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「父さん、今『何もない』じゃなくて、『行くような場所じゃない』って言った」——この指摘、めっちゃグッときた。子どもながらの鋭さと、大人の言葉の綻びを見逃さない感じがいい。トウマが怒ってるんじゃなくて怖がってるのが見えてるハルの視点も、ちゃんと親子の関係が立ってるなって思った。ユイが「知らなくていいことって本当にあるのかな」って口を挟むところも含めて、家族の空気感がすごくリアル。そしてラストの道発見からの「父さんを否定するためじゃなくて、父さんも知らないことを確かめるために進む」っていうハルの意識の変化、ここがこの話の核だわ。先が気になる。
父は、外には何もないと言った。
その二日後、ハルはその言葉が嘘だったと知った。
朝から雨が降っていた。共同畑の作業は中止になり、学校が終わると子供たちはそれぞれ家へ散った。
ハルは机の上に、ミオが記憶を頼りに描いた地図を広げた。
中央。北側。境界。そこを越えて伸びる一本の線。そして、遠くに小さく書いた「31」。
「何見てるの?」
ナナが横から顔を出した。
「何でもない」
「外の地図?」
ハルは慌てて紙を裏返した。
「違う」
「今、外って書いてあった」
「ナナには関係ない」
「ずるい」
妹が頬を膨らませたところで玄関が開いた。トウマだった。
雨具を脱ぎ、濡れた工具袋を床へ置く。
ハルは地図を畳んだ。父は気づいたようだったが、何も言わなかった。
夕食のあと、ハルはとうとう聞いた。
「父さん。昔、外に道があったんだよね」
トウマは器を洗う手を止めなかった。
「あった」
「どこまで続いてた?」
「知らない」
「管理棟の地図に31ってあった」
水の音が止まった。
「見間違いじゃないのか」
「ミオも見た」
「だから何だ」
「31って何?」
「知らん」
「本当に?」
トウマが振り向いた。
「何が言いたい」
ハルは少し怯んだ。それでも続けた。
「父さん、前に外には何もないって言った」
「今もそう思ってる」
「道があったじゃん」
「昔の話だ」
「物資も外から来てたんだろ?」
トウマは黙った。
ハルはそこで気づいた。
「父さん、知ってたんだ」
「何を」
「何もないんじゃない。何があるか知らないだけだ」
ユイが台所の入口から二人を見ていた。
トウマは濡れた手を布で拭いた。
「同じことだ」
「違うよ」
「今のお前には同じだ」
「違う!」
声が大きくなった。ナナが奥の部屋から顔を出し、ユイに促されて引っ込んだ。
「何もないって言われたら、最初から考えないだろ。でも分からないなら、調べられる」
「調べてどうする」
「知りたい」
「知って、それで外へ行くのか?」
ハルは答えられなかった。
トウマは低い声で言った。
「お前が行くような場所じゃない」
その瞬間、ハルの中で何かが引っかかった。
「どういう意味?」
トウマも気づいた。
「父さん、今『何もない』じゃなくて、『行くような場所じゃない』って言った」
「言葉の問題だ」
「行く場所があるみたいじゃん」
「ハル」
「知ってるんだろ?」
「知らない」
「じゃあ何で行くなって言えるんだよ!」
トウマの顔が険しくなった。
「危険だからだ」
「何が?」
「昔、外では大勢の人が死んだ」
初めて聞く言葉だった。ハルは黙る。
「何で?」
「詳しくは知らない」
「またそれ?」
「本当にだ。俺が知ってるのは、外で暮らすことが難しくなって、ここで生きるようになったということだけだ」
「誰から聞いた?」
「俺の父親。その前の世代からだ」
「父さんは見たことあるの?」
トウマは答えなかった。
「今はその話をしてない」
「じゃあ――」
「危険だと知るのに、自分で全部を見る必要はない」
「でも、今も危険かは分からないじゃん」
「だから確かめに行く、なんて言うなよ」
「まだ言ってない」
「顔に書いてある」
ミオと同じ言葉だった。なのに、全然違って聞こえた。
トウマは椅子に座った。
「俺はお前を閉じ込めたいわけじゃない」
「じゃあ何で境界があるの?」
「守るためだ」
「何から?」
「それを、俺たちも全部知ってるわけじゃない」
ハルは父を見た。怒っているのではない。怖がっている。そんなふうに見えた。
「父さんも分からないんだ」
トウマは答えなかった。
ユイが静かに口を開いた。
「知らなくていいことなんて、本当にあるのかな」
トウマが妻を見る。
「ユイ」
「外へ行けって言ってるんじゃないよ。ただ、聞くことまで止めなくてもいいんじゃない?」
「知れば行きたくなる」
「知らなければ安全?」
「少なくとも境界の中にいる」
「それがずっと続く保証は?」
今度はトウマが黙った。ユイはそれ以上言わなかった。
翌朝、ハルはミオに全部話した。
「やっぱり嘘だったじゃん」
「半分ね」
「半分?」
「お父さんは外に何があるか知らない。それは本当だった。でも『何もない』は嘘」
ハルは口を尖らせた。
「ややこしい」
「大人も分かってないんじゃない?」
「何を?」
「どこまでが知ってることで、どこからが教わったことなのか」
ハルは昨日の父の顔を思い出した。
危険だから外へ行くな。けれど、父が今の外をどこまで知っているのかは答えなかった。
「だったら、自分たちで確かめる?」
ミオがじっと見る。
「本当に?」
「まず、境界まで続いてる道を探す。あれが今も残ってるなら、父さんの『昔の話』がどこまで本当か分かる」
ミオは少し考えた。
「北西だった」
「覚えてる?」
「ハルよりは」
二人は放課後、北西へ向かった。古い管理棟には近づかない。地図で見た道の位置を、今の村の建物と重ねる。
「この辺」
ミオが止まった。
目の前には資材置き場と、背の高い草。道などない。
「やっぱり消えた?」
ハルが草をかき分ける。下に硬い感触があった。
土を靴で払う。灰色の平らな面。
「これ」
ミオもしゃがむ。
草の下に、幅の広い舗装が残っていた。
一本の道だった。
二人は顔を見合わせた。
それは北西へ、まっすぐ境界の方へ続いている。
誰も使わなくなり、草に覆われただけ。存在しないのではない。見えなくなっていただけだ。
ハルは道の先を見る。
父の言葉が頭に浮かんだ。
何もない。
お前が行くような場所じゃない。
危険だから。
どれが嘘で、どれが本当なのか。まだ分からない。
ただ一つ、はっきりした。
父が「昔の話」と呼んだ道は、今もここにある。
「行こう」
ハルが言った。
ミオは道の先を見た。
「境界までだよ」
「分かってる」
二人は草に隠れた道を歩き始めた。
今度は歩数を数えなかった。
雨は夜になっても止まなかった。
ハルは布団に入ってからも、父との会話を何度も思い返した。
危険だから行くな。
昔、外では大勢の人が死んだ。
どちらも嘘とは言い切れない。けれど、今の外について父が知っていることは驚くほど少なかった。
翌朝、共同食堂へ向かう途中で、ハルは境界の上を見た。雨雲の向こうに空がある。その空だけは壁の内側と外側で分かれていない。
「何見てるの?」
ミオだった。
「父さんの話、考えてた」
「まだ怒ってる?」
ハルは少し考えた。
「前ほどじゃない」
「なんで?」
「嘘ついたっていうより、父さんも教わった答えしか持ってない気がしてきた」
ミオは頷いた。
「だったら、お父さんを負かしても答えは出ないね」
「負かすつもりだったみたいに言うなよ」
「違った?」
ハルは答えず歩いた。
学校では、雨で畑の実習がなくなり、代わりに設備点検の基礎を習った。配管はどこで止めるか。電源が落ちた時、どの装置を優先するか。
セイジは黒板に大きく書いた。
『知らない機械を勝手に動かさない』
ハルは思わず笑った。
「何がおかしい」
「別に」
「お前が笑うと不安になる」
教室に笑いが起きる。
でもハルは、その言葉を覚えておくことにした。
知らないから触らない。
それは安全のためには正しい。
けれど、ずっと知らないままでいる理由にはならない。
放課後、二人が北西へ向かった時も、以前のようにただ勢いで進まなかった。現在地を学校の屋根、給水塔、境界の角度と照らし合わせる。
「こっち」
ミオが言う。
「地図だと、道は管理棟から少し西へずれてた」
「よく覚えてるな」
「ハルが勢い担当だから、私は記憶担当」
「そんな担当決めた?」
「今」
草を分けると、舗装は一か所だけではなかった。
少し先にも灰色の面。
さらに先には、白い線らしい跡。
ハルはしゃがみ込んだ。
「これ、村の中の道より広くない?」
「荷物を運ぶ道なら広かったのかも」
「外からここまで?」
「たぶん」
道の端には錆びた金具が埋まっていた。何かを固定した跡。近くには折れた標識の支柱。
誰かがここを通った。
何度も。
大きな荷物を運び、境界を越え、この村を作った。
ハルは初めて、境界を「最初からあったもの」ではなく、「誰かが作ったもの」として考えた。
作った人がいるなら、理由がある。
理由があるなら、それは調べられる。
「ミオ」
「何?」
「道が残ってるってこと、父さんには言わないでおこう」
「なんで?」
「止められるから」
ミオは眉を寄せた。
「それ、また隠し事になるよ」
「じゃあ言う?」
「今は言わない。でも、ずっと隠すのはなし」
「分かった」
「本当に?」
「たぶん」
「信用できない」
二人は道の先を見る。
草の向こうに、境界の上端が見えていた。
遠くはない。
それでもハルには、その距離が昨日までとは違って見えた。
父の言葉を否定するために進むのではない。
父も知らないことを確かめるために進む。
その違いを、ハルはまだうまく説明できなかった。