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モノクロナツキ
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あの最高に幸せな夜から、数日後。空くんが「弦の弟なら大丈夫な気がする」と言ってくれた通り、俺たちは二人揃って空くんの家にお邪魔することになった。
残念ながら、野中さんのいる時間とはどうしても折り合いがつかず、少し遅い時間にはなってしまうが、三人の予定がぴったり合う夜の20時にお邪魔することになった。
前の時と同じ、押し慣れた手つきで蜷川家のインターホンを押す。しばらくして、中からガチャリと鍵が開く金属音が響いた。
その音を聞いた瞬間、隣にいた洸はパッと目を大きく見開き、俺に向かって本当に嬉しそうな顔をして、声を出さずに静かに拍手をした。まるで自分のことのように喜んでくれる弟の姿に、俺の胸がじわっと温かくなる。
「お邪魔します……! 空くん、初めまして。弦の弟の洸です。今日はカットモデルを引き受けてくれて、ほんまにありがとう!」
洸が満面の笑みを浮かべ、玄関に立ち尽くしている黒い影に挨拶をした。すると、空くんはふいっと、顔を隠すように背を向けて奥の廊下を歩き出してしまった。
「あれ? やっぱり俺じゃあかんかったかな……?」
急に不安そうな顔になった洸の肩を叩き、俺は笑顔で「ううん」と首を振った。
「多分な、洸が可愛すぎて照れてんねん」
お兄ちゃんには分かる。洸を初めて見た人は、あからさまに蕩けた顔をするか、可愛すぎて直視できずに目を逸らすかの二択や。きっと空くんは後者のシャイなタイプなんやろな。
「……なんか嫌やわ。弦が空くんのこと、何でも全部わかってます風な顔して言うてるの」
洸は自分の腕をさすりながら、「鳥肌、鳥肌」とわざとらしく小走りでリビングに入っていく。
久々やな、洸のこの毒舌を聞くの。最近、お利口さんな洸くんしか見てへんかったからな。いつもの調子が戻ってきて、お兄ちゃんとしてはむしろ嬉しいで。
「……空くん、カット、リビングでする?部屋やと、髪の毛が散らかってしまうし」
自室に戻ってしまった空くんを追いかけて、ドアの隙間から声をかける。ガチャッとドアが開いたかと思うと、グイッと俺の腕が引かれ、そのまま部屋の中へと引き入れられた。
「……大丈夫?空くん」
少し、空くんの呼吸が荒いことに気づく。やっぱりあかんか、俺、ちょっと焦りすぎてしもたかな。
「……ごめん。弦の弟やから、大丈夫って頭ではわかってる。でも、俺……やっぱり、どうしても人の目が怖い……」
「……そうか、ごめんな、無理させて」
小さな子供をあやすように、少し震える彼の背中を優しくさする。俺と話す時はあんなに楽しそうにしてくれてたから、もう少しは克服できてるんやと思ってしまっていた。
「ううん。でも、このままじゃ……弦と、デート行けへんから。……俺、頑張る」
「空くんはほんまに強い子やな。……そやな、そんなに緊張せんでええよ。洸のことは、ただのチワワやと思ったらいい。可愛いやろ? たまに毒吐く、普段は甘えん坊のチワワや」
「……あんな、ロックテイストの服着てるのに、甘えん坊なんや……」
空くんが「クスクス」と声を立てて笑い出す。良かった、少しでも緊張の糸がほぐれたみたいや。
「リビングに椅子もあるし、洸が用意して待ってくれてるわ。一緒に行こか」
「ん」と俺が手を差し出すと、空くんは自分の大きな手をそっと重ねて、ぎゅっと握り返してきた。
そのままリビングへ足を向けると、素直に俺の後ろをトコトコとついてくる。その様子が子供のお散歩みたいで、胸が猛烈にキュンとなった。
「洸、空くん来たよ。お願いな」
「お、任せといて! 空くん、どうぞ、ここに座って」
道具一式をテーブルに並べた洸は、空くんを緊張させないようにいつもの可愛いスマイルで、ごく自然に振る舞ってくれた。
最初は頑なにフードを深く被り、椅子の横で立ち尽くしていた空くんだったが、俺がそっと腕に触れて促すと、素直にちょこんと椅子に腰掛けてくれた。
「……これ、パーカー脱いだ方が毛がつかへんねんけど、脱いでみる?」
洸が遠慮がちに、優しく空くんに問いかける。
明るい電気の下で、初めてちゃんと見る空くんの顔。薄暗い部屋で見た時よりも、表情から気持ちがダイレクトに伝わってきて、愛おしさで思わず口元が緩んでしまう。
「ん? もしかして甘えん坊の空くんは、弦お兄ちゃんに脱がせて欲しいんか?」
俺がわざとおどけてふざけながら、そっと首元のジッパーに手を伸ばすと、ふふっと空くんの綺麗な表情が緩んだ。そして、自らそっと、頭を覆っていた大きな黒いフードを外した。
「うわぁ……! ふわふわやん! ゴールデンレトリバーみたい!」
洸が、目を輝かせて興奮気味にその髪に触れた。
フードの奥に隠されていたのは、少しブラウンがかった、ふわふわでゆるくカールした癖毛だった。もしかして空くんがずっとパーカーを被り続けていたのって、この言うことを聞かない髪を抑えつけるためでもあったんやろうか。
「……たまに、自分で適当に切ったりしてたんやけど。……綺麗に、なるかな」
え!? 今、もしかして空くん、自分から洸に話しかけた!?
驚いて急いで洸の顔を見ると、洸も一瞬だけ丸く目を見開いた後、嬉しさを噛み締めるように口元を緩めて、コクコクと激しく首を縦に振った。
「なるなる! っていうか、ちゃんとケアしてあるから、カットだけでめちゃくちゃカッコよくなるよ!」
空くんに優しい声をかけながら、俺は彼が自ら脱いだパーカーをそっと受け取った。洸がケープをふわっと空くんの首元にかける頃には、彼の肩の強張りも少しずつ解けていくのがはっきりと分かった。
「最近、こういう長い髪を切る機会がなかったからさ、切る前からもう楽しくてしゃあないわ」
「そんな楽しいんや。じゃあ、ついでに俺の髪も切ってもらおかな?」
「いや、弦、また自分で前髪切ったやろ? もう切るとこないやん。空くん、今日見た? 弦の前髪。ライターいじってて前髪焦がした子供みたいになってるねん」
洸のキレッキレな軽快トークと、サクサクと響くハサミの心地よい金属音。
俺がずっと隣で空くんの様子を伺いながら見守る中、空くんは俺のギザギザの前髪をチラッと見上げて、ついに声を上げて「ふふっ」と楽しそうに笑うまでになっていた。
「はい、お疲れ様! めっちゃいい感じになったで!」
洸が自信満々に手鏡をかざす。
そこに映っていたのは、長めの前髪が綺麗にサイドへと流れ、柔らかな癖毛がそのまま活かされた、大人の色気が漂うとんでもない美青年だった。
空くんは自分の新しくなった髪にそっと触れ、潤んだ大きな瞳を俺に向けて、はにかむように嬉しそうに笑った。