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【異世界・転移した学園/正門内・校舎前】
結界の膜が、門の前で低く鳴っていた。
透明な“壁”に体当たりしたグレイウルフが跳ね返され、
土をえぐって転がる。
怒りの遠吠えが森を揺らすたび、窓ガラスが震えた。
それでも――門の内側は、かろうじて保たれている。
ハレルは息を切らしながら、アデルとリオの前に立った。
バッグを抱える腕が痛い。けれど放せない。
「……リオ」
呼ぶと、リオがマスクの奥で短く頷いた。
ハレルはバッグの口を開き、慎重に中を見せる。
青い色のカプセル。
ユナのコアだ。小さな光が、眠るように脈を打っている。
「これが……」
リオが言葉を飲んだ。
指先が震えそうになるのを堪え、ゆっくりと手を伸ばす。
「触っていいか」
「……うん。落とすなよ」
ハレルは冗談みたいに言って、自分でも笑えなかった。
リオの指がカプセルに触れる。
冷たい――はずなのに、触れた瞬間だけ、指先がほんの少し熱い。
リオの目が見開かれた。
一拍遅れて、眉がぎゅっと寄る。
「……ここに、いる」
それが、リオの“確認”だった。
泣きそうな声でもなく、叫びでもない。ただ、現実を掴む声。
サキが小さく息を吐いた。
「よかった……」
よかった、で済む状況じゃないのに。
それでも、その一言が支えになる。
アデルが周囲に目を向けた。校舎、窓、廊下の影。
先生たちが生徒を押し戻し、扉を閉め、泣いている子の肩を抱いている。
「次にやることは一つ」
アデルは静かに言った。
「器のところへ運ぶ。
……王都警備局の医療棟。ユナが眠っている場所」
ハレルが頷く。
「そこに戻せば、少なくとも“コアだけ奪われる”は止められる」
リオはカプセルから手を離し、拳を握った。
「戻す。……今度こそ」
その時、校舎の中から、先生たちの声が上がった。
「怪我人が――!」
「血が……!腕が……!」
ハレルの胸が沈む。さっきの廊下。定規を振り下ろした男の先生。
「……先生が、斬られた」
ハレルがアデルに言った。
「レアに。腕をやられてる」
アデルの目が一瞬だけ細くなる。怒りじゃない。判断の目だ。
「命は?」
「今は…意識はある。でも出血が多い。放っておけない」
アデルはすぐに部隊へ目配せした。
「残る人が必要。学園の中を守る人と、怪我人を支える人」
部隊の中から、槍を持った隊員が一歩出る。
「私が残ります。医療の心得も少し」
もう一人、弓を背負った隊員が続く。
「門前は私が見ます。結界の補助もできます」
アデルが頷く。
「助かる。……じゃあ、ここを“砦”にする」
そして短く詠唱した。
「〈結界補強・第二級〉――光よ、膜をもう一枚」
足元の光が広がり、門前の透明な壁が少しだけ厚く見えた。
3
橘靖竜
グレイウルフの体当たりがまた来ても、
すぐには割れない――そんな“余裕”が一枚増える。
先生たちが、その光景を見て息を呑んだ。
「……いまの……」
「映画みたい……」
誰かが言って、すぐに口を押さえた。
現実じゃない。けれど、現実だ。逃げ場はない。
アデルは先生たちへ向き直る。声は落ち着いている。
「私たちは王都側の部隊。外の獣は止める。
だから、先生たちは中を守って。生徒を集めて、窓から離して」
先生たちは混乱しているのに、最後は“指示”にすがるように頷いた。
「わ、分かりました……!」
リオがハレルへ言う。
「行けるか。走る」
ハレルはバッグを抱え直し、サキの手を握った。
「行く。……サキ、ついてこれるか」
サキは泣いていない。怖いのに、顔が折れていない。
「うん。……離れない」
その時、背中の皮膚がひりついた。
空気が切れる気配。遠くで、金属が裂ける音がまたした気がする。
リオが小さく言った。
「……レア、まだ近い」
見えないのに分かる。追ってくる。壊しながら、楽しみながら。
アデルが剣を握り直す。
「先に進もう。追われる前提で、最短で」
ハレルは頷いた。
逃げるんじゃない。届ける。
「王都警備局医療部へ」
四人――ハレル、サキ、リオ、アデル。
それに、同行する優秀な隊員が二人だけ。
門前の結界の内側で、残る隊員たちが槍を構え、
先生たちが生徒を押し込め、怪我をした教師の周りで応急処置が始まる。
“学園”は、その場で戦場になった。
そして四人は、その戦場の外へ向かう。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/森・石造りの建物内部】
その時、奥で――コツ、と音がした。
人の足音じゃない。爪が石を叩く音。
全員が止まる。銃口が上がる。
城ヶ峰は小さく指を立てる。黙れ、という合図。
そして、前を見た。
「……来る」
暗闇の奥で、何かが動いた。
ライトの輪の外。闇の中が、ひとつだけ“盛り上がる”みたいに揺れた。
次の瞬間――
低い唸り声。
「グルル……」
影が、ぬっと前へ出てきた。
狼の形。でも、狼じゃない。
肩が人の頭より高い。背中が丸太みたいに太い。
口を開くと、犬歯が白く光り、涎が糸を引いた。
木崎は喉が鳴るのを必死に堪えた。
(……こんなの、廊下に入ってくるサイズじゃないだろ)
日下部はノートパソコンを抱えたまま、一歩下がりそうになって踏みとどまる。
体が震えるのに、目だけが獣の奥――さらに奥の闇を見ていた。
城ヶ峰の声が低く落ちる。
「撃つな。……距離」
隊員たちの指が、引き金の手前で止まる。
狼型の個体は、頭を少しだけ傾けた。
“様子を見ている”みたいに。
そして――コツ。
もう一つ、爪音。
左の闇。右の闇。
別の個体がいる。数がいる。
音だけが増えていく。輪郭は見えないのに、気配が廊下を埋めてくる。
城ヶ峰はライトを振らない。
光を動かした瞬間に、位置がバレる。
ここで囲まれたら終わる。
「……退路、確認」
城ヶ峰が短く言う。
背後の隊員が小さく頷き、肩越しに後方を見た。
石の廊下は狭い。逃げ道は少ない。
狼型の個体が、一歩踏み出した。
重い。足音じゃない。石が軋む音。
「……ッ」
木崎の腕の中で、カメラがきしんだ。
抱きしめるみたいに押さえ込む。音を出したら終わる。
その一歩が、ライトの端に触れた瞬間――
城ヶ峰が判断した。
「――撃て」
銃声が、石の廊下を裂いた。
乾いた音が跳ね返り、耳が痛くなる。
弾が当たる。
黒い体毛がはじけ、獣の体が揺れる。
だが――倒れない。
獣は唸り声を一段低くして、体を沈めた。
次の瞬間、横へ跳ぶ。
石の柱の影へ。ライトの輪から消える。
狙いが切れる。こちらの視界が途切れる。
「くそ……!」
隊員の誰かが小さく吐き捨てた。
城ヶ峰は歯を噛み、すぐに言う。
「前へ。止まるな。ここは狩り場だ」
“ここは狩り場”。
その言葉だけで、木崎の背中が凍る。
日下部が、息を切らしながら言った。
「……下。近い。ここ、下に空洞がある。……中心は、もっと先だ」
「根拠は」
城ヶ峰が問う。声は冷たい。でも、切り捨てる温度じゃない。
日下部は唇を噛む。
「説明できない。でも分かる。……引っ張られる。俺の中の“ずれ”が、ここを指してる」
闇の中で、またコツ、と爪音。
今度は右。近い。
城ヶ峰は即決した。
「付いて来い。ただし前には出るな。守る側の邪魔をするな」
日下部が頷く。
後ろにいた隊員が渋い顔をして、結局日下部の横に付いた。放っておけない。
木崎はカメラを握り直す。
指が震えるのに、レンズだけは奥を外さない。
(……この先に、何がある)
(学園だけじゃない。もっと根っこが――)
城ヶ峰が隊列を前へ押す。
一歩ずつ。銃口を揃えたまま、石の廊下を進む。
暗闇の奥で、獣がまた唸った。
倒せていない。追ってくる。数がいる。
それでも――止まれない。
「進む」
城ヶ峰の声は硬い。
「中心を押さえる。理由は、そこにある」
隊列は、さらに深く、建物の中心へ向かっていった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校舎裏・森へ抜ける通路】
四人と二人の隊員は、校舎の影を走った。
森の気配が濃い。門前の遠吠えが背中を押す。
ハレルはバッグを抱え、胸元の主鍵が熱いのを感じた。
熱は道しるべみたいに、前へ前へと引く。
でも、その熱の裏に、もうひとつの“冷たい線”がある。
追われている。
レアの刃が、どこかで壁を切っている気配。
笑い声は聞こえない。なのに、笑われている感覚が消えない。
サキが小さく言った。
「……来るよね」
ハレルは答えた。
「来る。……でも、先に着く」
リオが息を吐く。
「守る。絶対に」
アデルは振り返らずに言った。
「大丈夫。間に合うように走ろう」
“間に合う”は、祈りじゃない。
今の彼らには、行動の言葉だった。
次の瞬間、背後で――
金属が裂ける音がした。ロッカーじゃない。もっと太い何か。
レアが、壁ごと道を作っている。
追跡が、始まった。