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美緒との楽しい時間は、瞬く間に過ぎ去った。
上映開始一〇分前。慧と美緒は、ゆったりとしたシートに腰を下ろしていた。
「楽しみね」
表情を輝かせる美緒を見て、慧は「そうだね」と答える。
これから見る映画は、先日封切られたばかりの邦画だ。男子高校生と女子高生の恋愛を描いた物だ。
いま人気の若手俳優を起用していたが、慧はアイドルや芸能人には少し疎く、名前を聞いても顔が思い浮かばなかった。事前にネットで調べてみると、主演の二人は雑誌の読者モデルを経て、芸能界に入った人物のようだ。
誰もが羨む美男美女。彼等の織りなすラブストーリーは、どのような物なのか。自分たちと何が同じで、どう違うのか。
「慧君は、普段、どんな映画を見るの?」
周囲の邪魔にならないよう、美緒は僅かに体をこちらに傾け、囁くように訊ねてきた。
「僕は――」
言いかけて、慧はハッと息を飲んだ。
美緒の美しい顔が、すぐ真横にあった。薄いファンデーションを塗った美緒の顔は、上映前の薄明かりの中で、輝いて見えた。
長い睫毛に、綺麗な耳。思わず触れてしまいそうになる柔らかそうな唇には、ほんのりと赤い色のルージュが塗ってある。
同じ高校生とは思えない、それほど成熟した女性の姿を持った美緒が、そこにいた。
呼吸を止めた慧は、僅かに体を美緒から離して話を続ける。
「僕は、主に洋画を見るかな。SFとかアクション映画が好きかな」
「そうなの? ちょっと意外。慧君の事だから、ヒューマンドラマとか、そういったのが好きだと思ってた」
「そう? そういうのも好きだけど、映画館の大きなスクリーンでみるなら、やっぱり派手な映画の方が、お得な感じがしない?」
「それは、言えてるかも。家じゃ、あの迫力は味わえないもんね」
口元を押さえ、美緒はコロコロと笑う。
慧は、目を細めて美緒の横顔を眺めた。本当に、美緒は美しかった。彼女が美しければ美しい程、自分が不釣り合いに思えてくる。
「これ、派手な映画じゃ無いけど、大丈夫?」
「気にしないで。美緒さんとだったら、何だって面白いから」
慧の言葉に、美緒は僅かに瞳を大きくしたかと思うと、少し寂しそうな笑顔を浮かべた。
「ありがとう、慧君」
時折、美緒はこうした寂しそうな笑顔を見せる。普段は、明るく快活な彼女だったが、ふとした拍子に沈み込んでしまう。
何か、悩み事でも抱えているのだろうか。
彼女が複雑な家庭環境にあるということは、以前、聞いて知っている。もしかすると、その辺りで悩み事があるのだろうか。
「美緒さん」
「ん?」
いつもの笑顔を浮かべている。先ほどの沈んだ表情は、何処かへ消えていた。
「あのさ、こんな時に聞く事じゃないと思うけど、何か悩み事がある?」
「え? 悩み事?」
美緒の表情が固まった。慧の視線から逃れるように、美緒の視線が膝の上に置かれた手に注がれた。小さな美緒の手は、ギュッと握りしめられていた。
「……どうして?」
とても小さく、消え入りそうな声だ。
「だって、美緒さん、たまに凄く辛そうな表情をするから」
「そんな事は……」
そう言って、美緒は俯いてしまった。
やはり、何かがある。慧はそう感じた。深刻そうな表情。青白く見えているのは、少し暗い照明のせいではないはずだ。
「僕、相談に乗るから。どこまで力になれるか分からないけど、できる限りのことはするから。だから、僕を頼ってよ」
美緒は何も言わない。ただ、俯いたまま何度も何度も、頷いた。
「ありがと、慧君。慧君って、やっぱり優しいね」
「そう? 美緒さんが悩んでいるから。彼氏として、そのくらいの事は役に立ちたいし」
どこまで自分が役に立てるかは、分からない。だけど、慧はどんな事であっても、美緒の力になりたいし、なりたいと思っていた。ミステリアスな所が魅力の一つであるが、それでも、美緒の弱いところを知りたいし、そこを支えてやりたいと思っている。
「慧君、私……私ね……」
美緒は顔を上げた。目は少し赤くなり、潤んでいる。
「私……」
美緒は口を開けるが、次の言葉が出てこない。まるで、失語症になってしまったかのように、美緒は口をパクパクとさせていた。
慧は美緒の言葉を待った。だが、いくら待っても、美緒の口から次の言葉は紡がれない。
ハァ……
美緒は溜息をつき、慧の手を握りしめた。彼女のクリーム色のワンピースに、一滴の涙が落ちたのを、慧は見逃さなかった。
温かい手だ。汗を掻いているのだろうか、少し湿っていたが、不快な感じはしない。
「ゆっくりで良いよ」
彼女は苦しんでいる。無理に、彼女の口から聞き出すことでもないだろう。もし、本当に慧が必要とされているのなら、美緒が話をしてくれるだろう。
慧は美緒の手を握りしめた。美緒が、それに応えるように力強く握り返してくれた。
「慧君、始まるよ」
スッと劇場の照明が落とされる。慧は姿勢を正し、スクリーンを見つめる。
鼻を鳴らした美緒も、慧に倣うようにスクリーンを見つめる。彼女は手の甲で目元を拭うと、口元に笑みを浮かべ、スクリーンに映し出された映像に見入った。