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夜、なんとなく寝つけずに散歩に行こうとすると、めずらしくヘチャンがついてきた。
ヤシの街路樹がまっすぐな道に並ぶそこを、言葉もなしに二人で歩く。日付を少し踏み越えた今は人もまばらで、二人の普段暮らしている場所から一万キロメートル以上も離れたこの地では、顔をさらしてふらりと出歩いたって騒ぎになることなどなかった。
さらさらと心地よい温度の風が肌を撫でていく。隣を歩くヘチャンのサンダルがぺたぺた鳴るのが耳に聞こえていた。
「こんな時間に一人でどこ行こうとしてたわけ」
「散歩。ちょっと歩けば眠くなるかと思って」
「めずらしいね。ヒョンが寝つけないなんて」
ヘチャンはだるそうに前を見て歩いて、マークはそんな彼が何を考えているのか何もわからなかった。いつもそうだ。ヘチャンの頭の中をマークが察せるのはいたずらを企んでいるときくらいである。
なぜついてくる気になったのか、マークは聞きたかったが聞いてもどうせまともに答えないような気がしてやめた。
最近、マークはヘチャンに避けられていた。気のせいでなく、察しのいいメンバーが異変を感じるほどに。
その原因について、マークには確かな心当たりがあったが、自分は何も悪くなかったためにどうすることもできないままでいた。
喧嘩ではないのだ。二人の間で諍いが起こるたび、ヘチャンはしばしば周囲にそれを知らせるかのように露骨にマークを避けることがあったが、今回は決してそのせいではなかった。
「あ、猫」
「ほんとだ」
道の少し先を大きな猫が急ぎ足に横切っていく。ちらと二人を見たその顔に、ちょっとヒョンに似てると呟いたヘチャンの口元が少し笑った。
二人だけのとき、ヘチャンは大勢でいるときとは裏腹に表情がそれほど豊かでない。口数もさほど多くなく、マークをからかうとき以外は拍子抜けするほど静かなものだった。
今更沈黙を気まずく思うような関係ではないはずだが、マークは無性に何かを言ってやりたいような気持ちでいた。けれど二人分の足音がやけに大きく聞こえて、マークは口を開かないままでいた。
思えばツアーで忙しくあちこちを駆け回っていたせいか、こうして二人きりになるのは随分と久しぶりだ。ツアーのために出国する直前、たまたま一緒に昼ご飯を食べたとき以来。あのとき食べたステーキパスタの味はかけらも覚えていないのに、ヘチャンのどこか気まずそうな無表情だけはマークの瞼裏にずっと引っ付いたままだった。
今、マークを見ることもせずただ横に並んで歩くヘチャンもあの日とそっくり同じ顔をしている。
そのせいなのか、マークは若干の緊張を感じていた。思わずフォークを取り落としたあのときのような喉の渇きを覚えて唾を飲む。今は夜なのに昼下がりの窓辺の景色がフラッシュバックする。
ファンシーなライトウッドの窓枠の外を眺めるヘチャン。
右手から離れた金メッキのフォークと、咀嚼を終えてふと開く小さい唇。たった一言、投げられた言葉は今でもクリアに思い出せた。
この国でのコンサートは昨日で全て終わって、明日明後日と撮影を行ったらすぐに帰国の予定だ。だから大切なことを伝えるなら、スケジュールを終えてからがいいかと思っていたけれど。
マークはそこまで考えて、やっぱりいい子な自分は捨てることにした。思えばこうしてヘチャンの醸す妙に気まずい空気に悩む羽目になったのは、二人でパスタを食べたツアー前のあの日、ヘチャンが不意打ちで言い逃げしていったからに他ならないのだから。
夜風が一瞬強く二人の間を通り抜けた。マークが立ち止まると、ヘチャンは一歩前に出たところで振り返った。
「ヘチャナ。あのさ」
一言かけただけでヘチャンは敏感に危険を察知した。
この後に及んでうろうろと目を泳がせるから、逃げないように手首を捕まえる。
見開かれた垂れがちの目と目が合った。
「僕もお前が好き」
ヘチャンはくっと眉を寄せて、熱いものを一気に飲み込んだような顔をした。
憎たらしいときはとことん憎たらしいが、可愛げが表に出たときはその分可愛い男なのだ。
散歩についてきた時点で僕に何を言われるかわかっていただろうに、ヘチャンは律儀に口をまごつかせて「……恥ずかしいヒョン」と呟いた。