リディアは倒れてから数日、自室で療養していた。一人自問自答を繰り返し、出た答えは単純明快なものだった。
ーーディオンへの気持ちは、忘れる。
この数日の間、何度もディオンは扉越しにリディアの部屋を訪れた。
別に鍵を掛けている訳ではないのに、ディオンは中へは一切入ろうとはしなかった。いつもなら怒っても文句を言っても許可なく勝手に入って来る癖に……変な所で律儀だと苦笑する。
扉越しに「リディア」と兄の声が聞こえてくる度、苦しかった。だが、幾度呼ばれても返事を返す事はしない。返事をしてしまったら、きっと甘えが出てしまう。
本当は扉を開けて、抱きつきたかった。抱き締めて欲しかった。名前を呼んで、髪や頭を撫でで欲しい……。
ーー貴方が好きだと、言いたい……。
でもそんな事をしたら、きっと兄は心底嫌そうな顔をして私を突き放すかも知れない。そうなれば、もう普通の兄妹には戻れない。例え仲が悪くても兄妹ならばディオンの側にいられる。
今後互いに結婚して離れ離れになっても、また妹として兄に会いに来る事が出来る。悪態を吐きながら喧嘩をしながら、たまに笑って話す事が出来る。
でも、この気持ちを彼が知ってしまったら……リディアは見放され捨てられてしまうだろう。
だって、兄に恋愛感情を抱く妹なんて気持ちが悪いに決まってる。面倒事が嫌いな兄なら余計にそう思うだろう。
気付かなければ良かった。気付きたくなかった……。そうすれば今頃は、以前より少し仲良くなった兄と何気ない日常を過ごす事が出来ていた筈だったのに……。
「ぅっ……」
リディアの瞳から何度目か分からない涙が溢れシーツを濡らした。
「リディアちゃん、本当にもう大丈夫?」
「うん、心配掛けてごめんね」
また何時もと変わらない日常に戻った。何時もと同じ様に登城して、王妃付きの侍女として働く。シルヴィと何気ない会話を愉しみ、一日が過ぎて行く。
(これでいいんだ。これが正しい在り方だ)
自分自身にそう言い聞かせ続ける。
「リディア」
一日の業務を終え、馬車へ乗り込もうとした時だった。
「リュシアン様……」
リディアを呼び止めたのはリュシアンだった。彼とも何だかんだで会うのは久しぶりだ。
「君に話したい事がある。少し時間を貰えないだろうか。今日は私に送らせて欲しい」
特に断る理由もなかった故、リディアは頷いた。グリエット家の馬車ではなくリディアはリュシアンと共にエルディー家の馬車に乗り込む。どうやら屋敷までの道中に話をするらしい。だが、馬車に揺られてから暫くしてもリュシアンは一向に話そうとはしなかった。
「……」
終始沈黙が続く。リディアは、気まずさを感じ窓の外へと視線を遣っていた。
よく考えれば、リュシアンと二人きりになるのは意外だが初めてかも知れない。まあ、当然か。彼は友人の兄なのだから、シルヴィ抜きで会うのも変な話である。
ただ今正にその変な状況にある。
そう考えると、妙に気になってきた……。リュシアンがリディアに話したい事とは一体なんなのか……。シルヴィ関連の話だろうか。結局はそれくらいしか、思い使い付かない。シルヴィに何かあったのだろうか……。昼間は別段変わりなかった様に思えたが……。リディアは段々と心配になってきた。
「リディア!」
「は、はい」
突然名を呼ばれ、リディアは驚き思わず姿勢を正した。リュシアンを見遣ると、彼もまた居住まいを正していた。
「あー……その。なんと言うか、その」
目を泳がせながらリュシアンは、必死に言葉を紡いでいた。かなり言い淀んでいる。リディアは眉根を寄せて首を傾げる。
「リ、リディア、は……その、す、好いた男はいたりする、のか……」
リュシアンの辿々しい言葉に一瞬黙り込んだ。そして頭に浮かんだのは……やはり、彼だ。
「いえ、特には……」
「そ、そうか! ならば、聞いて欲しい」
咳払いをするリュシアンに、何か演説でも始まりそうな雰囲気だと思い内心苦笑する。だが何時になく真剣な眼差しに思わず息を呑む。余程重大な話に違いない。
「私と、こ、婚約……婚約を前提に友人になって欲しいんだ!」
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