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「もう起きてるわよ」
その言葉と同時に、太宰の焦燥が一気に表に現れる。
燈の姿の向こう側で、美琴が目を覚まし、薄く震える瞳で太宰を見上げていた。
「……美琴」
太宰は思わず手を伸ばしかけるが、美琴の表情を見て動きが止まる。
彼女の目は潤み、そして苦しげに揺れていた。
胸の奥から押し殺すような声が漏れる。
「治……今……なん…で……」
その震える言葉は、問いかけであり、叫びであり、痛みそのものだった。
美琴の視界には、太宰が燈の頬に手を添え、接吻している姿が焼きついていた。
彼女には、それが“自ら望んでそうした”としか見えなかった。
(なんで……燈に……)
「ふふっ」
もう透けて消えかけた燈が、最後に楽しげに笑った。
「太宰くんは、望んで私に接吻したのよ」
その一言は、美琴の心に深く突き刺さる。
同時に太宰の瞳にも、一瞬怒りとも悔しさともつかない影が走る。
「黙れ……!」
太宰の言葉が低く、怒気を帯びて漏れるが、燈はもう彼の声に届かない。
「……ばいばい、太宰くん。愛されたかっただけなの」
燈の最後の言葉とともに、彼女は完全にその場から姿を消した。
静寂が落ちる。
部屋の中には、目を伏せたままの美琴と、動けずにいる太宰の二人だけが残された。
「……美琴、誤解だ。私は——」
「嘘」
美琴が静かに言葉を遮った。
その声は震えていたが、冷たさすら孕んでいた。
「目を開けたら……あんなの見せられて、“誤解”って言われても……」
美琴はで身体を起こし、手の甲で目を拭う。
「私、ずっと眠ってたのに。ずっと……夢の中であなたを探してたのに……」
太宰は痛む胸を抑えるように、美琴の前でひざをついた。
「聞いてくれ、美琴。あれは取引だった。君を目覚めさせるために、私は——」
「取引って……キスが“取引”?」
美琴の声に怒りが混じる。
「それって、私のために自分を差し出したって、そう言いたいの?」
「……」
太宰は言葉を失う。何を言っても、今の美琴には届かないと悟った。
「私は……治の“取引”の駒じゃない。助けてくれたことに、感謝したい。でも、私は……」
美琴はぎゅっと拳を握る。
「……“あんなの”見たくなかった」
彼女の言葉は、何よりも太宰を傷つけた。
ほんの一瞬の接吻、それがこんなにも大きな代償になるとは思っていなかった。
だが、それを選んだのは自分だ。
太宰は唇を噛みしめて、美琴の視線を正面から受け止める。
「……それでも、俺は、お前を守りたかった」
静かに言う太宰の声に、嘘はなかった。
だが、美琴の瞳は揺れることなく、彼を見据えていた。
「だったら……最初から、私を信じてくれたらよかったのに」
その一言は、太宰に突き刺さる“刃”だった。
——その夜、美琴は太宰の元を離れた。
彼女はまだ“燈”の影を振り払えていなかった。
太宰の胸には、言葉にできない後悔と、取り返せないものへの痛みだけが残った。