テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「国境の谷」での生活は、驚くほど静かに、そして規則正しく流れていた。
朝は山の端から差し込む微かな光とともに始まり、昼間は男も女も、大人も子供も関係なく、山の裏手にある広大な地下農園へと向かう。
そこでは、外の世界では決して交わることのないはずの者たちが、泥にまみれて共に汗を流していた。
レイもまた、村長に促されるまま農園での作業を手伝うようになっていた。
隣で不器用にクワを振るう男は、かつてレイが戦った敵国の軍服を着ていた者だった。
また、食事の支度をしてくれる老女は、レイの祖国の空爆によってすべてを失ったと言った。
「最初はね、お互いに目も合わせられなかったんだよ」
ある日の夕暮れ、作業の帰り道にルナがぽつりと言った。
いつもの尊大な口調ではなく、どこか遠くを見るような静かな声だった。
「私の本当の家族もね、戦争でみんな死んじゃった。この村にたどり着いたとき、周りは敵の国の人だらけで、毎日が怖くて、憎くて仕方がなかった。でもね、みんな同じだったの。夜になると、どの家からも同じように、家族を呼んで泣く声が聞こえてきた。国籍なんて関係ない。みんな、心の中に二度と治らないような深い傷を抱えてたんだよ」
ルナは立ち止まり、レイを振り返った。
「国境なんて、人間が勝手に引いた線でしょ? ここにはそんなものない。互いの痛みを想像して、それを許し合うことでしか、私たちは生きていけなかったの」
その言葉は、レイの胸に深く突き刺さった。
彼らが日々を懸命に生き、手を取り合う姿を見るうちに、レイの凍りついていた心は少しずつ、だが確実に解きほぐされていった。
変化は、ある朝突然に訪れた。
朝露に濡れた草むらを見たとき、それがただの灰色ではなく、瑞々しい「緑」に見えたのだ。驚いて辺りを見回すと、ルナの髪を飾るリボンが「赤」く、村の畑に実る果実が「黄色」く、それぞれの色彩を放っていた。
レイの目には、かつてのように世界の「色」が戻り始めていた。
村人たちの温かい言葉や、ささやかな営みが、彼の閉ざされた視界を塗り替えていく。
しかし――。
どれだけ世界が色を取り戻しても、見上げる空だけは、今もなお低く、濁った灰色のままだった。
その理由は、レイ自身が一番よく分かっていた。
夜、静まり返った部屋で、レイは机の上にアレンの日記帳を広げていた。
ペンを握る指先が、かすかに震える。
村の優しさに触れ、彼らの平和な暮らしを日記に書き留めれば留めるほど、レイの心には鋭い楔が打ち込まれていく。
(なぜ、俺なんだ……?)
敵を憎み、戦争を憎むことで、これまでは自分の痛みを誤魔化してこられた。
だが、この村で「敵も味方もない平和」を知ってしまった今、行き場を失った感情はすべて、自分自身への罪悪感へと変貌していた。
アレンは死んだ。自分を庇って、命を落とした。
それなのに、自分だけがこうして美しい景色を眺め、温かいスープを飲み、生きている。
アレンが日記の後半に託したかった「本当の平和とは何か」という問い。
その答えの重さに、レイは圧倒されていた。
親友を死なせたという罪悪感を抱えたままの自分に、その最後の言葉を紡ぐ資格などあるのだろうか。
「分からない……。俺には、書けないよ、アレン……」
レイはついにペンを置いてしまった。
日記の結びとなる言葉は白紙のまま、時間は無情に過ぎていった。
______________________________
村での滞在を終え、レイが旅立つ朝がやってきた。
村長やルナ、そして短い間だが共に過ごした村人たちが、村の境界である大樹の下まで見送りに来てくれた。
皆、引き止めることはしなかった。レイがこの先へ進まなければならない理由を、その瞳から察していたからだ。
「レイ、これを持っていきなさい」
村長が手渡してくれたのは、道中の無事を祈る古いお守りだった。
ルナはふいっと横を向いたまま、ぶっきらぼうに言った。
「……ふん、あんたみたいな運の悪いお兄さん、外に出たらまたすぐ財布すられるに決まってる。でも、行きなよ。あんたの探してるもの、まだここにはないんでしょ」
「ああ。みんな、本当にありがとう」
レイは深く頭を下げ、村を背にした。
谷を見下ろす一本の大樹の下。そこから先は、再び深い霧の立ち込める外の世界へと繋がっている。
レイは歩みを止め、眼下に広がる隠れ里を見つめた。
霧の合間から見える、小さな村の営み。
憎しみを乗り越え、互いを許し合って生きる人々の姿。
そして、己の命に代えてまで自分を生かそうとしたアレンの最期の笑顔。
それらの記憶が、レイの脳裏を濁流のように駆け巡った。
(アレン、お前はなぜ俺を護った?)
(お前は、俺に何を遺したかったんだ?)
その時、張り詰めていた心の糸が、音を立てて切れた。
レイの心の中に、ずっと探していた、そしてずっと目を背けていた、たった一つの確かな「答え」が、鮮烈に浮かび上がった。
レイは震える手でカバンから日記帳を取り出し、最後の白紙のページを開いた。
もう迷いはなかった。彼はペンを握り締め、魂を削り出すように、決意の言葉を力強く書き入れた。
――『本当の平和とは、憎しみを捨てる強さと、与えられた命を精一杯に生き抜くことだ。俺は、お前の分まで生きる。この命を、決して無駄にはしない』――
最後の一文字を書き終え、ペンを置いた、まさにその瞬間だった。
ヒュウ、と大陸の乾いた一陣の風が吹き抜け、日記帳のページを激しくパラパラと捲っていった。
風が木々を揺らす騒がしい音の中で、レイの耳元に、静かに、だが信じられないほど鮮明に、あの懐かしい声が響いた。
『すげえな、レイ。お前が俺の代わりに、こんなに綺麗な平和を見つけてくれたんだな』
レイは息を呑み、身体を硬直させた。
『生きてくれて、ありがとう。……もう、自分を責めなくていいんだよ』
それは幻聴だったのかもしれない、ただの風の悪戯だったのかもしれない。
しかし、それは間違いなく、あの戦場で自分を救ってくれた親友・アレンの声だった。
アレンは、レイを過去に縛り付けるために命を捨てたのではなかった。
自分を責め、灰色の中で苦しむためではなく、ただ前を向いて、幸せに生きてほしいと願ったからこそ、あの時、笑顔で盾になったのだ。
「ああ……あああ……っ!」
胸の奥底に溜まっていた熱い塊が、一気に突き上げてきた。
堰を切ったように、大粒の涙がボロボロと溢れ出す。
レイはその場に膝から崩れ落ちた。日記帳を強く、張り裂けんばかりに胸に抱きしめ、地面に頭を擦り付けながら、子供のように声を上げて泣き叫んだ。
「うわあああああ! アレン! アレン……っ!」
それは悲しみの涙ではなかった。
6年間、片時も離れず自分を蝕んでいた「罪悪感」という名の呪縛から、ようやく魂が救われた歓びの涙だった。
嗚咽が荒野に響き渡り、レイは心の中にあるすべての痛みを、涙と共に吐き出していった。
どれだけの時間が経っただろうか。
引き絞るような泣き声がやがて静まり、レイはゆっくりと涙を拭って、顔を上げた。
その瞬間、レイは息を呑んだ。
見上げた天には、これまで世界を覆っていた、あの濁ったモノクロの灰色はどこにもなかった。
そこにあったのは、世界のすべてを祝福するような、息をのむほど鮮やかで、どこまでも深く、どこまでも高い――本物の「青い空」だった。
太陽の光が、レイの涙の跡を眩しく照らす。
視界に広がる大自然は、圧倒的な極彩色をもってレイを迎え入れていた。
レイの『空が青を取り戻すまで』の道はここで終わったんだ。
しかし
「……行こう」
レイは小さく、だが力強く呟いた。
立ち上がり、服についた土を払う。その足取りには、もう迷いも重
荷もなかった。
このまま各地を死ぬまで旅してこの『日記帳』に書き記しておこう。
レイは胸の中のアレンと共に、どこまでも続く青空の下へ、新しい一歩を力強く踏み出した。
______________________________
終わったああああ
終わっちゃったーー
悲し
てか文字が多すぎて重いぜ⭐️
じゃあねー
あ、冥探偵黄泉國も見てねーーー
コメント
4件
おーすげえ
お疲れさまです、寺島あおいです。 第5話、読了しました……! もう、本当に涙が止まらなかったです。レイがようやく罪悪感という呪縛から解放されて、あの「青い空」を見上げるシーン、あまりに美しくて胸が震えました。アレンの声が風に乗って届くところ、あれは幻聴かもしれないけれど、確かにレイの心が救われた証ですよね。 村長やルナたちとの交流も、すべてがレイの心を溶かす伏線になっていて、構成が本当に丁寧だなと感じました。最終回、素晴らしい結びでした。お疲れ様でした🌷
ぬいぬい
2,985
ぬいぬい
3,906
ぬいぬい
526
ぬいぬい
2,362