね」
私はなんと言えばよいのか分からなかったが、雪は飄々として、寧ろ微笑んですらいる。
しかしどこか儚げで、なにか憂うような表情をしていた。
『鬱陶しいんだよこの────マジで──』
『お前さえ───ければ──私の人生────』
お気に入りの曲みたいに毎日頭の中で再生される罵声。
帰り道、自宅のアパートに近付くにつれ音量が増していき、足取りは重くなる。
私は物心ついた頃から母親とふたりだった。
そして、その生みの親から一度も愛を受けた記憶がない。
「おかあさん、あのね」
「うるさい」
母は、今まで私の話なんて一つも聞いてくれやしなかった。いつも返ってくるのは罵倒の言葉か、無視か、冷たい手のひらだった。
私がとても幼いころ、父はひとりで家を出て行ってしまったらしい。
それからだろう、母は私に一切関心を無くし、たまに泣け無しの小銭を置いていくきり家に寄り付かなくなった。ふらっと朝帰りしたかと思えば、母の帰りを待ち侘びて飛びつく私に「邪魔なんだよ」と怒鳴り散らし、手を上げた。男を連れ込むときは雨だろうが雪だろうが外に締め出された。
そうやって今も、母の機嫌が悪い時はいつも、私が捌け口にされてきた。
『p募集です』
────14になったくらいの頃から、私は「日替わりのパパ」に愛情を求めるようになった。
夜の世界の王座に座るような母に似て生まれた私はやはり誰しもに「愛される」ことが出来て、生きる為のお金だって満足に手に入る。
私がこの穢れた等価交換に踣り込むのにそう時間は掛からなかった。
少しの沈黙のあと、ふっと雪の顔から笑顔が消えた。さっきまでとは変わって物憂げな様子に、私は自分が口走ってしまったばかりに何か言葉を掛けなければ、と狼狽えたがその前に雪が口を開いた。
「汚いでしょ、私。」
「…え?」
「おじさんとセックスして、お金貰って、気持ち悪いよね。
…ごめんね」
「汚くない。」
その言葉を聞いて、私は咄嗟に口が動いていた。
決して抵抗が無いとは言えないし、雪がそんなことをしているなんてすぐには受け入れられそうにもない。
それでも、雪自身まで汚れているとは思えなかった。
「わ、私、雪がなんでそういうことしてるのか、とか分かんないし…雪のことも、まだ少ししか知らないけど…
雪は、汚くないよ」
如何しても彼女の言葉を打ち消したいと無意識に思った。
「ほんと?」
「私のこと、嫌いにならない?」
上目遣いで私を見上げた雪の瞳は濡れて潤んでいて、その透明度に思わず見惚れてしまいそうになる。この容姿一つあれば、そしてこんな表情をされれば、たとえ何をしたとしてもお釣りが来るくらいなんじゃないか、なんて頭の片隅でどこか感心している自分がいた。
「嫌いにならない。
雪は、みんなと同じだよ」
その瞳をまっすぐ見てこたえた。
「…」
「…」
雪はすっかりしおらしくなってしまい、重たい空気が流れていた。
どうにか彼女を元気付けようと思った私は考えついた。
「雪、後ろに乗って」
「え?」
私はそれまで押していた自転車に跨り、後ろの荷台を指した。
「…大丈夫そう?」
背中に抱き着いた雪が心配そうに声を掛ける。
「だ、大丈夫…たぶん」
家まで送るよ、と言ってみたものの、自転車の二人乗りなどしたことが無かったせいでフラフラと舵が覚束無い。そこらの電柱やら木やらにぶつかりかけながらも、なんとか帰り道を進んでいた。雪に怪我をさせる訳にはいかないぞ、と私は薄ら汗ばみながら必死でペダルを漕いだ。
「藍子ちゃん。そこの角曲がって」
「え、こっち?」
唐突にそう言われるがまま、いつもの帰り道とは違う森林沿いの道路に進んでみると、やがてぱっと視界が広がり、私たちは大きな海道に飛び出した。
「───綺麗…」
ガードレール越し、視界いっぱいに茜色の空と広大な海を一望し、思わず言葉が零れた。
「でしょ。 遠回りになっちゃうから普段は通らないんだけどね」
「そういえば…雪は海が好きなんだよね」
「うん。落ち込んだときはいつもここで海を眺めてるの」
そう言って揺らぐ海面を見つめる雪の声はひどく穏やかだった。
私は、もっと雪という人間のことを知りたいと思った。
「ここを真っ直ぐ行ったら私の家だから」
海道を抜け、やがて雪の住むアパートに近付く。
「雪なら、てっきり大きな豪邸に住んでると思ってた」
自宅は小さなアパートだと聞いて、私は思わずそう零した。
「そう? まあ…
家だけあったってしょうがないよ」
雪はぽつりとそう言ったが、それがどういう意味なのかはよく分からなかった。
「それにしてもさ。
藍子ちゃん、すっかり運転上手になったね」
私の背にもたれ、風に揺れる私のうねった髪を梳きながら雪が言う。
「…宝石みたいなものだし、絶対安全に届けないといけないから。」
真剣な声色でそう返すと、「なにそれ」と言って雪はくすくすと笑った。
首筋に触れる雪の吐息が、どこかくすぐったくて嬉しかった。
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