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10月1日、帝都理科大学理学部地学科の渡教授は上機嫌だった。朝一番で学長室に呼ばれ、今年度後期以降、学生のゼミを受け持たなくてよいと告げられたからだった。
しかも、今の部屋の数倍の広さの新しい研究室まで用意されていると言うのだ。
もちろん一つだけ条件が付いていた。後期から編入して来る、社会人研究生数人の世話役をやって欲しいと学長から言われ、渡は二つ返事で引き受けた。
トレードマークのしかめ面とは打って変わった、うれしそうな表情で、いつものようにあごひげを指でしごきながら、渡は現在の自分の研究室へ向かっていた。
「やっと私の研究者としての価値を学長も認めたか。ようし、今どきの甘ったれた学生の面倒を見なくていいなら、思いきり研究に打ち込めるわい」
渡がエレベーターを降りて自分の研究室のあるフロアの廊下に出ると、研究室のドアの前に一人の女性が立っていた。パンツスーツ姿の20代後半とおぼしきその女性を見て、渡は声をかけた。
「おや、筒井君じゃないか?」
その女性は全身をビクッと震わせて、3歩後ろに飛びのき、腰を90度に曲げて渡に一礼した。
「お、おひさしぶりです、渡先生」
「竹の花事件以来だな。それで帝都新聞社会部の記者がこんな所で何をしている? 誰かの取材か?」
筒井は顔を引きつらせて、首から下げている名刺サイズのプラスチック製の身分証をかざして見せた。
「い、いえ、あの、あの……」
「噛みつきゃせんから、いちいち怯えるな。ん? 社会人聴講生。ああ、学長が言っていた何人かの一人が君か」
「あ、はい。これからの時代、文系の学歴の記者も理系の知識、素養が必要だという社の方針で」
「うむ! それはいい事だ」
「あ、あの、ただ……」
「だから取って食いやせんから、そうあからさまに私を怖がるな」
「それは建前でして、今までのような超自然的現象や巨大生物の事件が今後また起きた時に、こちらの大学とマスコミ各社の連絡役をしろと言われまして」
「それがどうして私の所に来る理由になる?」
「きゃああ、ごめんなさい、ごめんなさい、でも社の上層部の決定で、あたしのせいじゃなくて、ええん」
「いい年をして泣くな! まあ、そういう事ならしょうがない。とりあえず研究室に入れ。立ち話もなんだ」
二人で渡の研究室に入り、筒井に新しい研究室に移動する事を説明していると、ドアがノックされた。
入って来たのはまた20代後半とおぼしき女性だった。暗い色のパンツスーツの姿を見て、渡の眉間にしわが寄った。
「宮下警部補じゃないか。何か事件か?」
「いえ」
宮下も首から下げた身分証をかざしながら答えた。
「本日から渡先生の所でお世話になる、社会人聴講生になりまして」
「どうして警視庁の刑事が?」
「近年犯罪がハイテク化しているので、現場の捜査官も科学知識を付ける必要があるという、本庁の方針です。ただ……」
「ただ、何だね?」
「はあ、それは建前でして。実際には、超自然現象や巨大生物が絡んだ事件が今後また起きた時に、私が学内にいると協力関係がスムーズに行くという、上層部の目論見のようで」
「私は地学の研究者で専門は地震学だ。怪獣の専門家ではないぞ!」
「私だって最近、すっかり怪獣事件専門の刑事扱いされて辟易してますよ」
「なんか風向きがおかしいな」
そこでまたドアがノックされた。渡が「入れ」と声をかけると、身長190センチの大男が頭をかがめて入って来た。
「渡先生、本日よりお世話になります!」
直立不動で敬礼の姿勢を取るその大男に、渡は目を細めて見入った。
「君は確か、巨大アンモナイト事件の時の自衛官か?」
「は! 松田であります。その節はお世話になりました!」
「ここは大学だ。いちいち敬礼するな。一般の学生に見られたら変に思われるぞ」
「は! 気をつけます。本日付で、渡研究室の社会人聴講生を拝命いたしました。よろしくお願いします」
「君もそれか」
「は! 自衛隊の任務もハイテク化しており、最新の科学技術の知見を習得すべきとの防衛省の方針でありまして」
「で、それは実は建前で、か?」
「なぜお気づきになりましたか?」
「三回も続けば、嫌でも気づくわい!」
「お察しの通りで、超常現象や巨大生物が関係する事件が今後また起きた時に、国土防衛のために研究者の皆さまの協力をお願いする、その調整役というわけでありまして」
渡は両手で頭を抱えてうめいた。
「ますます嫌な予感がしてきたぞ」
ノックもなくドアが開き、生物学科の遠山助教授が呑気な笑顔を浮かべて入って来た。
「渡先生、おはようございます。おや、もうみんなそろっていましたか」
渡はライオンのような顔つきになって怒鳴った。
「どうして君がここに来る?」
「あれ? 学長から聞いてませんか? 超自然現象や巨大生物絡みの事件が今後また起きた時に、帝都理科大学として関係各所に協力し、その解決に資する事を目的とした新しい研究室の創設」
「何だと?!」
「渡先生がそのトップで、僕が補佐役を仰せつかりました。ほら、辞令にちゃんとそう書いてあるでしょ」
渡は朝学長から手渡された辞令の紙を手に取る。そこには、下の方に、虫眼鏡でないと見えないほどの小さな文字で、確かにそう書かれていた。
渡は辞令を机の上に叩きつけて叫んだ。
「あの狸親父が! ゼミを担当しなくていいと喜んでいたら、こういう事か!」
筒井が壁の掛け時計を見て、おそるおそる渡に声をかけた。
「あ、あの、渡先生。そろそろ講義のお時間では?」
渡も掛け時計をちらりと見て、白衣を脱ぎデスクの椅子に掛けた。
「おっと、そうだった。戻ったら新しい研究室に荷物を移さんといかんし、今日は忙しくなりそうだな」
松田が言う。
「よろしければ自分が新しい研究室の準備をいたしましょうか? 運んでおく物があれば、おっしゃって下さい」
「そうか? ではこっちの本棚を運んでおいてくれ。デスクの上の物は触るな。私でないと分からん資料があるからな。では、学生のお守りをして来るか」
「は! いってらっしゃいませ」
「だから、大学の中でいちいち敬礼をするな!」
講義を終え、教授会の野暮用を済ませて渡が研究室に戻って来ると、遠山が一人でごみ袋に紙屑を放り込んでいた。
壁の本棚は全て運び去られた後で、ガランとした印象に渡は何となく寂しさを感じた。遠山がいつもの軽薄そうな表情で言う。
「渡先生、後は先生の机の上の物だけですよ。段ボール箱は用意してありますから、必要な物を詰めて下さい」
「いや、机ごと運ぶつもりだが」
「新しいデスクと椅子が用意してありますよ。その机と椅子、けっこうボロボロじゃないですか」
「そうなのか? まあ、そういう事なら」
渡が机の上と引き出しの中の物を段ボールに入れ終わったところで、松田、宮下、筒井が入って来た。松田が無駄に元気良く言う。
「新しい研究室の方の荷物搬入はだいたい終わりました。残りはそれで全部でありますか?」
渡は大ぶりの段ボール箱4個を指差して答えた。
「ああ、これで全部だ。では行くとするか」
「自分が運びます。その大きい方を2個。他のみなさんは小さい方をお願いします」
松田が50センチ四方はある箱を両肩に軽々と担ぎ、宮下と筒井が二人がかりで1個を抱え、遠山が残り1個をヒイヒイ言いながら両手で抱えた。
最後に部屋を出る時、渡はほとんど空になった部屋の中を見つめて、しばし立ち止まった。遠山が訊く。
「渡先生、どうかしましたか?」
「いや」
渡は頭を振りながら言う。
「狭くて不便な場所だと文句ばかり言ってきたが、いざ去るとなると、感慨深いものだな」
渡の新しい研究室は今年完成したばかりの新棟の最上階にあった。荷物を持った4人が先に中に入り、渡が最後にドアをくぐる。渡は部屋の中を見回して大声で言った。
「何だ、これは? こんな研究室があるか?」
部屋の奥の窓際には大企業の重役室にでもありそうな大きな木製のデスクがあり、高い背もたれが付いた革張りの椅子があった。
「まさか、あれが私の新しい机か?」
遠山が段ボール箱をその机の横に置いて、笑いながら言う。
「超常現象事件対応の責任者なんですから、あれぐらい必要でしょう」
「私は研究者だぞ。研究者の机というのは、もっとこう質素であるべきであってだな。おい、そっちにあるそれは何だ?」
渡が指差した壁際にある高さ2メートルほどの物を見て、松田が答える。
「これはメインフレームと言う大型コンピューターでありまして」
「そんな事は見れば分かる。どうしてそんな物が私の研究室にあるのかと訊いているんだ!」
「これは自衛隊が使用している物と同じ種類であります。今後は扱う情報量が今までとは比較にならないぐらい膨大になると思いますので。あ、もちろん、先生のパソコンは机の方に別に移しておきました。インターネットにも接続済みであります」
渡がさらに部屋の中を見渡すと、事務用の机が4つ正方形になるよう並んでいた、さらに、部屋の左側の、渡の前の研究室と同じぐらいの広さのスペースに応接用の大型の低いテーブルと、革張りの一人掛けのソファが6つあった。
「ここは私の研究室のはずだぞ! どうしてこんなにたくさん机や椅子があるんだ?」
これには宮下が答えた。
「はあ、学長さんがおっしゃるには、私たちは先生の助手のような立場なので、同じ部屋で補佐をするようにと」
「あの狸親父が! 私の研究室を、勝手に対策本部にしおったな。それにどうして応接室みたいな場所がある?」
筒井がビクビクした口調で言う。
「あ、あの、これも学長さんがおっしゃっていたんですが、警察や防衛庁の偉い方たちが尋ねて来る機会も増えるし、マスコミの記者対応が必要な場合もあるだろうと」
「狸親父を通り越してペテン師だ! 対外対応まで私に押し付けおったな! ん、おい、そのカーテンは何だ? その向こうにまだ何か部屋があるのか?」
遠山がカーテンを横にスライドさせて中を見せる。
「簡易キッチンですよ。給湯器、流し台、IHヒーター、冷蔵庫、電子レンジも完備してありまして」
「君らは全員でここに住み着く気か? まったく、もう呆れて文句を言う気にもならん」
なおもブツブツ言いながら、段ボール箱の中の資料を新しい机に移し終えた渡は、机の横にある縦に細長いロッカーの中を見て首を傾げた。
「ん? 私の白衣が見当たらんが」
松田がそれを聞いて慌てて部屋の隅に走り、白衣を持って渡の所へ駆け寄った。
「失礼しました。先生の白衣はこちらであります。袖の所が少し裂けておりましたので、繕っておきました」
渡は白衣の袖をじっと見つめた。確かに5センチほど裂け目が入っていた場所が、見事に白い糸で縫い合わされ、言われないと分からないほどだった。
「おお、こりゃ見事に繕ってあるな。宮下警部補か筒井君がやってくれたのか?」
宮下も筒井も首を振る。松田が服のポケットかた掌サイズの裁縫道具セットを取り出して言った。
「自分がやらせていただきました」
「君がかね? 男のくせに器用だな。それに裁縫セットを持ち歩いているのか?」
「は! 自衛隊では制服、戦闘服の少々の破損は自分で縫って繕うのが当然ですので。名札を縫い付けるのも自分でやりますし」
「な、なるほど」
松田は他の3人に向かって笑顔で言った。
「みなさんも、何か繕う物がありましたら、遠慮なくお申し付け下さい」
宮下がやや引きつった笑顔で答えた。
「は、はあ。そうね、その時はお願いするわ」
夕方になり、外が暗くなった頃、全員が自分の荷物やらを各自の机に収納し終わった。渡は腕時計を見て、席を立とうとした。
「さて、私は学食へ行くとしよう。今日は家内が親戚の法事で実家に行っていてね」
遠山が渡に声をかけた。
「あれ、渡先生、聞いてませんか? 学食は今日の夕方から明日の昼まで臨時休業ですよ。ガス設備の点検修理だとかで」
渡は目を大きく見開いた。
「何! そうだったか。それは困ったな。晩飯の後、ここでもう一仕事するつもりだったんだが」
松田が机から腰を浮かせて言う。
「もしよろしければ、自分がみなさんの分も食事を用意いたしましょうか? せっかくキッチンも付いておりますし、この研究室には」
遠山が浮かれた声で言う。
「だったら新生渡研究室の発足を祝って、記念の飲み会をやりましょうよ。警備室には僕が話をつけて来ます」
渡は眉間にしわを寄せて言う。
「まあ、今日はみなに世話になったしな。それぐらいはいいか」
遠山が松田に言う。
「ただ、食料品扱っている店が直線距離で2キロ先……」
遠山が言い終わらないうちに松田が椅子から立ち上がった。
「おお、そんなに近いのでありますか。では早速行ってまいります」
そのまま部屋から走り去って行く松田の背中を見ながら筒井がつぶやく。
「いや、2キロが、そんなに近いって……」
松田が山のような袋を担いで戻って来るまでの間、渡と他の3人はそれぞれ書類仕事を片づけた。
キッチンに入る松田の後に続こうとする宮下と筒井を松田は押しとどめた。
「いえ、自分だけでできますので。今日は力仕事をなさったので、女性のお二人はお疲れでしょう」
それから30分ほど後、松田がキッチンスペースのカーテンを開け、他のみなに告げた。
「用意が出来ました。みなさん、応接スペースの方に移って下さい」
渡たちが応接テーブルのソファに並んで座ると、松田がアルミ皿を運んで来て、各自の前に並べ始めた。皿の上には、卵焼きとタコさんウインナーと一口大に切って茹でたブロッコリーが乗っていた。
次に味噌汁が入った椀が並べられた。中には細かく切ったニンジンとささがきのゴボウと薄く切ったカマボコが入っていた。
次におにぎりがたくさん載ったプラスチックのトレーが応接テーブルの真ん中に置かれ、紙コップが配られた。ワインの瓶2本、日本酒の小瓶1本、缶ビール6本が置かれた。
呆然と見つめていた他の4人に向かって、松田はこれ以上ないと言うほど爽やかな笑顔で言った。
「簡易キッチンですので、簡単な物ばかりで恐縮ですが、どうぞお召し上がりください。おっと、割り箸を忘れてますね。今お持ちします」
松田がキッチンに戻り、宮下が筒井にそっと耳打ちした。
「な、なんなのよ。男のくせにこの女子力の高さ」
筒井も引きつった笑顔で言う。
「あはは、なんか、あたしたちの立場が無いような……」
松田が割り箸の束を持って戻り、みなに言う。
「さあ、始めましょうか。お酒はお好きな物をどうぞ」
渡が割り箸を受け取りながら、唖然とした口調で松田に訊く。
「ずいぶん手際がいいが、君は料理も得意なのかね?」
「いえ、自衛隊の野外訓練では、各自で自炊も多いので。別に得意というわけではありません」
というわけで、酒盛りが始まった。渡はロッカーに仕舞ってあった、取って置きのウイスキーの瓶を取り出して来た。
宮下が食べてばかりで酒に口を付けないのを見て渡が言う。
「宮下君は酒は飲まないのかね」
「あ、いえ、嫌いじゃないんですけど、あまり強い方じゃないんで」
「まあ無理強いはせんが、このウイスキーを試してみんかね? 本場スコットランドの年代物だぞ」
「そ、そうですか? じゃあ一口だけ」
遠山は松田の横に座って話している。
「君は力もあるし、体力もありそうだ。僕のフィールドワークも手伝ってくれないか? 僕は力仕事は苦手でね」
「おお! それは喜んで。体力と力仕事なら自衛官にお任せ下さい」
渡は他の皆から顔を背けて、しかめっ面でウイスキーをちびちび飲んでいた。やがて、宮下が妙に静かなのに気づいて声をかけた。
「おい、宮下君。大丈夫か?」
宮下が顔を上げた。顔色は全く変わっていなかったが、目が座っていた。宮下は紙コップを突き出して怒鳴った。
「おい、ヒゲ!」
渡は一瞬周りを見回したが、もちろんひげを生やしているのは自分だけだった。
「ええと、私かね?」
「他に誰がいんだよ? コップが空だ。さっさとつげよ、気が利かねえ野郎だな」
「え? ああ、これはすまん」
渡は慌てて宮下のコップにウイスキーをついだ。宮下は半分ほどを一気に飲み干す。渡はおずおずと言う。
「そう一気に飲まん方がいいんじゃないか。酒は強くないと言ってただろう」
「馬鹿野郎! こう見えても酒の飲み比べじゃ誰にも負けた事はないんだ。ウイッ。なあ、先生さんよ。世間の目を気にして羽目をはずせない警察官の苦労が分かるか? 警察官だって人間なんだぞ。四六時中真面目な面ばかりしてられねえんだよ。分かってんのか? ウイッ」
「ん? ああ、そうか、そうだな。それは大変なんだろうな」
「しかもだ、ウイッ。キャリアだと、ノンキャリの手本になるべし、とか勝手な事を年がら年中言われてな。現場の捜査の苦労もしらねえ奴らが、馬鹿野郎!」
「飲みたがらんのは、酒乱のせいだったか」
「あ? 何か言ったか?」
「い、いや、何でもない! そうか、若くして警部補ともなると人知れず苦労が多いんだな」
「分かるか? 本当に分かるか? ようし、気に入った。ヒゲ! おまえも飲め!」
宮下がウイスキーの瓶を鷲づかみにして渡のコップに注ぐ。
「ああ、すまんな。いや、それでいい。こぼれる、こぼれる!」
さらに一杯ウイスキーを飲み干したところで、宮下はテーブルに突っ伏して静かになった。
「おい、宮下君。寝てしまったか。ああ、筒井君、ちょっと彼女をだな」
渡が宮下をはさんで向こう側に座っている筒井を見て、またぎょっとした。筒井はワインをもう何杯飲んだのか、すっかり頬をピンク色に染めて、ぼろぼろ涙を流していた。
「おい、筒井君、どうした? どこか痛いのか?」
渡の方に顔を向け、筒井は泣き顔で喚いた。
「ああん! どうせあたしはダメな記者ですよう!」
「いや、誰もそんな事は言ってないが?」
「昨日もね、デスクにね、プロ意識が足りないって言われてね、でもあたしだって、それなりにがんばってるのに、なんで分かってもらえないのよう!」
「おいおい、こっちは泣き上戸(じょうご)か」
「どうせ先生だって、そう思ってるんでしょ? なんでこんなダメな記者が来たんだって」
「い、いや、そんな事はない。私が君に厳しく言うのは、ある意味、見所があると思っているからであって」
「男はみんなそう言うのよ! それで腹の中では、しょせん女は、とか思ってんでしょ!」
「決してそんな事はない。少なくとも私はそうではないぞ」
「ウイッ。グスッ。ほんとに? ほんとにそうですかあ?」
「ああ、本当だ。なるほど、新聞記者の世界もいろいろ大変なんだな」
「そうなんですよう。読者は減る一方だし、取材費はなかなか出ないし、頭の古い奴ばかりが出世するし、世間からはマスコミじゃない、マスゴミだなんて言われるし、ああん!」
ひとしきり泣き言を叫んだ後、筒井も宮下の横でテーブルに突っ伏して静かになった。
「ありゃ、こっちも酔いつぶれたか。おい、君たち、女性陣を」
そう言って渡が振り向くと、遠山と松田は床に座り込んで肩を組んだままの格好で、とっくにいびきをかいていた。
渡はウイスキーの瓶を持って自分の机に座って、コップに注いでぐっとあおった。
「こっちも飲まなきゃやってられんわい!」
渡が誰かに揺り起こされると、もう朝日が窓から差し込んでいた。昨夜はそのまま椅子にもたれて寝てしまったらしい。
目を開けると横に立っていたのは松田だった。いつの間にか毛布が体にかけられている。
「渡先生、そろそろ起きた方がよろしいかと」
「ああ、そうだな。他のみんなはどうした?」
「さきほど起きて、一旦自宅へ戻るそうです。昨夜はお騒がせして申し訳なかったと、先生に伝えて欲しいと、みなさん言っておられました」
渡が洗面所で顔を洗って戻って来ると、松田が熱い緑茶を持って来た。松田が言いにくそうに渡に語りかける。
「申しわけありませんでした、先生」
「ん? 何がだ?」
「いえ、昨夜はみな調子に乗り過ぎて、先生のご気分を害したのではないかと。言い出したのは自分ですので」
「いや、そんな事はない。むしろうらやましいよ。いや、正直に言うと妬ましいと言うべきかな」
「妬ましい、でありますか?」
「私も若い頃は朝まで飲み明かすとか、いろいろ無茶もやった。君たちにような若さが妬ましいのかもしれん。もう体力も昔ほど続かんし、無茶もできん。年を取るというのはそういう事だと頭では分かっているんだがな」
「そういう物でありますか?」
「正直、今の学生の感覚にはついて行けんと思う事も増えた。若者の使う言葉も理解できんようになったしな。それは自分が年を取ったからだと分かってはいるんだが、その事実を受け入れるのは、けっこう難しいものだ。ところで松田君はまだここにいていいのか?」
「は、もしよろしければ、自分も防衛省に着任の報告をしに行きたいのですが」
「ああ、行ってきなさい。今日は特に頼む用事はないよ」
「では、自分も本日はこれで失礼いたします」
松田が部屋を去った後、渡は緑茶を飲みながら、片手で頭を抱えた。
「まったく、50代半ばにもなって、こんな仕事を押し付けられるとは。研究者としては人生の収穫期だぞ。その時期に、超常現象やら巨大生物事件やらの専任だと……」
お茶を飲み干し、顔を上げた渡は、しかめっ面のまま、口元だけで笑った。
「ま、しかし、それはそれで面白いかもしれんな」