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時折吹く風が木々達を揺らし、焚き火の爆ぜる音が静かな森に響き渡る。
「…………… ……… …………… ……」
そんな静寂の合間に耳をくすぐる何かの声に、グラハムはふと目を覚ました。
(どれくらい寝ていた……?)
火の番の交代をする為、時間になればアルフレッドがグラハムを起こすはずだが、まだその時間ではない。
地を這うように聞こえて来るのは、小さく低い誰かの声。虫でも動物でも空耳でも耳鳴りでもない。ぶつぶつと聞き取れない言葉を、複数人が遠くで囁いている。
聞こえる方角も街道の方角ではなく、森の奥深くから。なぜだかわからないが、それだけはハッキリとわかった。
敵襲かと身構えるグラハムであったが、それにしてはどうにも様子がおかしい。
魔物や獣の類であれば、近くに繋いでいる馬が嘶くはずだし、そもそも見張りをしているアルフレッドがグラハムを起こすはず。
辺りは不自然なまでに静か。しかし、この奇妙な声は鳴りやむことなく、次第に大きくなっていく。それなのに、足音一つ聞こえない。
(今年は鎮魂祭をやらなかったらしい……)
グラハムの脳裏に過ったのは、食堂での出来事。
「まさか……な……」
徐々に近づいて来るその奇妙な声を発する集団は、すでにテントから数メートル手前まで迫っていた。
「アルフレッド!」
グラハムは脇に置いたロングソードを手に取り、テントから勢いよく飛び出すと、声のしていた方へと剣を構える。
……しかしそこには誰もおらず、火の番をしていたアルフレッドが目を丸くしているだけだった。
「ど、どうしたんですかグラハムさん。何かあったんですか? ……すごい汗ですけど……」
気が付くとグラハムの身体は汗でびっしょりと濡れていて、酷く息が切れていた。
「はぁ……はぁ……」
グラハムは生唾をゴクリと飲み込み、状況を確認する。
「アルフレッド、今何か声が聞こえなかったか? 低い声でぶつぶつと……」
「いえ、特に何も……」
風は止み、聞こえるのは焚き火のパチパチという音だけ。
グラハムがいくら耳を澄まそうとも、先程の声はすでに聞こえなくなっていた。
「私はどれくらい寝ていた?」
「三時間ほどです」
交替までは後一時間ほどあるが、グラハムは完全に覚醒していた為、寝付くまでには時間がかかりそうだと、二度寝は諦めた。
「そうか、なら起きてしまったついでだ。交替にしよう」
「了解です。では失礼します」
アルフレッドがテントに入って行くのを確認すると、グラハムは高さ的に丁度良い丸太に腰掛け、焚き火に薪をくべる。
(先程のあれは夢か……? それとも……)
食堂で聞いた話が、頭から離れない。
不浄な場所で放置された死体は、アンデッド化することがある。
亡くなった者の身体が魂の入れ物としての役目を終えると魂は天へと帰るのだが、必ずしもそうとは限らず、未練に引き摺られ地上に残る魂も存在するのだ。
それらが内に持つ、遺恨や怨念といった負の感情が暴走することにより、アンデッドと化すのである。
肉体が残っていればスケルトンやゾンビに。なければゴーストやレイスとして実体化を遂げる。
所謂幽霊と呼ばれているのは肉体を持たない魔物の存在の総称であり、死霊術のような特殊な適性がない限り視認できない魂とは違うのだ。
(目に見えぬ何かがいるとでも言うのか……)
グラハムがいくら考えても、その答えが出る事はなかった。
焚き火が弱まれば薪を足すという単純作業。体も温まり眠気でうつらうつらとしていると、一陣の風が森を凪いだ。
突風というほど強くはないが、目にゴミが入ってはかなわないとグラハムが咄嗟に風下へと顔を逸らすと、そこには一人の老人が立っていたのだ。
「――ッ!?」
いるはずのない人が居たことに驚き、グラハムの心臓が跳ね上がる。
まるで気配がしない。いつからそこに居たのかさえ不明。木々の隙間、薄暗い闇の中からジーっとグラハムを見つめていたのだ。
声を発することもなくピクリとも動かないその姿は、不気味としか言いようがない。
――良く見ると、その老人には両腕がなかった。
(脅かしやがって! 後悔させてやる!)
それはただの脅しだ。グラハムが剣を抜き、ほんの少し凄んでやれば許しを請うだろうと思ったのだ。
グラハムは老人から視線を外しロングソードを掴むと、それを抜こうと右手に力を込める。
(なんだ!? くッ……抜けない!?)
どれだけ力を込めても鞘から抜けないロングソード。
その理由はすぐにわかった。剣が抜けないのではなく、自分の身体が動かないのだ。
グラハムがそれに気が付くと、風も無いのに独りでに焚き火が消えた。
(あの老人が何かしたのか? 何かの魔法か!?)
確認しようにも焚き火が消えた所為で、辺りは一面の闇。加えて身体は動かない。
かろうじて見えるのは、薪の残火が赤く輝く自分の足元だけ。
その両足首を、いきなり誰かに掴まれた。
反射的に息を呑み、視線を落としたグラハムの目に映ったのは――地面から突き出た、二本の人間の手だ。
指が蠢き、肉を探るように締めつけてくる。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
全身の毛穴という毛穴が総立ち、皮膚の下を冷たいものが這いずる。
理解を拒む現象が次々と眼前で起こり、グラハムの理性は限界を超えた。
喉の奥から絞り出されるのは、獣じみた絶叫。
それだけ大きな声で叫んでいたにもかかわらず、耳元で囁くその声だけは、妙に鮮明に、ぞっとするほどはっきりと響いたのだ。
「……カエレ――」
――――――――――
「……さん! ……ハムさん! ……グラハムさん!」
グラハムの肩を強く揺するアルフレッド。グラハムが目を開けると、夜はすでに明けていた。
朝焼けはとうに過ぎ、小鳥たちの囀りがうるさいほどに響いている。
昨晩の事を思い出し、ハッとしたグラハム。足元を見るも地面から生えていた手などなく、穴を掘った形跡もない。
焚き火は消えてからかなりの時間か経過しているのだろう。完全に灰となり鎮火していた。
「グラハムさん。そんなに眠かったら言ってくれれば交替しましたのに。まあ、ここのところ移動続きで疲れも溜まってますでしょうし無理しなくても……。……え? なんですが僕の顔じっと見て……」
「昨晩の私の声、聞こえたか?」
「いえ、寝てたんで……。何か言いました?」
グラハムは、恐怖のあまり悲鳴を上げてしまったとは言えなかった。だが、アルフレッドには聞こえていない様子。
(あれだけの大声を出しても気付かなかった? ……いや、どうだろう……。アルフレッドの事だ。本当に起きなかっただけという可能性も……)
周囲を見渡しても、昨晩の痕跡は何も見当たらない。
(やはり、あれは夢だったのだろうか……)
グラハムは昨晩の体験を思い出し、じわりと滲む手汗を袖口で拭った。
同時に、その記憶さえも忘れられるようにとの思いを込めながら……。