コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
それには流石の郁斗も驚き、思わず目を見開いて彼女を見る。
(……この子、自分が何を言ってるのか、分かってんのかな)
正直詩歌のその発言に郁斗は半ば呆れていた。ここまで付いてくる事さえ狼狽えていて、さっきも絆創膏を貼るのに指が触れただけで反応して顔を赤くするような女が何を言い出すのかと。
「あのさぁ、詩歌ちゃん。何でもの意味、分かってる?」
「――い、くと……さん?」
全く危機感が感じられない彼女に自身が口にした言葉の意味が分かっているのかを問いただす為、郁斗は詩歌に迫ると驚く詩歌をそのままソファーの上に押し倒し、脅えた瞳で見つめる彼女に跨ると、無言のまま見下ろしていた。
「男はね、みーんな狼なんだよ? こんな風に迫られてそんなに震えてたらさぁ、相手の思う壷だよ?」
郁斗の表情は変わらない。先程同様優しく心配してくれている口振りも変わらない。
それでも、詩歌は反射的に彼の事を“怖い”と思った。
「……あの、私……」
「ん? ああ、ごめんね、怖くなっちゃったかな? 別に脅かすつもりは無かったんだよ。けどね――」
詩歌が怖がっている事に気付いた郁斗は彼女を解放するのかと思いきや、彼の瞳がスっと細められたのと同時に詩歌の顔の横辺りに両手を付いて彼女を追いつめて自身の顔を近付けると、
「何でも……とか、そういう事を軽々しく言うもんじゃねぇよ? だって、こーんな風に迫られたら、逃げられねぇだろ?」
凍てつく程に冷たい瞳で詩歌を見つめながら、少しキツめの口調でそんな言葉を言い放った。
「…………っ」
郁斗の豹変ぶりに詩歌の体温は一気に下がっていき、言葉を発する事すら出来ずに身体を震わせていると、
「ま、俺は“紳士”だから、何もしねぇけどな……他の男なら、アンタ、ヤられてるぜ?」
再び表情が緩み、一気に雰囲気が変わった郁斗は言いながら詩歌を解放した。
それには流石の詩歌も拍子抜けしたのか、力が抜けてホッとした顔つきをしている。
ゆっくりと身体を起こして少し乱れた髪を整えた詩歌はコロコロ変わる郁斗に戸惑いながらもチラリと彼に視線を向けた。
「あの……すみませんでした、軽率な事を口にしてしまって……。私、帰ります」
そして自身の言葉を反省し、やはり自分の力で何とかしようと荷物に手を掛けた、その時、
「いいよ、匿ってあげても。行く宛て無いでしょ? ここに居る間のキミの安全は、俺が保証するよ」
郁斗は詩歌をこの部屋に置いてもいいと言ったのだ。
「……え?」
「ここを出て、自分で何とかしようって思ってるんでしょ?」
「そ、それは……」
「酷い事を言うようだけど、キミじゃあ無理だよ。だから、ここに居るのが一番」
郁斗の申し出は有難いし、自分の力でやるなんて初めから無理なのも詩歌は重々承知していたけれど、先程郁斗の怖い一面を知ってしまった今、彼の側に居るのも怖くなった彼女は一刻も早くこの場を去りたいと思っていたのだ。
「……ごめんなさい、お心遣いは有難いんですけど、私……」
「そんなに怖がらないでよ。さっきのはあくまでも演技。詩歌ちゃんに世間の厳しさを分かって欲しかっただけだよ。だから、俺を信じて?」
詩歌が自分に恐怖を感じている事が分かっていた郁斗は彼女の頭に手を置くと、優しく撫でながら不安を和らげようとする。
それには一瞬驚き身体を強ばらせた詩歌だったけれど、彼の優しさが伝わってきたのか徐々に力は抜けていく。
(……私、この人を……信じても、いいのかな?)
未だ本当の郁斗が良く分からない詩歌だけど、行く宛てもない、仕事も住む場所も見つかるか分からない今の自分の立場を考えると、ここは彼を信じて世話になる方が良いと思い直し、
「あの……迷惑をかける事も沢山あると思いますが……よろしくお願いします」
郁斗の元で世話になる事を正式に決めた詩歌は深々と頭を下げてお願いした。
こうしてこの日、詩歌はまだ見ぬ危険な世界に足を踏み入れたのだった――。