テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
次に私が彼に辿り着いたのは、月の第二週に差し掛かる直前の頃だった。この国の中心からは少し外れた、それでも活気に溢れている通りのとある店奥で、件の絵描きは窓の外を眺めながら鼻歌を歌っていた。
「〜♪ Champs-Élysées〜…♪」
国中を探し回ったわけでもないが、この街での滞在期間を倍近くに増やすほどには、心待ちにしていたのだ。
私は先日街で見かけたときのことを思い出すかのように、音に耳を傾けながらしばらく彼を見つめた。
今日は筆を置く日なのか、彼はペイントまみれのローブではなく、白いボタンダウンシャツにブレイシーズ、少しフォーマルなスニーカーと、街でもみた深紅のスカーフを身につけていて、その佇まいはむしろ本人が絵画のモデルになれてしまいそうなほどだった。
「Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit…」
「「Il y a tout ce que vous voulez aux Champs-Elysées〜…♪」」
「…ん?」チラ
「Bonjour…すみません。 ここしか歌えなくて」
彼の歌に重ねてワンフレーズだけ歌ってみたが、どうにも不慣れで上擦ってしまった。
側から見れば完璧な不審者だな、と自虐混じりに軽く笑う。
絵描きは一瞬こちらをチラリと見てから、引かれるようにして目線を合わせてくれた。
その瞳に吸い込まれる。
「あぁ…!驚いたよ。まさかもう一度会えるとは思ってもなかった。しかもプライベートで」
「ええ、探さなかったと言えば嘘になりますが、偶然出逢えてよかったです。」
「あはっ、熱心なファンだね。それともストーカー?」
からかうように…いや実際からかっているのだろう。
実際自分も探してしまったのだから否定しきれない。
勘弁してくれというふうに軽く両手をあげてみると、絵描きは身体を小刻みさせながら笑った。
例の広場で遭った時にも思ったが、やはり自分からすると随分と取りつきやすい人物のようで、惹かれた要素である絵がない状況でも、彼と話しているだけで満たされるのを感じた。
「君は旅の人?あの日に初めて見た」
「はい。普段は隣国で画商をやっているんですが、いかんせん個人営業なので少し休みをと。そういう貴方はこの国の方ですかね」
「そう。生まれも育ちもね。…というか、画商だったんだ!この街は芸術で溢れているけど、お気に召す絵はあった?」
「ええ、それはもう。次は仕事をしにきたいです。…まあそれより、もっと大きな収穫もありましたがね」
どこか含みを持たせて言うと、絵描きは『光栄だね』と誇らしげに返してきた。
貴方のことだなんて一言も言っていないんだけれど。自信家な彼を見て思わず笑ってしまう。
「ねぇ、画商さん。ここには観光で来てるんだよね」
「仕事の下見というのもありますが、大方」
「じゃあさ、今度僕のアトリエに来てくれない?」
アトリエ…即ち作業場だ。
絵描きにとっての本拠地のようなもので、ほとんどの場合絵や画材、イーゼルなどで埋め尽くされている。
画商を招くとなると、仕事の話をするつもりなのか?
断ろうと思い聞いてみたが、どうやらそうではないらしい。
「人に絵を見せたことが正直なくてさ。君なら楽しく見てくれるかなと思って」
「僕に惚れ込んでくれたんでしょ?」
「…嬉しいお誘いですね。お受けしますよ。是非見せてください」
心底恐ろしい人だなまったく。
惚れ込んでいるなんて否定も肯定もしづらいことを、こうも悪びれなく問いかけてくる。
あの時と同じ、満ち足りていて毒々しい翠碧の瞳に私の身を映して。
どうやら自分はこの目に滅法弱いらしい。
「じゃあ決まりだね。」
「都合がつく日にここに来てよ。どうにも待ち合わせは得意じゃなくてさ、走り書きで申し訳ない」
そう言うと、番地が筆記体で記されたペーパーナプキンを手渡された。
よくよく見ると、そこはここよりもう少し田舎へ逸れた外れで、たしか物価の安い穏やかな地域だ。それは確かに無名の彼が絵を誰にも見せていないというのを感じさせた。
「わかりました。近いうちに伺います」
「楽しみにしてるよ」
ガタ、
「すみません。予定を遮ってしまいましたか」
「いや、今やりたいことをやる主義なんだ。それが移り変わっただけだよ」
お互いに席を立ってから、会計をしている彼を店の外で待つ。
午前中の遅い時間にここに辿り着いたと記憶していたが、今はすっかりお昼時であちこちの店のテラス席に人が座っていた。
状況にさほど差異はないが、彼らの中に今自分以上に浮かれている者などいないだろう。
「あれ、まだ居てくれたのか」
「旅は道のりを決めない主義で」
「僕もそうだ。あぁ、というか丁度良い」
「ジェントル、お名前は?それとも君なら秘密主義とでも言うのかな」
「…名前のないままで誰かの記憶に残れると思うほど、自分を買い被ってはいませんよ」
「私はイギリスといいます」
すると、途端に顔を覗き込まれて目が合う。
自分の値踏みは得意じゃないのか、と言いたげな顔。
意表を突かれたのに驚いて固まってしまった。
まあ目は口ほどになんとやら。
瞳ばかりを気に留めるが、その実彼のことが丸々全て集約されているように感じる。
「イギリスね。記憶に残りそうで助かった」
言いながら数歩前に進む。
そのうちくるりと振り返ると、眉と下瞼を持ち上げた、鮮やかな笑顔でこう言った。
「僕はね、フランス」
いい響きでしょ?と続ける彼…フランスは、最初に出会った時とはまた違う雰囲気を漂わせていた。
きっと彼の本質は毒やダイヤモンドではなく、この屈託のない自己愛と確信。
そして自然とそれを波及させる影響力だ。
私があの時見据えた景色を、現実のものにしてしまう力だ。
「じゃあ、お待ちしてるよイギリス」
「…君は僕をもっと気に入ることになるだろうね!」
「貴方を知り尽くせるのが楽しみです」
「À bientôt」
軽く言葉を交わして、違う方向に歩み始めた。先刻の時間がまるで夢かのように感じる。
ふと気になって振り返ると、小さくなっていくフランスが見えた。
今は同業異種と仮置きするが、段々と出来上がりつつあるこの名前のない間柄が、自分にとってこの上なく居心地が良い。
そして自分はきっと、より彼を好きになる。
シェイクスピアも驚くほど、確信が持てるストーリーだ。
この日はあえて遠回りをして、例の広場を横切りつつ宿に戻った。
#カントリーヒューマンズ
order
22
コメント
1件
美月ゆめかだよ〜!🌸 今回の5話、2人の再会がもう最高すぎた…!!✨ 主人公が探してたのが伝わってきて胸キュンだし、店で鼻歌に合わせて歌うシーンで一気に距離縮まった感じがしてエモすぎた😭💕 フランスの「僕はね、フランス」って名乗るくだり、なんかもうおしゃれすぎて倒れるかと思った…! 自信と毒っぽさが混ざった翠碧の瞳に主人公が弱いっていう伏線も熱い🔥 次のアトリエ訪問が待ち遠しすぎるよ!!